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一神教による闘争の世界を変えなければ平和はない

仏教の思想を調べれば調べるほどユダヤ教から派生したキリスト教徒イスラム教という3大一神教の問題が世界を不安定にしている事が分かってくる。世界は19世紀の西欧による科学技術の発展を背景にした物質的な成功を経て、明らかに闘争、あるいは競争という思想背景で発展があるという哲学的な展開を見せてきた。キリスト教では、神は人間を神に似せて作る事で人間至上主義を容認している。西欧哲学ではデカルトの二元論により、人間とそれ以外の自然や動植物を物質とする人間至上主義が確立された。そこにあるものはキリスト教という神を信じるものだけが救われ、信じないものを徹底的に差別する思想である。それをデカルトの二元論が補完してきた。どちらの考えでも世界は何も安定せず、戦争はなくならず環境破壊も止まらない。むしろイスラム世界とキリスト教社会の対立はますます深まっている。

世界は明らかに19世紀の西欧による国家覇権主義の時代から、一神教同士の国を越えた宗教間の対立に変わってきたのである。しかしながら、その最大の皮肉は全てが同じ宗教から派生したものである事である。キリスト教は西暦1世紀ごろにユダヤ教から派生し、イスラム教は西暦7世紀ごろに同じくユダヤ教から派生している。全ては同じ神をみなもとにした一神教である。どの宗教も自分たちの神を信じるものだけが救われるという同じ基本的な教義を持つ排他的なものである。キリスト教は愛の宗教という表面的なもので発展してきたが、その根底にあるものは「信じるものは救われる」という言葉に代表されるように、信じないものには死の代償が課せられるものであって、基本的には何も変わっていない。盲目的な信心の強制だけに善を見るというものが愛というものに変えられた欺瞞である。それは最後の審判に対して自分の行為が有利に働くという深層心理によるもの過ぎない。愛という言葉に隠された神による救いのための自己の利益のための行為以外のなにものでもない。

米国は9.11のテロ事件の報復を、正義という名目でイスラムの関係国であるイラクとアフガニスタンに対してなぜ戦争を開始したのであるのか。そこにあるのは自分たちの神の名のもとの正義という偏屈な理屈に他ならない。事件に無関係な何百万人もの民間人の犠牲について世界は米国の人道的な罪を問おうとさえしない。これが正義なのか、なぜ世界は米国を処罰さえしないのだろう。イスラムの神を信じる者の行為で殺されたものへの報復のために無実のイスラム諸国の人々が殺されている現実を正義と見るのか。それは自分たちの神の理屈による正義という美名のもとの犯罪に過ぎない。どこに愛があるのだろう。汝の隣人を愛せよ、右の頬を打たれたならば左の頬を差し出せという言葉は何なのであるのか。汝殺すなかれという言葉は何なのか。その答えはすべて信者だけの間の論理として考えれば答えが出る。信者以外には神が罰するのである。神の行為を人間が代行して殺戮を行うのが一神教の怖さである。キリスト教とは南米のインディオを神の名のもとに1200万人も殺害した。ナチスはキリスト教徒の名のもとにその人種的な優位性を根拠をにして500万人以上といわれるユダヤ人を殺害した。

これら以外に、世界は西欧の闘争の哲学による国家間の闘争から、マルクスによる階級間の闘争という哲学によって二分され、その論理に従ったベトナム戦争という悲劇まで生んできた。そのマルクス史観の間違いが立証され、ソ連という大国が消滅したにもかかわらず、世界は戦争というものの終焉ができない状況のまま現在に至っている。誰もが平和の大事さを述べるのに、戦争という悲劇は何もなくなっていない。明らかに世界は西欧の思想では行き詰っているのである。一神教以外に、宗教を放棄した共産党一党独裁の中国という巨大国家の台頭は、さらなる不安定要素として世界の混沌化に拍車をかけるだろう。この事実を西欧の哲学者は把握している。それなのに仏教という優れた融和の宗教を持っているわが国の知識人たちは未だに西欧至上主義のまま何も世界に提示ができていない。ほんのわずかの仏教思想の理解者である哲学者以外は、相も変らぬ時代錯誤の思想を追いかけたままである。日本人は変わると言う事に極端に臆病である。赤信号、みんなで渡れば怖くないという心理が連綿と続くムラ社会的思考の国のままだ。せっかくの過去の優れた思想や、貴重な歴史体験から何も世界に提示できないとは何とも情けない。勇気ある知識人が、仏教という思想をもとにした世界観を世界に示す時が来ることを期待したい。
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日本と中国の違いは何か

日本経済が復興したとみられる時期は1954年と言われている。敗戦からたったの9年後である。その原因は1950年からの朝鮮戦争特需から始まったとみて間違いはないだろう。以降、1973年までの19年間まで順調に発展し、安定期を経て1985年から始まったバブル景気を経て、それがはじけた1990年で終焉したと見る事ができる。その意味では40年間は右肩上がりの経済成長が続いた。以降、失われた20年という言葉をすぎて、現在までの21年間、経済は低迷したままで国民所得は低下し続けている。

中国は、1978年の小平による改革開放政策の実施によって市場経済に移行する事で経済発展が始まった。但しそれは一本調子ではなく、農村と都市部の格差の広がりや官僚の腐敗を生んで1989年の天安門事件により一時中断された。その後1992年から再び改革開放政策が開始されて経済成長は一気に加速されて現在に至っている。実質的な経済成長の歴史では1992年からと見れば未だ19年程度であり、まだ成長は続いている。

我が国の経済成長を支えたものは、高い教育を持った勤勉な国民による護送船団方式による競争なき全体主義的統制経済である。人口の構成においても今と異なって少子高齢化ではないバランスのとれた構成で、しかも欧米先進国と比べ安い人件費による質の良い製品の提供が経済成長を支えてきたのである。国内の人口の構成問題は大きな要素であり、その人口問題を自民党と官僚による政治体制が放置したことによる責任は重大である。未だにその反省はなく、子ども手当の撤回を迫っている国民無視の姿勢は驚くというより犯罪的である。しかし速すぎた経済復興が国民を盲目にしてしまったのである。

翻って、中国はどうであろうか。すでに20年近く経済成長を続けているが人件費は未だに日本のように高止まりしてはいない。さらに教育の程度は著しい進展で日本を凌駕しつつある。さらに国内人口の多さと国土の大きさの差も大きい。内需という問題では到底かなわない規模の大きさを持っているのである。この基本的な経済規模の大きさの差は絶対に日本がかなわないものである。中国の問題で一番大きいものは共産党という存在である。西欧や日本による侵略から国をまとめるために共産主義というもので中央集権国家を作り上げる必要があった。しかし、その思想のままで西欧型の覇権主義に突き進むと、過去に存在した儒教や仏教などの全ての宗教的なものを放棄した国家には怖いものがある。すでに軍備の拡大は世界の脅威になっており、周辺各国との領土摩擦も増大している。国内でも異民族間の紛争は止まらずに根深い対立の芽を深く持ったままである。今後、どのような体制にして国が動くかによって中国の行く末は決まるだろう。過去の歴史を見れば中国は離合集散を繰り返している。国民は日本と違い独立心は強く、容易に国を信じない。経済というまとまっている芯が弱まった時に何か起きるのか、それまでにはまだ時間が相当あるだろう。ただ中国と日本の大きな違いは国家観がしっかりとあることである。世界の中で自分たちが占めるべき位置がどうあるのかというものは日本と異なり明確にもっている。世界が何を言おうが自分たちが決めた方針を変えないという強い信念、そして国民の自立、それがわが国との大きな違いだろう。

今の日本の問題は、過去の成功の考えから脱却できない官僚思考による変化のできない国家体制にある。依然として全体主義国家体制のまま地方分権もできず、過去の税収のモデルのままの省庁別の既得権の温存だけという国家予算の策定による非効率的な国家に成り果てている。そこに見られるのは、官僚主体による補助金政策主体の税金の恣意的配分という方式によりかかった、長年の自民党政治という国民無視のつけである。成長に見合ったパイの配分が国民にいきわたらずに、大企業の経営層や公務員などの正規社員だけに配分が偏るものが国の形を歪めているばかりか、官僚による既得権確保という無駄な事業とそのための無数の独法などの天下り先の維持のため、経済にとって最も重要なインフラが滅茶苦茶に高いものに成り果てて国民と経済を圧迫している。高速道路の異常な料金の高さは、地方と都市との交流や工場の分散を阻み、さらに地方の首長の官僚機構の支配が進み、交付金という補助金漬けにより地方自らの努力まで阻害している。外交に至っては国家観の欠如から全てを経済問題にして考えるというバカな発想で世界の笑いものになっている。米国一極主義から何も変える事ができず、自立した国家には程遠い隷従国家に近い情けない状況のままだ。かたちだけの民主主義は破綻に瀕しておらず、むしろ官僚依存が強められるという体たらくに陥っている。国民は日常の表面的な国会の状況しか見ず、本質的なものを見る事さえしていない。

もはや今の国の体制では決して中国はおろか、どんどん台頭してくる新興国家の経済力にも勝てなくなるだろう。技術の問題にしても国が関与するものは全て海外に負けている。頑張っているのは民間の力によるものだけである。それだけ税金というものが無駄に消えているのだ。韓国などの日本よりはるかに低い税収の国の国民の生活の方がはるかに良い事を見ても、いかにこの国の税金が機能していない事が分かる。この国がいかに歪んでいるかを知識人と言われる者たちもマスコミも決して明らかにしようとしていない。せっかくの政権交代もマスコミなどによる間断なき世論操作や、理念を無くした民主党議員たちによって完全に無くなろうとしている。このままではこの国は確実に三流以下になっていくだけである。寄らしめさせられている官僚機構の解体なくして真の民主国家には決してならない。国民の自立が必要なのだ。国家観というものを持つための教育さえ持たない国に未来はあるのか、一定の経済的な豊かさを得たのであるから、経済よりも大事なことを我々はもっと考えなければならない。西欧至上主義の考えのままでは何も解決しない。自らの国の歴史を知らずして世界から尊敬される国にも国民にもなりえない。
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