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なぜ国民は自民党のした事を簡単に忘れてしまうのか

民主党の政権交代以降から1年以上たった現在まで、マスコミによる「政治とカネ」などのいわれのない事実無根の執拗な世論操作が続いています。この国は何のために政権交代したのか、再度皆さんに問いかけてみたいものです。また民主党には外交政策や安全保障政策がないとマスコミがさかんに騒ぎたてていますが、本当にそうなのでしょうか。それらも検証してみましょう。

まず外交政策の中での領土問題です。尖閣での中国漁船問題でマスコミは菅政権の中国に対する姿勢を弱腰であると非難しました。しかし何をもって弱腰などと言っているのでしょう。単に漁船の船長を釈放した事がなぜ弱腰外交なのでしょうか。この問題は船長を逮捕したことの是非の問題を争点にするべきで、釈放の是非を争点にする意味はないのです。外交とは究極の国益追求のための他国とのやり取りです。その意味では最後に結果が良ければ手段などは関係ありません。表で非難しながら裏では違う事を行うなどは日常茶飯事の出来事です。船長を釈放したからと言って「弱腰外交」などと単純に結びつけるマスコミや評論家たちの主張は噴飯ものでしかありません。今や我が国の経済が中国抜きで成り立つことはあり得ないのは事実です。この事実を無視した外交交渉はあり得ません。中国の台頭を面白くないと見る国民が多い事は事実でしょう、だからといってたかが一人の漁船の船長の釈放をあれだけ騒ぐ異常さを誰も指摘しない事に驚きます。尖閣は中国の領土だと相手が騒いでいても、我が国がしっかりと対応していれば問題はないのです。それをあたかも占領でもされたかの如く騒ぐマスコミの対応には辟易します。それならば竹島に関する自民党の政策はどうだったのでしょうか。

1956年に韓国は竹島を韓国領土と宣言しました。それ以来、今日まで竹島の問題は解決していません。韓国による度重なる実効支配を放置した自民党政権は問題の先送りばかりで曖昧な態度しか示して来ませんでした。結果として我が国は、相手が強く出ると何もできないという既成事実を作ってしまったのです。これを「弱腰外交」と言わずして何と言うのでしょう。尖閣は中国に実効支配されたわけでもありません。それに比べれば自民党が行ってきた竹島の対応は本当にひどいものです。

同じような事は北方領土と日中中間線の中国によるガス田開発についても言えるでしょう。北方領土については政権交代までの60数年にわたり何も解決していません。本来、二島返還についての合意があったのですが、結局は米国の反対を押し切る事が出来ずに何もできずに年月だけが過ぎ、ロシアの既成事実の積み重ねだけが大きくなってしまっています。同様に中国のガス田開発に対しても自民党は何もしませんでした。相手が行ったなら我が国も同様に対抗措置として中間線での開発をしろとの話が何度も持ち上がり、その都度、何の実行もなくいたずらに年月だけが過ぎて、結局は中国の酷いやり方を黙認した形になってしまったのです。これこそ何の外交政策もない見本のようなものでしょう。

さて、安全保障問題についてはどうでしょう。政権交代して鳩山元首相が普天間基地の移設に関して県外や海外を模索すると、日本のマスコミは何と言ったのでしょう。驚いた事に「日米関係が壊れる」の大合唱でした。そして民主党は安全保障が何も分かっておらず、方針もないと非難し続けたのです。結果は辺野古の移設に合意せざるを得ない状況に追い込まれました。しかしマスコミは民主党を非難する資格があるのでしょうか。そもそも辺野古への移設は自民党が13年前に決めた事を地元の反対のために今日まで先送りにされてきた事実は忘れたのでしょうか。自民党の無策をを無視して、民主党が政権をとって辺野古以外の対応を考慮する事を、なぜマスコミは非難できるのでしょう。沖縄の基地問題は、米国との安全保障条約の何たるかを正確に把握していないマスコミや評論家達の重大な責任を考えなければなりません。国家の防衛を100%他国に依存している国が世界のどこにあるでしょうか。こんな基本的な事を抜きにして、米軍が沖縄に存在すれば我が国の安全保障が全て解決するかのような考えは幻想にすぎません。米国は自国の国益を考えて沖縄の基地に米軍を常駐させているだけです。確かに米国の核の傘に守られるという事実はあるにしても、現実に紛争が起きた時に米国が自国の国益を無視して他国と交戦してまで我が国を守ってくれる保証などないのです。日米安全保障条約は大事なものですが、所詮は外交政策の一つと考えなければならないものであり、それを安全保障問題の結論にする事は大きな間違いです。自国を守る基本は、外交政策を含めたあらゆる努力を自国民が行うものです。決して他国がしてくれるものではありません。その意味では自民党の安全保障政策はすでに時代遅れの遺物にすぎません。世界はすでに米国一極主義では何も解決しない時代に変わっているのです。

この他にも自民党時代には、天下り問題やグリーンピアなど税金の無駄遣いの放置、年金業務の怠慢からくる支給の不正などの、官僚との癒着による数々の弊害がありました。さらには小泉政権から続いた老人医療や派遣労働など、弱者に対するセーフティーネットなしの米国もびっくりの自由主義経済の追及による国民生活の疲弊など、枚挙にいとまがありません。政権交代して1年と少ししか経っていないのに我々はこれらの事をもう忘れてしまったのでしょうか。政権交代すれば全てが解決すると期待したのは確かです、そして菅直人政権の公約破りも許せないものがあります。しかし我々が望む事は「官僚国家」ではない「民主国家」の実現です。私は決して民主党が全てと言うつもりはありません、しかし1年やそこらで全てが変わると考える事は早計に過ぎるのではないでしょうか。国家の形態を変えるためには紆余曲折はあるでしょう、そしてそれなりの時間がかかることも理解する必要があります。短絡的に新政権を非難するだけでは何も変わりません、過去60数年も続いた自民党による官僚国家という形態を変えるにはそれなりの忍耐も必要なのです。菅直人政権がダメなら他の民主党議員たちによる政権に託すことを考えるべきです。我々が国民のための政治を願っ、てようやく政権交代をさせた政党が今のところ民主党以外にないという現実を考え、混乱しているように見える今こそ国民一人々々が政治に対して真剣に考える事が求められているのです。
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我が国には政治的保守もないし民主主義もない

本来の政治思想としての保守思想とは17世紀初頭の英国にあった近代保守主義をさしているものです。この中核をなす考えは、人間の思考に期待しすぎずに「人は過ちを犯すし、完全ではない」という謙虚な考えを前提にしたものです。また先祖たちが獲得してきた「知恵としての伝統」が慣習の中に凝縮されていると考えて伝統を尊重するものです。そして伝統は「相続財産」であり子孫に相続させる義務があるものと考えているのです。従って、我々が未来へ進むためには、過去を単なる回顧主義で見るのではなく、歴史から学んだ事を必須条件とした上で、どのように未来へ進むか考える事を基本にしているのです。「保守」という言葉は決して我が国の戦前の「国粋主義」のような偏った考えを指すのではなく、もっと広範な考えに基づくものなのです。政治思想としての保守が歴史から学ぶ事を基本にしているからには、それなりの政治的な歴史が必要です。その意味で言うなら、我が国が近代国家として歩み始めたといわれる明治時代を起点にして数えると、我が国に政治思想があると考えられる年月は、僅かに140年そこそこどころか、もっと少ない期間しかないのです。このように短い歴史しかない我が国に「政治的保守」などと言える思想が本当にあるといえるのでしょうか。

一般的に自民党は保守政党と呼ばれていますが、思想的には何のバックグラウンドもなく、単に戦後の革新政党と呼ばれる社会党などとの対比だけで「保守」という言葉が使われているだけであって、実態は米国一極主義の官僚と一体化した「官僚社会主義」と定義されている政党なのです。この事実を多くの国民は正確に理解しておらず、単に政権与党としての長い歴史からだけで「保守政党」と勘違いしています。我が国の戦後に与えられた民主主義といわれるものの歴史は、たかだか65年しかないのです。そこに政治的思想としての「保守」が生まれる余地などありません。

従って「民主政治後進国」と呼ばれる我が国には確たる保守という思想もなく、海外の国々と違って民主主義というものが、長い歴史の中で祖先が血を流して必死になって獲得したものではなく、敗戦によって連合国により与えられた制度に過ぎないため、非常に歪んだ形で制度化されてきています。最大の問題は、最も大事にされるべき「権力の分立」の基本となる三権分立が機能していないことです。

この結果、政治主導を掲げても実態は行政府である官僚による法律の策定(閣法制度)がなされているので、政権交代をしても殆どの実権は未だに官僚の手からは離れずに存在しています。日本における保守の実態は、ある意味では明治以来の官僚制度が「悪しき保守」になると言えるでしょう。ここで間違えてはならないのは「官僚」という定義です。官僚は単なる公務員であり、英語でいえば「Public Servant」すなわち「公僕」です。国民は国会議員を選挙で選び、その多数を持って政治を委任します。しかし官僚は単なる公務員なのです。国民に選ばれてもいない官僚が勝手に国家を動かすような国は本当の意味の民主国家ではありません。その意味で、明治以来の官僚主導による国家運営を「悪しき保守」と述べたのです。

この国を本当の意味の民主国家にするためには、この官僚による「悪しき保守」という制度を変えられるかが最も大事な点でしょう。そのためにも国会議員たちの意識改革と共に、憲法に規定されるように、国会議員たちによる「国会を唯一の立法機関」として戻す事が最重要課題です。官僚による行政府での立法行為を禁止し、司法たる裁判官と行政機関である検察との人事交流を行っている「判検交流」なども法的に禁止して、実質的な三権分立を確立する必要があります。真の意味での民主国家には道半ばであることを自覚して、我々がしなければならない事は、まだ山のように残っている事を自覚しなければなりません。政権交代した事をよく考えて、安易にもとの官僚国家に戻るような愚を犯さない事を祈ります。

何のための政権交代だったのか

現在、菅直人政権が次々と行おうとしている民主党の公約破りに加え、自身の判断ミスについてのマスコミや野党側からの下らない追及によって「政権交代は何だったのか?」という疑問の声が国民から上がり始めています。この問題については、以前の記事に何回も書かせてもらいましたが、改めて意見を述べさせていただきます。

まず現状の問題は、「菅直人政権の問題」をマスコミや官僚の世論操作による「民主党そのものの問題」として論理がすり替えられている事があります。本来、鳩山前首相と小沢前幹事長の時には「国民の生活が第一」という選挙公約に従い、数々の政策が設定されました。勿論、中には辺野古の問題のようにマスコミや官僚による激しい世論操作の圧力により後退してしまったものもあります。少なくとも鳩山政権の時には、現在の菅政権のような官僚寄りにかじを切ったような政策はありませんでした。この原因については以前にも書いた、官僚社会主義国家を守りたい守旧勢力による「政治とカネ」、「ばら撒き」のようなもっともらしい、しかし実態のない言葉による世論操作と、小沢一郎に対するいわれのない政治資金規正法を使った政権の座からの追い落としの企みがあります。

では、菅直人政権の問題について言及します。まず、財政赤字に関する問題と税金があります。本来、政権交代時の公約では、これまでの官僚と一体化した自民党政権による数々の無駄な政策や特別会計を一般会計化することで財源を作り、消費税などの国民負担は改革の後に考えるとするものでした。しかしながら参院選の前に退陣させられた鳩山氏に代わり首相になった菅直人は、唐突に消費税の問題に言及したのです。明らかに国民は「おかしい」と感じました。結果は参院選で大敗北し、衆院と参院での「ねじれ」を生んでしまいました。

次に最も重大な問題は予算の組み方でした。本来、政権交代後に初めて民主党独自の予算編成がなされるものと期待されたのに、実態は自民党時代と変わらない官僚主導による予算編成方式がなされました。ここでも国民は「おかしい」と感じました。特別会計については一般会計に組み込まれる事はなく、政治ショーと化した「事業仕分け」の一つとして誤魔化されてしまいました。先に行われた民主党の代表選で戦った小沢一郎の方針こそが民主党公約に従った考えであったにも拘らず、ここでも菅直人は国民を裏切ったのです。

さて、マスコミや野党が騒いでいる外交問題はどうでしょうか。尖閣での中国漁船の問題については、取扱いに多少の問題があったとしても、大騒ぎするほどの問題とは思えません。むしろマスコミが変なのは、鳩山前首相が辺野古の問題を、県外や国外を模索した時に「日米関係が壊れる」と大バッシングしたにもかかわらず、菅直人政権が辺野古寄りの決定をした事については沈黙したままです。そして瑣末な尖閣での中国漁船の取り扱いを持って「外交戦略がない」というバカげた非難のオンパレードとなりました。まるで尖閣諸島が中国に占領されたかのような騒ぎ方にはあきれるばかりです。さらには中国に対しては弱腰であったから、ロシア大統領が北方領土を訪問したことも菅直人政権のせいだと騒ぐ始末です。本当にあきれた対応ですが、国民はまんまと世論操作されてしまっています。現在の中国抜きで我が国の経済が成り立つと思っているのでしょうか、たかだか船長を釈放したからといって実際に何も被害があったのか冷静に考えるべきです。外交とは国益全体を考える究極の騙しあいなのです。むしろ我々国民が本当に考えるべきは、沖縄における米軍の基地問題です。マスコミや官僚寄りの評論家たちは、安全保障問題になると未だに昔ながらの米国一極主義の考えで、沖縄の基地は必要だと声を揃えます。確かに米国の傘の下に守られている事実はあるとしても、日米安保条約によって我が国を米軍が守ってくれるなどと言う幻想は持つべきではありません。一体どこの国が他国の国土を守るために、自国の国益を無視して自国の兵士の血を他国のために流すでしょうか。ありえない事です。国家の防衛は、その国がしなければならないのは当たり前の事です。その冷徹な事実をひたすら覆い隠し、これまで日米関係さえ守っていれば我が国の安全は保障されるというバカげた考えは捨てなければなりません。我々は沖縄の基地問題を「自国の防衛」という問題にして本気で考える必要があるのです。自民党時代に何も考えずに米国に隷従してきたやり方では決して国は守れません。菅直人政権へのいわれのない外交や安全保障に対する非難は当たっていません。むしろ、過去の自民党時代のやり方に戻るような米国に隷従するようなやり方こそを非難するべきなのです。

最後に、国会のあり方の問題があります。菅直人は首相になった時に「この国の法律の制定方法は三権分立の通りではない。」と明言しました。これは従来から続けられてきた我が国の行政府による内閣の立案する法律が優先的になされている事(閣法制度)を示しています。この閣法制度は、基本的に各省庁の官僚により立案されて制定されるものであり、実質的に行政府が立法行為をしている事を認めている重大な問題です。官僚の権力の源泉と言っても過言ではありません。これは時間をかけて絶対に変える必要がある制度です。また、予算審議については、過去の自民党時代からまともに予算内容の審議がなされていないために、官僚が作成したとおりに予算が通っている事になっています。これも変える必要がありますが、菅直人政権のもとでは何も変わっていません。これも「おかしい」のです。

これらの実質的な諸問題以上に、マスコミは下らない尖閣の中国船の映像とか、閣僚の言質をとらえたような下らない問題ばかりで菅直人政権を非難し、国民は民主党による政権交代を何のためにしたのとを疑問視し始めたのです。今の国民の状態は「木を見て森を見ず」の状態にさせられていると言って良いでしょう。せっかく過去の長きにわたる官僚主導の国家運営を変えるための政権交代を元に戻してはなりません。菅直人政権が悪ければ変える必要もあるでしょう。しかし民主党を全否定して過去の国家形態に戻しては何にもなりません。「森」とは目指すべき国家形態の事で、「木」とは現在の菅直人政権です。国家の形態を変えるには時間と忍耐が必要なのです。私は決して民主党が全てと言うつもりはありません、政党は単なる手段にすぎません。しかし現在、民主党政権を変えても何にもならない事は目に見えています。このように混乱しているかに見える今こそ、紆余曲折があるにせよ、その目的である官僚国家ではない民主国家の実現のために国民一人々々の熟慮が求められているのです。

怒りの対象が違っていませんか

新聞やテレビが、政権交代以降、事あるごとく民主党政権のネガティブキャンペーン報道を繰り返してきた事は、前回の記事で説明しました。直近の最も顕著な出来事では代表選に見られた菅直人と小沢一郎の対決でしょう。全てのマスコミは申し合わせたかの如く菅直人の応援を行いました。理由は簡単です、何度も説明してきましたように、マスコミや官僚達にとって最も都合の悪い小沢一郎が総理大臣になっては困るからです。世論操作によって国民の多数は菅直人を望んでいるかのごとく連日、報道がなされ、結果として小沢一郎は敗れました。

さて、ここで興味深いのは、新聞テレビの行ったとされる世論調査の数字です。菅政権の発足時は、マスコミの行った反小沢キャンペーン通りの組閣がなされるや、60%以上の支持率があると連日、報道されました。明らかに意図的な数字の操作があったと言わざるを得ないでしょう。なぜなら、国民の多数は、代表選のさなかで行われた二人の候補者の所信表明演説において、明らかに小沢一郎の言葉の方に圧倒的な共感を持ったからです。それを隠すような「世論調査」という言葉で国民を騙すための数字作りが行われたと言わざるを得ません。

ついで起こった尖閣諸島における中国漁船の問題で、菅政権の対応がまずかった事は事実ですが、その事で直接の被害を我々国民が受けたわけでもないのに、今度は一斉に、手のひらを返すように政権に対する猛攻撃が始められたのです。特に中国漁船の船長の逮捕の原因となった、漁船の行動についてのビデオの取り扱いをめぐり国会で紛糾し、終いには、あろうことか海上保安庁の職員によって映像が流出されてしまいました。

ここでもマスコミと官僚側の信じられない行動が起きたのです。良いにつけ悪いにつけ、政府が公開しないと決定したものを、国民感情が納得しないとかいう理由によって、行政側の一職員が勝手な行動をとったにも拘らず、検察と密接に連絡をとっていた警察は海保職員を逮捕も起訴もしませんでした。法の下では国民感情など関係なく、法律の定めに従って裁かれなければならない事が、官僚側の恣意的な判断で不問に付された事は重大な事です。にも拘らず、ここでもマスコミは沈黙したままです。その代わりに、情報が流出したとして政権側の関係する大臣に対しては責任問題が連日、新聞、テレビを賑わしました。一体この国はどうなっているのでしょうか。

さらに、法務大臣が自分の就任パーティーで述べた事が「国会軽視」などと騒ぎたて、野党自民党を先頭に大臣の罷免を求めるなど、およそ国会とは言えないような対応が連日繰り返され、マスコミも政権側の攻撃を繰り返しています。国会では予算の中身を議論もしないくせに、大臣の言葉に対して国会軽視とは全く馬鹿げた、本末を転倒した話です。国会軽視の対象は、何十年も予算の実質的な討議をしない国会議員全員です。

これだけ連日にわたり下らない事を報道していれば、それを見ている国民も不満が募り政権非難に向かうのは当たり前と思います。事実、又してもマスコミの行っている世論調査では、菅政権の支持率は急降下しているのです。正にマスコミと官僚の描いた筋書き通りに事が運び出したのです。その合言葉は、「菅政権が悪い」ではなく「民主党が悪い」です。このまま国民が騙され続ければ、間違いなく民主党そのものの支持率は大幅に減ってゆくと思われます。決して民主党だけが良い政党と言うつもりはありません。しかし本当に民主党を全否定して昔の状態に戻す事が良いのでしょうか。

我々は、昨年なぜ政権交代を選択したのでしょう。それは、過去60年以上にわたる自民党という官僚と一体化した政党が、国民を見ることなく税金が使われ、何の変化もなく政治が進められている事に我慢がならず、ついに政権交代を実現したはずなのです。しかし、大多数の国民は我が国のこれまでの国家形態が「官僚主体の国家」である事を正確に認識しているわけでもなく、本格的な政権交代が初めての事であっった上に、連日のマスコミによる新政権へのネガティブキャンペーンも相まって、政権交代しても何も変わらない、と勘違いし始めたようです。冷静に考えれば、国家の形態を変える事は大変な労力と時間がかかるものなのです。それを説明してこなかった民主党にも責任はあります。そして、その工程を国民に対して明確に示してこなかった事も大変な失敗であると思います。残念ながら、国民は「政権交代したのだから結果はすぐに出るもの」と勘違いしている事に、今も気が付いていません。「何も変わらない、何も良くならない、悪いのは全て新政権の民主党だ」という構図が出来上がったのです。

でも、ちょっと待ってもらいたいと思っています、まずここを見て下さい。タイトルにも書いたように、我々は怒りの対象を安易に民主党だけにぶつける事だけで本当に全てを解決できるのでしょうか。その前にもう一度、何に対して怒るべきか良く考えて、本当にどのような国家を目指すのかを一人々々がしっかりと判断する事が求められているのです。短絡的にもとの自民党による「官僚社会主義国家」に戻せば、せっかく実現に向かって動き始めた民主国家に対する歩みが止まってしまいます。それだけは避けるためにも、今一度の熟慮が求められている事を考えて欲しいと願っています。

検察問題を再度、提言します

日本の検察の特別捜査部、いわゆる特捜は他の民主国家と異なり、巨大な権限を持つ異常な集団です。国民の大多数は、特捜が「司法組織」に属するのではなく政府の「行政組織」の一つであることを認識していないと思われます。また、過去の事件の摘発などから「正義の味方」のような取り上げられ方をマスコミによってされてきたことから、その内在する問題点に殆ど気付くことなく今日まで来てしまいました。幸か不幸か、つい最近の厚生労働省の村木さん事件において、特捜の検察官による証拠の捏造が発覚したことで数々の問題が指摘され始めています。これから、それらの一つにでも役に立つ事を願って提言をさせて頂きます。

第一の重大な問題は、諸外国では一つの組織に権限が集中しないように、捜査権と起訴権は完全に分けられていていますが、我が国の検察特捜は起訴権の他に捜査権と逮捕権も持っている事です。従って、初めから起訴を目的とした意図的な捜査が可能なのです。ここで問題となるのが裁判における有罪率です。他の民主主義国家と異なり、我が国の有罪率は99%と、殆ど起訴イコール有罪の図式が成り立っている事です。これは裁判において、殆どの裁判官が検察や警察が作成した「調書」に基づいて判断をしてきた事に原因があります。そのため、一旦、検察によって捜査が開始されると、被疑者はその時点で有罪扱いされてしまいます。この国には推定無罪の原則が検察にもなく、それを報道するメディアや、それに踊らされている国民にもありません。これが最初に指摘すべき重大な点です。

次の問題は、我が国の裁判が「調書裁判」と言われるほど裁判で判断の基準とされる「調書」の問題と、それについての構造的な問題です。検察と裁判官には見えない癒着があると指摘されています。検察という組織は行政組織である法務省の一機関であるのに、その職員である検察官は、一定期間、司法組織の裁判官になったり、逆に裁判官が検察官になる「判検交流」という人事交流がなされています。さらに、裁判官の天下りなどについても何かにつけて全て検察が面倒を見ているのです。このように権力の分立を憲法が規定しているにも拘らず、司法と行政が一体化されている事実があることを国民は殆ど気付かされていません。

このため、検察特捜も警察も有罪になるような「調書」さえとれば裁判になる前に被疑者の有罪が確定したかのような状況にあるのです。被疑者は閉鎖された環境の中、普通の人であれば耐えられないような状況で最大で22日間も留置場に拘束され、弁護士の立ち会いも許されずに尋問が延々と続けられるのです。また検察は「起訴便宜主義」というものに基づき、起訴をする、しないの判断が許されているため、被疑者が容疑を認めないと関係者を参考人として取り調べ、関係者を起訴する事をほのめかすことで被疑者に不利な証言などを無理やり作り出している事が指摘されています。

このような事が過去何十年にもわたり常態化して続けられてきた結果、今回の証拠の捏造が特殊な事例ではなく、日常的に行われていた可能性は十分にあると思われます。これは検察特捜だけの問題だけではなく、警察においても同じ状態である事が数々の事例によって証明されています。本来、特捜のように起訴権までは持たない警察は、捜査権に基づいて捜査し、証拠によって被疑者を検察に送り(送検)、検察がそれらを調べたうえで起訴をする、しないの判断をするのですが、最近では「高知白バイ事件」と呼ばれる事件で、警察の組織ぐるみの証拠の捏造と、それを一切チェックせずに最高裁判所までの全ての裁判が実質的な審理を放棄した事実があります。この国の裁判は「正義を行う場」ではなく、検察や警察による恣意的な「被疑者を有罪にする」という仕事場になり果てているのです。

以上のように、この問題は決して他人事ではなく、明日は我が身に降りかかるかもしれない非常に重大な問題なのです。決して他人事と思わずに、捜査から起訴、裁判に至るまでを、本来あるべき姿にする努力を我々全員がしなければなりません。そのためにも、取り調べの「完全可視化」と検察、警察が調べて所有している、現在は信じられない事に提出義務がない「全ての証拠の提出」を義務にして、法律に規定する必要があります。
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