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検察問題を再度、提言します

日本の検察の特別捜査部、いわゆる特捜は他の民主国家と異なり、巨大な権限を持つ異常な集団です。国民の大多数は、特捜が「司法組織」に属するのではなく政府の「行政組織」の一つであることを認識していないと思われます。また、過去の事件の摘発などから「正義の味方」のような取り上げられ方をマスコミによってされてきたことから、その内在する問題点に殆ど気付くことなく今日まで来てしまいました。幸か不幸か、つい最近の厚生労働省の村木さん事件において、特捜の検察官による証拠の捏造が発覚したことで数々の問題が指摘され始めています。これから、それらの一つにでも役に立つ事を願って提言をさせて頂きます。

第一の重大な問題は、諸外国では一つの組織に権限が集中しないように、捜査権と起訴権は完全に分けられていていますが、我が国の検察特捜は起訴権の他に捜査権と逮捕権も持っている事です。従って、初めから起訴を目的とした意図的な捜査が可能なのです。ここで問題となるのが裁判における有罪率です。他の民主主義国家と異なり、我が国の有罪率は99%と、殆ど起訴イコール有罪の図式が成り立っている事です。これは裁判において、殆どの裁判官が検察や警察が作成した「調書」に基づいて判断をしてきた事に原因があります。そのため、一旦、検察によって捜査が開始されると、被疑者はその時点で有罪扱いされてしまいます。この国には推定無罪の原則が検察にもなく、それを報道するメディアや、それに踊らされている国民にもありません。これが最初に指摘すべき重大な点です。

次の問題は、我が国の裁判が「調書裁判」と言われるほど裁判で判断の基準とされる「調書」の問題と、それについての構造的な問題です。検察と裁判官には見えない癒着があると指摘されています。検察という組織は行政組織である法務省の一機関であるのに、その職員である検察官は、一定期間、司法組織の裁判官になったり、逆に裁判官が検察官になる「判検交流」という人事交流がなされています。さらに、裁判官の天下りなどについても何かにつけて全て検察が面倒を見ているのです。このように権力の分立を憲法が規定しているにも拘らず、司法と行政が一体化されている事実があることを国民は殆ど気付かされていません。

このため、検察特捜も警察も有罪になるような「調書」さえとれば裁判になる前に被疑者の有罪が確定したかのような状況にあるのです。被疑者は閉鎖された環境の中、普通の人であれば耐えられないような状況で最大で22日間も留置場に拘束され、弁護士の立ち会いも許されずに尋問が延々と続けられるのです。また検察は「起訴便宜主義」というものに基づき、起訴をする、しないの判断が許されているため、被疑者が容疑を認めないと関係者を参考人として取り調べ、関係者を起訴する事をほのめかすことで被疑者に不利な証言などを無理やり作り出している事が指摘されています。

このような事が過去何十年にもわたり常態化して続けられてきた結果、今回の証拠の捏造が特殊な事例ではなく、日常的に行われていた可能性は十分にあると思われます。これは検察特捜だけの問題だけではなく、警察においても同じ状態である事が数々の事例によって証明されています。本来、特捜のように起訴権までは持たない警察は、捜査権に基づいて捜査し、証拠によって被疑者を検察に送り(送検)、検察がそれらを調べたうえで起訴をする、しないの判断をするのですが、最近では「高知白バイ事件」と呼ばれる事件で、警察の組織ぐるみの証拠の捏造と、それを一切チェックせずに最高裁判所までの全ての裁判が実質的な審理を放棄した事実があります。この国の裁判は「正義を行う場」ではなく、検察や警察による恣意的な「被疑者を有罪にする」という仕事場になり果てているのです。

以上のように、この問題は決して他人事ではなく、明日は我が身に降りかかるかもしれない非常に重大な問題なのです。決して他人事と思わずに、捜査から起訴、裁判に至るまでを、本来あるべき姿にする努力を我々全員がしなければなりません。そのためにも、取り調べの「完全可視化」と検察、警察が調べて所有している、現在は信じられない事に提出義務がない「全ての証拠の提出」を義務にして、法律に規定する必要があります。
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