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「政治とカネ」ではなく「官僚とカネ」こそが問題だ

民主党、とりわけ小沢一郎に対する検察とマスコミによる「政治とカネ」という根拠のない非難は何年も続けられています。これは政権交代が起きる可能性が強まった時に、東北における小沢氏の影響力の行使により公共事業が不当に仕切られた結果、胆沢ダム建設に絡んで賄賂が提供されたとする筋書きが作られた事が事の発端です。まず主契約者となる鹿島建設などの大手ゼネコンの共同体が談合により、予定どおりに受注者に決定され、下請けをしていた水谷建設から小沢氏の政治資金団体「陸山会」に多額の政治資金が賄賂として支払われたとするものです。政権交代が起きたのは2009年8月の事ですが、胆沢ダムの建設の開始時期は民主党が野党時代の2004年の話です。予算の割り振りなど与党にしかできない事を、何で野党が取り仕切り、しかも業者に対してまで影響が及ぼせるなど誰が信じるのでしょうか。しかしながら、検察は2007年1月に陸山会、石川知裕衆院議員事務所、鹿島建設などに強制捜査を行い、その後、小沢一郎側の2004年の政治資金報告書の記載に違反があるとして、当時の秘書である石川知裕衆院議院ら3人を逮捕、起訴しました。そして小沢氏も共犯として告発されましたが、嫌疑不十分として不起訴になったものの、検察審査会によって起訴相当の議決が出されたのです。これが「政治とカネ」として現在も野党が追及している問題の概要ですが、すでに数々の事実から、この問題が初めから作られたものである事が明らかになっています。この捏造の詳細は、ここでも以前に書いた「小沢一郎氏に対する国会喚問という問題について」にリンクさせている週刊朝日の山口氏の投稿を参照してください。

さて、これで「政治とカネ」という言葉がいかに根拠のない意味のないものである事が分かったと思いますが、この根底にある問題はもっと根深いところにあるのです。それは官僚と政治家との権力争いという根本的な問題です。本来、民主国家においては、国民はその代表者を国会に送り多数を持って政治を行ったり、法律の策定を委託するものです。このために権力の集中を排除する意味で、民主主義は、立法、司法、行政の3権の分立を原則にしています。これについては1つ前に書いた「我が国の立法のあり方の問題点」に詳細を記載しています。そこで述べたように我が国の現状は、未だ民主国家と言うには程遠い状態であり、「官僚社会主義」と呼ばれる官僚による国家支配が続いている事を我々は認識しなければなりもせん。実際、官僚側は権力維持のために昔からマスコミを有効に活用し、国民を騙してきているのです。その最大の目標は、国民の代表者である国会議員たちの活動の制限による権力の拡大の阻止です。現実的な法律の策定が官僚側にある事を良い事に、政治資金規正法や公職選挙法などのあらゆる政治活動に対して曖昧な法律を制定することで多大な制限を政治家側に課しています。また企業、団体の献金を世論操作により「賄賂性の高い不当なもの」とし制限を試みています。こんなバカらしい考え方は世界のどこにもありません。一方の官僚側にはそのような制限規制や責任に対する明確な規定もなく、ましてや責任を問われる事による免職などについても驚くほどゆるいものしか存在せず、事実上やりたい放題となっているのが現実です。過去、我々の支払った税金から、グリーンピア等の数々の無駄な事業や年金のずさんな記録による不払い、等々の数え切れない不正がありますが、誰一人として責任を取らされ首になった者はいません。これに対して政治家は、政治とカネなどという曖昧な事で問題にされるだけで議員辞職に追い込まれています。これが民主国家でしょうか、こんな不公平な状態をなぜ我々は平気で許しているのでしょう。まったく国民は、権力側にいる官僚に対しては思考が停止されている状態にあるのです。税金の使われ方についてはここを参照して下さい。

さて、本題の「官僚とカネ」の最大の問題は、「予算の使い方」と「特別会計」にあります。まず「予算の使い方」です。これまでに指摘される通り「使い切り」という事がないと翌年の予算が削られるというバカげた慣習から、常に予算は100%以上使わなければならないとされています。こんなバカげたことを何年も行っている事自体が信じられません。又、使われた内容の監査を行う組織も身内である官僚組織の一部である会計監査院が行っているために、無駄の指摘がどこまでされているのか疑問視されています。内容に疑いがあれば「説明責任」が求められなければなりませんが、政治家にこの言葉が使われる事があっても、本来されるべき官僚側に使われる事はありません。全く不思議な国です。監査する組織の在り方も含めた予算の在り方は絶対に必要な問題ですが、指摘があっても議論されては消え、又同じように議論されては消えるという進展のない状態がずっと続いているのです。これは長年、政権政党であった自民党が,官僚と一体化した「官僚社会主義政党」であった事にも大きな原因があります。次は本題の「特別会計」です。

国家予算は一般会計と特別会計に分かれますが、我々の生活に直接関係する一般予算は90兆円程度ですが、特別会計はその2倍程度の規模を持ち、国会で審議される事もありません。内容も各省庁が管理する会計ごとに好きなように使われています。又、この資金から天下り先となる独立行政法人などの特殊法人に多額の税金が流されています。さらに驚いた事に、一般税収の半分以上が特別会計に流れているのです。ここ1,2年で少しは変わりましたが、基本的にマスコミは一般会計だけを予算として報道し、特別会計については殆ど報道しません。ここにも世論操作が行われている現実があります。さらに予算を通じて、補助金という名目によって、地方公共団体や大学、企業など全国あまねくその支配を強めているのです。海外では、勿論人口の比率などで安易な比較はしてはなりませんが、単純に見ても日本よりはるかに少ない国家予算の中で、我々より豊かで安定した生活を営む国が多数存在します。それは税金の使われ方が透明化され、支払った国民のために税金が正しく再分配されているからなのです。我々は「政治とカネ」などという瑣末なわずかな金額のことで視点を惑わされず、もっと巨額の本来、我々国民に対して適正に使われるべき税金に対して「官僚とカネ」という問題として追求する必要があるのです。民主国家にするには国民一人々々のしっかりした考えがなくてはなりません。マスコミなどの偏った情報だけに惑わされず、何が本質なのかを見極めて本当の意味の民主国家を実現しなければなりません。

民主党に対するネガティブキャンペーンの原因は

民主党による政権交代が起きてから、マスコミによる民主党に対する数々のネガティブキャンペーンが仕組まれてきました。それをまとめたいと思います。

その前にこちらを参照してください、非常に興味深い事実が分かります。我が国の自主独立に努力しようとして、誰が検察という権力によって潰されたかの一覧です。このような事が国会議員個人に対してではなく、政党に対して行われているのが今回の主題です。

記憶に新しいうちに思い起こして下さい。鳩山さんが総理大臣になり、小沢一郎さんが幹事長についた時、マスコミは「政治とカネ」という造語を作りだして二人を責め立て始めました。小沢さんに対しては陸山会の政治資金記載法違反について、鳩山さんについては母親からの資金提供についてです。すでに小沢さんの問題は完全なねつ造である事が明らかにされていますが、マスコミは依然として追求しようと躍起になっています。鳩山さんについては、たしかに母親からの援助がありましたが、一体その事で我々が何か不利益を受けたのでしょうか。私から見れば貧乏人のひがみとしか思えません。それを鬼の首でも取ったかのように騒ぐバカバカしさに日本中がうなされたようになってしまったのです。鳩山さんの件も小沢さんの件も大騒ぎするほどのものだったのでしょうか、冷静に考えれば分かる事です。どちらも大した問題ではありません。政治家は国民に対して暮らし易く安全な国を作ってもらえればいいのです。それが外国での民主国家の人々の常識です。

次に、マスコミは民主党には外交政策がなく、沖縄の普天間基地の辺野古への移設に関して鳩山さんが、県外や国外の模索に言及するや、「日米関係が壊れる」の大合唱を始めました。一体どこの国のマスコミなのでしょうか。そんなに米国の方が沖縄より大事なのでしょうか、本当にあきれた対応でした。結局、世論操作は成功し、鳩山さんは辺野古に戻す結論をせざるをえませんでした。私見では、時間をもっとかけて米国と話し合うべきだったのですが、何が結論を急がせたかについては官僚筋からの意図的な間違った情報に踊らされたものと確信しています。結局、自民党が実現できずに13年間も先送りした問題を一から開始せざるを得なくなるという自縄自縛に民主党は陥ったのです。

この二つの問題で鳩山さんと小沢さんは辞任に追い込まれました。全く官僚とマスコミの世論操作の勝利でした。そして次に始まった事は民主党の政策に対する非難です。「ばら撒き」という造語が頻繁に新聞、テレビに流され始めたのです。その対象は、子供手当て、高校の無償化、高速道路の無料化、農家の個別保障制度、などなどです。これらは海外では当たり前の国民に対する直接の支援策であり、過去の自民党時代にはありえなかった方法だったのです。自民党時代には、常に官僚組織が絡んで、補助金やら業界団体経由で税金のばら撒きが行われていました。そのことによって族議員や官僚の権力の源泉として機能してきた制度が、直接に国民に対する援助の形になる事で彼らの既得権が失われたのです。従って、その既得権を取り戻すべく、これらの政策に対して「ばら撒き」という言葉が作られて連日報道し、世論操作が始められて現在も続けられているのです。本当の意味のばら撒きとは自民党が行ってきた、一県一空港の建設、各地の港湾施設の建設、地方の高速道路建設など、作ったのはいいけれど起点となるハブ空港はなく、港湾に至っては大型船の寄港ができないものばかりとか、コンテナヤードの設備の貧弱性などによって、空港も港湾も完全に韓国に後れをとってしまったのです。又、未だに時代遅れの発想によるダム建設を続け、その結果として山林の疲弊や海産物に対する生態系の破壊を進めてしまいました。その結果が財政赤字が900兆円という巨額のつけです。これこそを「ばら撒き」と言わずして何と言うのでしょうか。民主党政策をばら撒きというのはブラックジョーク以下です。

さらに官僚が最も嫌がった事は事業仕分けです。過去、自分たちが勝手に税金の振り分けを行い、好き勝手にしてきた中身を国会議員によって良い悪いを決定されることなど一度もありませんでした。当然、彼らにとってみれば既得権は侵害されるはさらし者にもされるわで面白いはずはありません。ここでもマスコミを使ってありとあらゆる世論操作が始まりました。曰く、科学技術がなくなれば国が衰退する、災害に対する備えや備蓄をないがしろにはできない、等々のもっともらしい言葉が飛び交い今も続いています。本来、国会において予算審議がしっかりと行われていれば事業仕分けのようなものの必要はないのです。その原因は国会での予算審議の在り方です。過去、自民党時代からテレビ中継になるという理由で、野党も与党も地味な予算審議はそっちのけでパフォーマンスを発揮すべく予算以外の事に血道をあげ、肝心の予算の内容についての審議は殆どされていません。結果として官僚の作った予算は何の修正もなく国会を通ってきたのです。この茶番は現在も続いており政権交代の意義が菅直人政権に対して問われています。衆参の予算委員会長は、予算委員会での質問を予算に関する事以外受け付けなければ済む事なのに、何も責任を果てしていません。今後、我々国民が厳しく監視していかなければなりません。

最後は、直近の尖閣諸島問題に代表される諸問題でしょう。尖閣での中国漁船の船長の逮捕から釈放に至る不透明さから、マスコミは又もや菅直人政権の問題を民主党本体の問題にすり替えています。たかが船長の釈放があった事を大騒ぎし、それが弱腰外交と非難するとともに、ロシアの大統領の北方領土の訪問までもが菅直人政権の外交のせいにして大騒ぎしています。全く外交というものを米国一極主義でしか見ない馬鹿げた話です。尖閣の問題の根底には、自民党時代に行われた日中中間線での中国によるガス田開発があることをマスコミは一切報じません。中国がガス田開発を進めてきたのに自民党政権は何も出来ずに建設を許してきたのです。そして既成事実が作られ中国は尖閣諸島の領有権も主張し始めたのです。北方領土に至っては、戦後63年間も自民党は何の結果も残せませんでした。それを北方領土にロシア大統領が訪問しただけで民主党が悪いと騒ぐマスコミは、明らかに民主党を中傷したいだけなのです。ここでも国民は見事に騙されているのです。領土問題で最も罪が重いのは「竹島」の実効支配を自民党が韓国に許した事です。この問題は本当に早期に解決しないと既定事実ばかりが積み重ねられて、本当に領土を失う危険があります。どちらが問題が深いかは明らかなのにマスコミは一切これらについては報道しません。

以上で分かるように、要は既得権益を何としても死守したい官僚やマスコミ、自民党や一部の業界団体や企業は、「民主党は悪い」という世論を形成し元のとおり自分たちの権力に戻したいと日夜、国民に対して世論操作をしているのです。我々はこのような偏った報道などに騙されず、本当に必要な事は何なのかを改めて自分に問うて、政権交代の意義を本気で考える必要があります。確かに民主党も完全ではありません、直すべきところは声を上げて直させなければなければなりません。しかしながら世論操作に乗った状態での全否定は危険です。元の官僚社会主義国家に戻すような愚は犯してはならないのです。一人々々が真剣に考えなければなりません。

検察という巨大権力

日本の検察は、先進諸国では最強の権力集団です。起訴権の他、捜査権や逮捕権を持ち、捜査から起訴、公判を担当しています。そして実質的には、刑確定後の刑務行政も管轄に置いているのです。この検察の中にあり、政治案件を扱う集団が特別捜査部、いわゆる特捜です。

欧米などの先進諸国では、捜査権と起訴権が分立しているのは偶然ではありません。歴史的な発祥はほぼ偶然でありましたが、これらの権利は「自由」を維持するため、意図的に分離されているのです。

しかし、生死をかけて戦い、自由を勝ち取ってきた欧米諸国とは異なり、日本では、そもそも自由という言葉さえ19世紀後半まで存在しませんでした。思想家福沢諭吉がジョン・スチュワート・ミルの「自由論」を翻訳した時、初めて自由という言葉を創ったのです。

日本では、自由の概念が希薄のため、検察特捜への権力の集中がもたらすさまざまな弊害は「権利」という観点でしか議論されていません。「自由」という目的が全く抜け落ちているのです。任意で選出された民間人による検察審査会は、最近、被疑者を強制的に起訴できる事になりました。しかし、ここでも日本人は市民が自分たちで「決定する自由」と「個人の自由」を勘違いしているように思えます。起訴判断が明らかな誤りでも、被疑者には決定の是非を問う権利さえなく、検察審査会の議事内容は非公開なのです。まるで、フランス革命の時の人民裁判と同じなのです。

歴史的には、全ての人に同一の法を適用し、すべての法的特権に反対する事によって、民主主義と自由主義は緊密に結びつきました。しかし、自由主義は政府の機能や権力が制限されることに主眼が置かれ、民主主義は誰が政府を指導するかという問題に主眼が置かれてています。したがって、自由主義は、すべての権力が、たとえ多数派の権力さえも制限されることを要求しますが、民主主義は、現在の多数派意見が政府権力の正統性の唯一の基準とみなすわけです。

日本では、自由と民主主義が混乱し、検察審査会も、それ自身をチェックする機能がなければ、かえって国民の自由を脅かすシステムである事も理解されていないようです。日本の検察や特捜の問題は、日本人自身は気付いていなくとも外国人が被疑者となった時には、本国では重大な人権侵害となると考えられる事が数多く存在します。この問題は、これまでほとんどの日本人は気づいていませんでしたが、とても根が深く、また幅広い問題です。

日本におけるこの問題のルーツは、法的枠組み、法曹界の構造、マスコミ、そして外圧の4つがあると考えています。まず法的な枠組みからお話ししますと、日本の憲法では三権分立が謳われており、検察は我々と同じように、検察庁法により法務大臣の指揮監督を受ける、一行政機関として位置づけられています。

しかし、この検察庁法や刑事訴訟法は同時に、検察が自ら捜査したり、警察の捜査を指揮する法的根拠を与えています。前述のように、外国では意図的に分離されていることが、日本では驚く事に法律で捜査と起訴を許しているのです。

しかも、さらに驚く事は、検察は被疑者の身柄を最大22日間にわたって警察の留置所に拘束し、弁護人の立ち会い無しに被疑者を取り調べる事が出来ます。しかも被疑者にはこれを拒む権利がないのです。

加えて、日本の検察は起訴便宜主義をとっているため、起訴するかしないかの判断は基本的に検察官に委ねられています。このため、検察官は尋問の際、この判断を威嚇として使いながら証言を自分たちに有利な方向へ誘導する事が指摘されています。これは、特に本命の被疑者を有罪に持ち込むために、被疑者の証人に対して行われています。

また実際、自白しないのなら家族を起訴するぞと脅したり、証人に対して、検察に有利な証言をすれば起訴しないなどと、脅迫めいたやり方で尋問が行われている問題が頻繁に報告されています。

なぜ、そのような事が可能かというと、これは日本に独特の極めて不公正と思われる慣習なのですが、日本の裁判では、被疑者が公判で供述を翻して無実を訴えた場合、裁判官は通常、自白があるという理由だけで調書のほうを信用するのです。このため、日本では起訴された99%以上が有罪になるという、外国では信じられないような「調書裁判」というものが行われています。検察官の立場からは、自分たちに有利な調書さえ取ってしまえば、ほぼ有罪が確定するため、無理な事をしても自白を取ろうとするわけです。

さらに日本では、裁判で起訴事実を否認し続けると保釈を認めないという、「人質司法」という実務の運用がなされています。このため被告人としては、長期間に亘って身柄を拘束されるという危険性を覚悟しなけば無罪主張すらできないという状況にあるのです。本当に信じがたい制度なのです。

2つ目の問題は、日本の法曹界の構造的な問題です。検察は法律上は、国家行政組織法の定めるところの法務省の「特別な機関」であり、法務省の傘下にある一組織です。しかし実際には、法務省の主要な部局は検察官が占めているため、組織関係は逆転しているのです。

通常、日本の役所では事務方トップは事務次官ですが、法務省だけはその上に検事総長、最高検の次長、東京高検長と検察官が占める3つのポストがあるのです。法務省は検察官が支配している役所なのです。

そして、さらに重大な事は裁判所との癒着です。日本では、判検交流といって、一定期間裁判官が検察官になったり、検察官が裁判官になったりするなど、検察官と裁判官の人的交流が行われており、これが癒着を生む温床となっています。日本の役所では天下りは非常に重要なことですが、裁判官の退職後の天下り先は、実は検察が世話をしているのです。このほか何かにつけて検察の主流が資金を作って裁判官の面倒を見ているのです。

一方、日本での立法過程は、行政機関である内閣が行う「閣法制度」が原因で役人に丸投げ状態であり、国会は役人から上がってきた法律の文章のチェック機能すら果てしていません。法務省の場合、民法、刑法、商法の基本基本法制の立法に関わる法案作成に携わっていますので、少なくともこれらの法律に関する事では、実務上、三権が検察に集中しているという信じ難い事実があります。日本における99%以上の有罪率もこれによって支えられているのです。

3つ目の問題は、これも闇の深い問題ですが、マスコミの問題です。日本には記者クラブという独特のクラブがあり、政府の取材は通常、記者クラブが独占的に行っています。記者クラブは、欧米諸国にあるプレスクラブのような交流を目的としたクラブと異なり非常に排他的な組織で、大手メディア以外のフリーの記者などは基本的に入会できません。日本のメディアは、この既得権のために競争原理が働かず、大手メディアは政府の事実上の宣伝部門と化しています。日本のメディアが政策論を一切報道せず、政局だけを面白可笑しく報道しているのはこのためです。

検察取材を担当する司法記者クラブの場合、この問題はさらに深刻です。日本の新聞が最も恐れるのは「得落ち」といって、他社が報道する特ダネを自社が逃す事です。これは記者や編集部にとっては死活問題です。検察はこれを良く知っていて、自分たちが伝えたい通りにマスコミが伝えない時や、自分たちに不利な情報が流れると、情報をわざとそのメディアの記者に伝えなかったりするなどの嫌がらせを行い、メディア全体をコントロールしているのです。

最近では、検察に批判的な非常に人気の高かったテレビの政治番組「サンデープロジェクト」という番組が、検察から嫌がらせを受け、親会社の朝日新聞からの圧力で終了に追い込まれるということもありました。検察は、メディアから守られる中で、被疑者を起訴する前に一方的に被疑者に不利な情報を流し続け、メディアの全国ネットを使って、被疑者の悪者イメージを創り上げていきます。これは本当にひどい人権問題です。推定無罪という民主主義の原則は日本では全く無視されます。メディアは情報源を語りませんので、被疑者は言葉の暴力を受け続けるしかないのです。日本ではメディアが本来果たすべき、「権力をチェックする」という役割を果たしていないのです。メディアは戦前の反省をしたはずだったのに、戦後も実態は何も変わっていないのが実情なのです。メディアと一体になった裁判前の社会的抹殺が横行するなら、民衆にとってはフランス革命時の「バスチーユ監獄襲撃」のような手段だけが残された最後の手段と言えるのでしょうが、どういうわけか日本人は全く行動を起こさないのです。

もう一つメディアが悪いのは、一行政作用である検察や特捜に対して「司法」であるかのようなイメージを作り上げ、本来、国会やメディアがチェックをすべき、行政としての検察や特捜をチェックの対象外として世論操作している事です。行政作用である以上、政治的であることを排除できません。こんな当たり前の事が日本では通らず、検察や特捜は「正義の執行者」として祭り上げられているのです。

それから最後の4つ目の問題は、アメリカからの外圧の問題です。これはあまりにも大きな驚きですが、日本は独立国であるにも拘らず、その司法機関や検察がアメリカからの非常に大きな影響下にあるのです。

もともと特捜はGHQが日本軍の隠匿資産を探し出すために組織した部署です。GHQは戦前より検察が持っていた捜査権を取り上げようと考えていたのですが、捜査わしている中で、日本のコントロールにとって都合のいい組織であると分かり残したのです。以降、アメリカとの関係は密接で、現在でも出世組は一等書記官として必ずアメリカに外交官として駐在し、この間さまざまな関係を深めていきます。

アメリカに黙って中国との国交正常化を行った田中角栄元総理や、第七艦隊だけが必要で米軍基地削減を唱えた総理大臣候補であった小沢一郎民主党元代表は、アメリカ支持といわれている特捜の意図的捜査によって政治的生命の危機にさらされています。

圧力は検察だけではありません。何と裁判にも及んでいるのです。例えば有名な「砂山事件」では、在駐日大使が最高裁判所の判事と直接面会し、指示をした事がアメリカで開示された公文書で明らかにされています。

日本では殆ど報道されませんが、こうした文書がアメリカでどんどん開示されているのです。例えばアメリカは、女子大学で政治学を排除して、できるだけこうした問題に日本人が興味を持たないように仕向けたり、検察を通じてメディアをコントロールし、国民がその存在を気付かないように仕向けるなど非常に幅広い情報活動を行っています。

余談ですがマッカーサーが日本を去る時、当時の吉田茂首相に最後に言った言葉とは、「あなたはグッドプライムミニスター(良い首相)だ、だが悪いが日本人の魂は抜かして貰う。グッドバイ」だったそうです。アメリカにコントロールされていても、それに気付こうともしない日本人を見ていると、本当に魂を抜かれてしまったのかのように見えます。

最後にですが、この問題の解決には、まずマスコミが真実を伝える事が大事だと思います。そのためには、一刻も早く記者クラブを廃止する事が必要です。回り道かも知れませんが、これしか方法はないでしょう。

我が国の立法のあり方の問題点

ここで私が提案する以下の問題は非常に壮大な問題です。なかにはそんな事が出来るはずがないと初めからあきらめる方もいると思います。しかしながら、本当の民主国家を実現するためにはある程度の時間と努力が不可欠なのです。あきらめることなく、将来の自分たちの子供たちのためにもよりよい国にするためにご理解をお願いしたいと思っています。

戦後から現在まで、我が国における法律は内閣によって提出された法案、いわゆる「閣法」と呼ばれるものが主流になって成立されています。議員が発議して行われるものは議員立法と呼ばれますが、数々の制約や審議入りまでに至らないものが多く、閣法の成立率が約90%台であるのと比べて議員立法は、たったの10%台といった程度です。

本来、立法行為は憲法の条文通りに解釈すれば、国会が唯一の立法機関にならなければなりません。閣法すなわち政府としての行政府による立法行為は本来は三権分立に違反するものです。しかしながら議院内閣制の下で、かたちの上では国会議員が提出するという事で認められているのが現状です。これは過去の自民党による長い間の一党独裁による、官僚と一体になった政権運営を許した結果の大きな弊害と言って良いでしょう。海外でも議院内閣制を採用している国は多数ありますが、我が国のような閣法制度を取っている国はありません。法律は国会議員による議員立法が主体にならなければ、権力が行政府に偏ったものになる事は明らかだからです。大統領制をとる米国では、政府の法案提出は認められず、議員が提出する法案しか認められていません。

昨年ようやく政権交代が実現し、政治主導が声高に叫ばれるのであるなら、過去の長きにわたる立法制度を変えるために「内閣法」に明記されている政府の法案提出を認めないか、又は現在、議員立法に課せられているような厳しい制限を政府側に課す事にするなどの改定が求められます。又、これに伴い、各省庁にある法律策定に関係する組織も解体する必要があります。代わりに国会における法案策定のための組織を現在の「法制局」のような中途半端なものではなく(せいぜい100名程度しかいない)、海外のように大幅に専門家や職員を強化すれば、数千人は存在すると言われている各省庁の法案策定要員も不要に出来て一石二鳥とする事ができると言われています。

最も問題となる点は、肝心の国会議員たちの資質です。長年にわたる法律策定という重要な仕事の殆ど全てを官僚組織に任せっぱなしであった事を考えると、一体どの位の議員たちが自分たちで法案の策定を主導しようとする事が出来るでしょうか。殆どの議員たちは自分たちが立法府の職員である事すらを忘れている恐れが十分にあるのです。これを実行させるためには我々国民の声を国会議員たちに大きく届ける事です。民主国家になるために、この過程は絶対に避けては通れません。

何度も自分が主張している事は、国会議員は国民が選出し、自分たちのためにならないと判断すれば交代させる事が出来ます。しかしながら国家公務員などの行政府の職員は国民が選んだものではありません。これらの職員が立法や司法に関わる権力を持ったなら民主国家は成り立ちません。現在の法律のどれを見ても明らかのように、政治家に対する規制や責任を求める法律はいくらでもあります。しかしながら官僚と呼ばれる上位の国家公務員を含む、行政府の職員に対する責任や規制を明確にした法律はどれだけあるでしょうか。何か不正をしても、民間であれば懲戒免職にされるような事が曖昧にされ、我々の目の届かない所で依願退職などという形で処理されるような無法状態が何も改善されずに延々と続いています。これは明らかに国会議員によって法律が正しく制定されていなかったり、既存の法律が適宜に改廃がなされていない事から起きているのです。どうか原点に立って考えて、本来あるべき形に国家を変える努力を続けようではありませんか。それが我々の子供たちに対する大きな責任であると思います。

官僚側の反転攻勢が始まった

尖閣問題によって中国に対して屈服したかのように見える決着により、マスコミは今までの菅政権に対してガラリと態度を変えて非難の大合唱となったようです。おまけに北方領土にはロシアの大統領が訪問した事により、外交政策がまるで駄目と大合唱です。一体、マスコミの言っている外交政策とは何を指しているのか意味が分かりません。とにかく「成り上がり者」の中国に屈した事が気に入らない、だから弱腰外交、結果として北方領土にもロシア大統領が訪問した。これが論理展開のようです。しかし本当なのでしょうか?

そもそも領土問題で言えば、自民党の責任の方がはるかに重い事が分かります。まず一番目には、安倍政権の時に起きた韓国による竹島の実効支配です。この時、我が国は何の対応もせず、指をくわえて見るだけで韓国に易々と実効支配を許してしまい、その後も何の外交手段もとらずに今日に至っています。次に北方領土です。これは結果からいえば60年以上も何もせずに放置されたままと言っていいでしょう。何度も返還のタイミングがあったにも拘らず、具体的には何も実現していません。最後は辺野古を含む沖縄の基地問題です。普天間という危険な軍事基地の除去のために辺野古に基地を新設すると言いながら、結局13年間も政権交代に至るまで何もせずに先送りされ続けました。おまけに、米軍のためのグァム移転用の巨額の費用について、支払いだけはさっさと決められたのです。一体、自民党のどこに外交政策があったのでしょうか。もともと自民党という政党は官僚と一体になって権力維持を続けてきた「官僚社会主義」政党なのです。

政権交代した民主党の政策には、大手マスコミの新聞とテレビなどを分離する「クロスオーナーシップの禁止」などがありますが、それを主張する小沢一郎と言う稀有な政治家に対して、マスコミは2年以上にもわたる意図的な中傷を続け失脚させようという試みが止まっていません。日本のマスコミによる民主党に対する非難は異様です。普天間の代替問題について国外、県外を模索すると「日米関係が壊れる」と大騒ぎし沖縄県民の意思は無視されました。結局、鳩山政権は辺野古に戻る決断に変えるしかありませんでした。今回の尖閣の中国漁船の問題も、冷静に考えれば一体どのような被害を我々国民は受けたのでしょうか。具体的な被害などなく、実態は前記に記したように、我々日本人としての未だに抜ききれない「成り上がりの中国」という、鬱屈した感情でしかありません。現実を見れば、今の中国を抜きに日本の経済も我々の生活も成り立つのでしょうか。その事を何も語らず、ただ「外交が迷走」とか「方針なき内閣」などと騒ぎたて、国民の民主党に対する反感を煽り続けているのです。この背景にあるものは、明らかに自民党と官僚による権力の復権のための世論操作である事は間違いないでしょう。

このような中で海上保安庁の職員によるビデオ映像の流出が発覚しました。流出したこと自体について、マスコミの論調は、極めて異常な事に、犯人擁護の方向で一致しています。また、おかしいことに読売テレビに対して自分が流出させた事を海保内で申し出る4日も前に接触している事です。これは明らかに意図的に準備期間を与えることで、自分たちに有利になるような世論操作を行うという意図があるように思えます。また犯行に至るまでの事を記したメモと称するものまでがマスコミによって流されています。さらには流出させた動機として「国民の知る権利」などと言っているのに、過去に起きた沖縄返還時の密約を暴露した西山事件については「国益を損なうもの」と断定しています。明らかに密約を暴露しない方が国民の知る権利を侵害しているにも拘わらず、これについては国民の知る権利は排除し、今回の流出は国民のためとする意見は詭弁にすぎません。この理屈は官僚側の発想にすぎない事は明らかです。また、今後の捜査も官僚主体で進められている限り、決して真相は明らかになるとは思えません。このような行政側による意図的な反政権のための行為を正当化する事になれば、もはや我が国の民主主義は全く機能しない事になります。さらに逮捕も起訴もされないとなると、一体、小沢氏の3人の秘書たちの逮捕、起訴はどう説明するのでしょうか、被疑事実は単なる2ヶ月の記載のズレだけで、通常は訂正で済まされる事なのです。こんな事が起きれば我々は一層この国の警察や検察に対する不信はひどくなるばかりでしょう。

民主国家では選挙によって代議員を選出し政治が行われます。行政府の職員たる公務員は国民が選んだものではありません。従って、公務員が議員たちの決定する政治に対して反対することで妨害行為をする事は、断じて許される行為ではありません。例え政治家の決定が悪いものであっても、我々はそれらの決定をした政治家を変える事は出来ますが、公務員を変えることはできません。国民がこの認識を間違えると大変な事になります。今後の我が国の体制を本当の民主主義にするためにも、我々国民は官僚側の権力維持のための反乱は絶対に許してはならないのです。
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