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オバマ大統領年頭教書演説の概説

参加者への挨拶とアリゾナ州ツーソンでの銃撃被害を受けたギフォード議員へのねぎらいと国民の団結や米国の理念の重要性の喚起。そこから来る未来へのあるべき姿への党派や政策を超えた協調した行動のお願い。

危機にさらされている事は、次の選挙でだれが勝つかではなく、未来の産業や職が米国に根ざすのか他国になるかと言う事である。最悪のリセッションを経て2年、我々は進歩に対して向き合う覚悟でいる。景気は回復基調になっているが、その事実だけではないさらなる進歩のための対策を考えている。それは国民の成功に基づく子供たちに引き継げるより良い生活の実現である。それこそが国民と政府が共に願う計画である。そのために昨年の12月には減税を行い国民に還元がなされた。

しかしながら、このリセッションで後退させられた事を、さらに進めるためにしなければならない事がある。多くの人々は、これまでそこそこの収入のある職に就くのはそれほど難しい事がなかったと記憶しているだろう。しかし世界は変化した、痛みを伴って。シャッターが閉ざされた工場や商店にそれを見たし、人々がある日突然ゲームのルールが変わって、給料が減ったり職を失ったフラストレーションを感じる。

その通り、ルールは短い間に劇的に変化してしまった。技術の革新によって千人の労働者を必要とした鉄鋼工場は100人で済む。今日ではインターネットによってどの会社も店舗を開け、雇用ができ、製品を売ることができる。一方、この新しい世界で、中国やインドは変化によって競争できると考えて、数学や科学に重点を置いた国民の教育の充実を開始している。世界最速のコンピューターや太陽光の世界最大の研究施設の世界的本拠に中国がなっている。

世界は確かに変化した、そしてこの2年間の酷い景気後退にも拘らず、米国は依然として世界第一の最も経済的に発展した国なのだ。生産性の高さやパテントの多さや優れた大学のある事ではどこの国にも負けていない。それ以上にこの国は、自分の運命を自分で切り開けるチャンスを持った国であるからこそ世界中から人々が移住してくる。

未来は我々のためにあるが、そのためには挑戦という努力を抜きには達成できない。競争に勝つために技術革新や教育や建設的な事で世界に抜きんでる必要がある。財政赤字に責任を持ち、そのために政府を作り替える必要がある。それこそが国民の繁栄に必要な方法である。そのために未来に向かってすべきことを述べてみたい。

始めにすべきは技術革新の進展である。何が大きな産業になり、その事で職が得られるかは誰にも分からない。けれど国民の創造性と考えを伸ばすことが必要な事であり、どこにも負ける事がない理念が必要な事である。米国は自動車やコンピューターを実用化させたエジソン、ライト兄弟、グーグルやフェイスブックの国なのだ。自由な企業形態で技術革新は行われるが、必ずしも利益があるわけではないので政府の支援が必要になる。それがインターネットの元を作り出したりコンピューターやGPSを作る事にもなった。

半世紀前に米国は衛星事業でロシアのスプートニクに後れを取っていたが、研究と教育に投資した事でロシアを上回った。それだけでなく新しい産業と雇用の大進展を成し遂げた。2年前に述べたように、この成功以来これまで達成できていなかった研究開発のために、バイオケミカル、IT、そしてクリーンエネルギーのための予算を議会に提出する。すでに新エネルギーに対する政府の支援によって私企業の成功例がある。そしてその責任者は「自分を創造し直した」と述べた。それこそ米国が過去200年以上も行ってきた事である。そしてさらなる成功者のためにエネルギーの新政策を作り直した。政府は単にお金を出すのではなく新しい事への挑戦を発出しているのだ。科学者たちがクリーンエネルギーで最も困難な問題の解決にチームを組むならアポロ計画規模の資金提供を申し出ている。

以下、科学技術のリーダーシップの維持のために教育と教育者を育成、増員する事や、国民全員の高等教育の促進、教育の質の向上、不法移民にも機会を与える、等々から、国内の高速鉄道などのインフラの整備、高速道路建設、無線インターネット環境の整備、等々の事業を、政治家のためではなく経済に最適なものを目的に実行すると宣言している。そして政府の税制に関わる制度の改革や簡素化、あらゆる規制の見直し、等のほかに、新たな保険制度の導入についてより良い方法についての提案はどんどん受け入れると述べた。最後の部分の安全保障については省略する。

以上のように日本と決定的に異なるのは、国民負担を増やすのではなく政府の徹底的な改革での財政赤字の削減をめざし、将来の産業の振興ために政府が行うべき支援策を具体的に述べている。そこにあるのは、日本のような官僚のための天下りを通じた税金の使い方ではない、直接の支援方法である事に注意してもらいたい。このような官僚たちには都合の悪い情報は新聞テレビでは一切報道されないところにこの国の異常さがあるのだ。確かめたい人はこちらを参照して欲しい。

誰も論じない国の事を論じてみようではないか

武士道という言葉が氾濫しているが、その本来の意味を理解している人はどれだけいるのだろうか、というより「武士道」という言葉自体、誰が何のために造ったのか知ってるのだろうか。単なる国粋主義的な発想だと思っていたら大きな間違いも甚だしい。

今、NHK教育テレビで沸騰しているハーバード白熱教室におけるマイケル・サンデルという教授の講義内容が大絶賛されている。その内容は数々の哲学的な思想を現実の出来事に対比させて学生たちと議論することで問題点を浮き彫りにさせる手法にある。彼に「武士道」を論じさせてみたいと思っているのは私だけであるだろうか? 非常に興味深い。サンデルの本質は武士道に近いと言ったら大多数の学者が「何を言ってんだ」と非難するだろう、けれど、それは私の勝手である。年末に「朝まで生テレビ」で森永卓郎氏を悪しざまに非難した池田信夫という評論家は、サンデルの思想について、その源はティラーという哲学者の思想にあるだけと断じたが、自身の思想の何たるかは何も示さずに非難しているだけである。日本の学者の典型で、単なる評論家や解説者に過ぎない典型的な在り方に反吐が出る。サンデルの本質は「共同体における倫理の実践」という理念である。西欧と少し異なる米国の自由の概念に「倫理観」と「人間の共同体の帰属の事実」を今一度、我々に問うているのが彼の言うコミュニタリアリズムという思想である。

彼の思想に似ている事は、過去の日本における武士という階級の思想の変遷を見れば明らかだろう。初期の鎌倉武士から江戸時代の安定期に至るまで、武士の基本にあった事は西欧の自由主義に近い。その個人の利益に基づく論功行賞なき主君への忠誠など存在しなかった世界から、江戸時代における安定期での武士という階級としてのなすべき規範へと移行した哲学的な考えが確立されたものが大きく言う所の武士道なのである。その意味するところは「帰属する共同体の倫理観」というサンデルの思想そのものである。これはカントの言う「自律」という哲学的概念の個人の絶対的な倫理観でもなく、ロールズの言う倫理観なき自由でもない。武士という「共同体」という概念の中の倫理観の重要性の観念が同じことを現している。日本の一般国民は、官僚や自惚れている知識人と言われている者たちよりはるかに賢い。だからこそサンデルの思想の根本に、武士道という概念を感じ取り、その事が大ブームの原因になったのだ。もっとも帰属する共同体の意味するところは、封建的な君主制ではなく、全く逆の君主制や専制政治を否定する個人主義に基づく共和制に根拠を置くべきものである事は誤解の無いように付け加えておかなければならない。江戸期の武士たちの哲学的な考えが優れていた証は、大政奉還から明治に移行した時の見事な転換に見る事が出来る。これほど少ない犠牲者と短期間の間に国家の形態を変えた出来事は、どの西欧先進国にも見られない優れた歴史的な出来事だったのだ。

日本という国は、官僚たちが作ろうとしている科学技術という金儲けばかりを追求する学問ばかりが尊重されている歪んだ国になってしまっている。そこに病弊があるのだ。哲学的な学問の重要性の議論が極端に遅れている事を誰も論じていない。その異常性に気が付かされていない大学教授や知識人と言われている人々の責任感の欠如には驚くばかりだ。社会の基本を何に求めるかという議論なくして豊かな社会などできるわけがない。本当に教育で大事な事は「文科系」という基本的な考えの上での「理科系」がなければならない。戦後の教育のひどさは何も変わっていない。我々国民は会社というものに対する部品扱いにされているのだ。これは小泉・竹中路線が行った米国流の倫理観なき自由競争の帰結によって、さらに顕著になった。その典型が派遣法の改悪である。これによって企業の利益は増大したが、それに反比例して不安定な雇用から来る若年層の無力感が増大した。何年努力しても格差から抜け出せず、絶望感に近い気持ちが多数の若者に漂っている。その象徴が秋葉原などの無差別殺人の原因だったのではないだろうか。彼らの行為を正当化するつもりはないが、何人殺したから死刑だ、などという単純な判決だけですべてが解決すると思っていること自体に驚かされる。少子高齢化対策の「子ども手当」を「ばら撒き」としか非難しないバカな議論と同じだ。

これと逆の事は、スポーツ界の相撲やプロ野球に見られる外国人枠などという逆差別だろう。本来のスポーツの目的は素晴らしいパフォーマンスにあるのに、意味のない人種的な規制に何の意味があるのか。遠からず人気取り目当てで、今,話題になっている外国人留学生の就職規制などが国会議員から出てきそうな気がしてならない。本来あるべき倫理的な思想を抜きにした規制には何の価値も生まれない。少なくとも派遣法の概念には最低限「同一労働、同一賃金」というものがない限り社会の疲弊は進むばかりだろう。

現在、世界で日本人が活躍できない根本原因は、過去の我が国の経済的な成功体験を正しく理解していない事にある。技術が優れていたのではなく、その考えが優れていた事に技術がついてきたという事実に誰も言及していない。本田総一郎の成功には、優れた内燃機関の開発で世界をリードしようというソフトウェアのもとの技術であり、ソニーの成功も技術が先ではなく、ウォークマンに見られる発想をもとにした製品の開発で得られた結果なのだ。だから今の日本では技術があっても、それを何に使うかがないから世界からおいて行かれつつある。FaceBookやI-Padのような誰にでも欲しいと思われるものを考えた上での技術がないのだ。規制にがんじがらめにされ、何をするにも同じ方向しか認めようとしないこの国のあり方を、我々が変えない限りじり貧になるだけだ。

こんな状況を許してきた知識人と言われている人々は、どうしてしまったのだろう。官僚制度という歪んだ枠の中で、本質が何も議論されない中で日本という国がどんどん沈んでゆく。 みせかけの民主主義というこの国の形を変えない限り、今後の発展はないだろう。

官僚たちを国会に喚問させよう

マスコミや菅直人政権、自民党による国家財政の危機、消費税の増税が叫ばれているので、その理由の検証のために我々国民は国家の財政の詳細を知る権利があると声を挙げようではないか。国民に増税の是非の判断を問うならば、政府は全ての情報を公開する義務がなければならない。政治家たちが詳細な情報を持っているとは誰も思っていないだろう。そこで嘘を言えば法的に偽証罪が科せられる国会喚問を使って、直接行政に関わっている関係する官僚たちを招集することが一番良い方法だと考える。 「政治とカネ」ではなく「官僚とカネ」にこそメスを入れる必要があるのだ。

まず財務省の関係部門の責任者たち、さらに彼らが明らかにできない詳細があれが各省庁の関係する責任者たち、さらには各省庁が所管する全ての特殊法人や独法などの税金が流れている組織の関係者も含めた大規模な証人喚問を要求すべきである。そこで特別会計から何から、あらゆる情報の公開を実施させるべきだ。昨年一年間の国庫への収入は特別会計の勘定ごとの明細を含めて全て提出させ、印紙として得ている免許証の書き換えやパスポートの発行手数料などのあらゆる手数料料金も調べるべきである。全ての収入の総額と、それがどのように各省庁に配分され、何にいくら使われているのか、剰余金はあったのか、内部留保金や、国債や、他の独法が発行する債券などで不当に溜め込まれている税金は幾らあるのかも含めて、全て公開させる必要がある。

金額の大きい科学技術振興などの補助金は、どこに何のためにいくら使われて、その成果はどうなっているのか、特許などで取得されたものがあれば、その成果物である権利として生ずる収入はどのように処理されているかの詳細を調べるべきである。特に正規以外の準公務員扱いになっている人数とその人件費、経費で処理されている派遣職員や契約職員に関わる経費はいくらあるのか、調べればきりがないほどの疑問のある詳細の全てを公表させるべきである。経費として処理されている内部の巨額の情報システムは、各省庁も含めて疑惑がある大きな存在であり、徹底的な究明が必要である。

これを1年くらいかけて毎日、国会に喚問して、議員側には官僚の息のかかっていない専門家を総動員させて調査させるべきである。ウソの報告や隠した情報があれば、その責任者たちは直ちに偽証罪で告発し、有罪ならば懲戒免職にするくらいの気迫で実施すべきである。増税すると言う事はそれくらい国民にとっては大変な事なのだと思い知らせることが必要なのだ。そして官僚たちは単なる国民の公僕であることを嫌というほど味あわせる必要がある。何をしても処罰されないという思い上がりを徹底的に打ち砕くことが必要なのだ。

これまでは、国民が何も要求しないから完全に舐められっぱなしになっている。どんどん我々の権利を具体的に主張して逆襲することが必要である。その事は逆に、国会でのうのうとしている与野党の議員たち全員の覚悟を試すことにもなるのだ。彼らにそれができるかについても我々は知る権利があるだろう。

国を変える劇的な方法がある

現在の官僚主導型の社会主義国家となっているわが国を変えるには時間と忍耐が必要だと何度も投稿した。しかし政治家の誰も変えるべき方法と具体策を国民に丁寧に提示していない。「政治主導」という言葉だけが踊って実効が出てこないのはそのためではないのだろうか。小沢一郎をはじめとした反・菅直人政権の議員たちにも聞いてみたいものだ。彼らも国民に対して詳細な説明は何も提示していない。 国民を裏切った菅直人やその同調者たちは論外であるが、時間がかかる事であるからこそ何をするべきかの具体策を国民に示すべきではないのだろうか。

官僚の力の源泉は何なのか。それは「予算」という金の力と「法律」という2つの国家の源泉を抑えている事だろう。それらに見られる典型が「特別会計」と「閣法制度」という2大カラクリである。極論すれば、これらの2つの制度を無くすだけでこの国は劇的に変える事が可能なのだ。予算、人事、組織、数々の規制や検察、警察による取り締まりの根拠、権利、等々は全て法律によって決まる。いかに立法行為が大事であるかが分かるのだが、残念ながら過去の自民党議員達は言うに及ばず、現在の政権政党である民主党議員達にもこの考えが希薄であることに驚く。彼ら国会議員には最強の武器である立法権が付与されているのに誰もそれを大きな力として行使しようとしていない。法律の策定は、全てが「閣法制度」という偽りの制度で行政府である官僚たちに任されているのだ。それに関わる官僚の人数は数千人を下らないという巨大な人数になっている。我々国民は、これが民主国家なのかを自問するべきだ。世界中のどこの民主国家に立法行為を行政府の職員に委ねている所があるのかを調べたらいい。逆に驚かれてバカにされるだけだろう。

結局、ここ3年近くも騒がれている小沢一郎と秘書達に対する不当な検察の捜査や起訴、裁判なども、突き詰めれば全て官僚側の恣意的にできる数々の法律というものによってなされている事が分かるはずだ。田中良紹氏がいみじくも述べた「誰も守れない法律や規制を作り、その取締りは恣意的に行う。」という原則で、政治家や国民が管理される仕組みが作り上げられているのである。その証拠は、最近投稿したように、公務員は何をやっても処罰もされないし責任も取らされない、という事実や、裁判における有罪率が99%以上などという異常な事実が存在する事でも分かるはずだ。又、国家の根幹である徴税についても、他の国では考えられないような法律の恣意的な解釈で税金の徴収が行われている。税金の取立ての条文の解釈は、財務官僚の勝手な解釈の「通達」のようなものだけで変更される事がずっと放置されたままでいる。このような大問題も国会で問題にされた事がない。議員たちの程度の低さが端的に示されるいい例であるが、こんな事で脱税だとして取り締まられる企業や個人はたまったものではない。正に官僚社会主義国家である典型的な例の一つなのである。
 
予算の内容に至っては他のどの国にもない「単式簿記」により会計処理がなされている。本来は単純な家計簿などに適用される方式が使われている理由は、収入と支出の「明細」が全く分からない点にある。勝手に使う側にとって、こんなに都合の良い方法はない。詳細情報が国民に知らされていないのに何の議論もないまま延々と行われている。私の投稿に批判の意見を書く人々は決まって政府の人件費情報は 27.2兆円と公開されていると言う。これは正規社員だけの予算だけであって、実際にいくら支払われているかの情報はどこにもないし、準公務員と呼ばれているものを含んだ数字は何もない。全てが欺瞞なのだ。

政権交代という事実は、国民が考えているよりはるかに大きな変化を生み出せる力を秘めている。だからこそ官僚や、それと一体化して権力や既得権益を守りたい自民党やマスコミ、一部の評論家などが必死になって民主党を潰そうと、あらゆる事をしているのが分かるだろう。笑ってしまうのは「自民党をぶっ壊す」と叫んで、改革、改革と言っていた小泉純一郎の言葉である。はたして彼は壊したのだろうか、だったらなぜ息子が自民党にいるのだろう。この事実だけでも全てが嘘だった事を証明している。表面だけを見ないで、裏に何があるかをしっかりと認識し、何をするべきかを国民はしっかりと自覚しなければならない。今ある事実をそのまま受け入れるのではなく、疑問があれば「おかしい」と考える事から全てが始まるのだ。

手始めは「閣法制度の廃止」と「特別会計の廃止」である。民主国家に変える努力を続けるという意思を持ち続ける事こそが大切なのだ。

国は我々国民に何をしてくれるのか

「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを問おうではないか。」

これが有名なケネディ大統領の1961年の大統領就任演説で述べた言葉である。それは、彼が大統領としてもっと国民に自立してもらいたいと願ったのである。わが国の政治家たちがこのように優れた言葉で国民に語りかけた事はあるだろうか。発する言葉は場当たり的なものや、公約さえ平気で破る、さもしい言葉ばかりだ。小泉純一郎の言った「公約なんか破っても大した事ではない」という開き直りや、昨日の菅直人の「増税のための結論を出させてもらう」、などと言う言葉にいかほどの意味があるのか。

今、国は本当に我々国民に負担を要求できる状況にあるのだろうか? 誰もが疑問を持っている特別会計の在り方や国と地方の重複した事業の無駄や、それにかかっている膨大な人件費や経費、補助金という形で公布されて公務員の天下り先と化している特殊法人や独法などを使って行っている目に見えない事業。とくに菅直人が強調した「科学技術振興予算」の巨額な税金の使われ方は問題である。なぜ独法などを通じて税金が配分される必要があるのだろう。地方交付金と同じ理屈で「補助金」という形で使われることで無駄ばかりになっている現状を政治家たちは調査しているのだろうか。何か特別な技術に対してなされるなら、それらに関わる企業や開発者に直接支給すればいいだけなのに、それがなされない。理由は簡単である、官僚たちが間に入って好き勝手に税金を使い、自分たちの権益としてさらに企業や大学に権力を保ち、天下り先にしているからだ。調査すれば至る所で不合理な形で税金が使われているとともに、その成果についても自分たちが国庫に返すことなく勝手に溜め込んだり使っている事実が分かるはずだ。このような事が科学技術という名目で至る所でなされているのだ。詳細の情報公開がないから国民はおろか政治家までもが簡単に騙される。

我々国民は逆に政治家たちに言おうではないか、「これまで国に尽くして年金の積立金や税金を真面目にこつこつと支払ってきたのに何の見返りもない。国は我々に何をしてくれるのか」、と。国民が真面目に働いて世界第2位の経済大国になったのに、暮らしは一向に良くならず経済は悪化する一方で、ついには中国にもGDPで抜かれる事になった。それなのに富の偏在と公務員との格差は広がるばかりである。一体、国民は何のために税金や社会保障料やその他の負担金を支払う意味があるのかを説明してもらいたい。何もしてくれないなら税金を払う意味はない、自分たちで何とかするから放っといてもらいたいと言いたい。この国はどのような国になるのかという明確な指針くらい示すべきだ。政権交代したのに元の官僚国家に戻そうとしているのはどのような意図があるのか菅直人には説明の義務がある。税金の明細さえ国民に対して何も説明がない中で、増税や社会保障の切り捨てという公約と違う事は、国会議員だけの議論で決めるものではない。税金が足りないなら、まず行うべきは公的経費の削減、不合理な独法や特殊法人を使った事業の廃止、特別会計を廃止して全てを一つにした予算とその情報の全面開示、公務員制度そのものの改革と人件費の大幅な削減、等々を実施しない限り絶対に何の増税要求も受け入れられない。税金は支払っている国民のものだ、間違えるな。
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