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空の思想を簡略化する

空という思想ほど種々の解説を読んだり聞いたりするほど分からなくなるのはなぜなのであろうか。それを再度、自分なりに簡略化してみたい。

空とは「から」という何もない事ではなく「自性がないこと」と解説されている。またインド人が発見した「ゼロ」であるとも解説されている。ゼロという観点で考えれば、空は有でもなく無でもないと言う事は理解できる。しかし「自性がない」という意味で我々は混乱に陥る。我々や我々が見たり聞いたりするものには実体がない、とか、誕生することも死ぬこともない、などと言われると混乱し、収拾がつかなくなる。特に、現代の西欧の科学技術主体によるものの考え方においては、全ては合理的に解釈できるものでなくてはならず、合理的に解釈できないものは迷信の世界のものと切り捨てられている事が当たり前になっている。その意味で、実体がないとか、死ぬこともないという言葉だけを聞くと混乱するのは当たり前である。特に、明治維新以来の西欧至上主義で今日まできているわが国においては、自己の確立とか、自立する事の大切さが教育の中にも取り入れられ、自我中心の世界観が知らず知らずのうちに形成されているのである。仏教における空の思想はこれと真っ向から対立するもので、自我そのものを徹底的に否定するものである。

自性とは、単独で(すなわち個として)、自立した主体(すなわち、それだけで存在できるもの)である。平たく言えば絶対的な個という存在があるという意味である。それがないというのが空である。その理由は以前の投稿にも述べたように、あらゆる存在は宇宙の全てのものとのかかわりの中での一部のものにすぎず、それ自体が単独で存在する事はあり得ないという理屈である。しかも、あらゆるものは無秩序(壊れていく)という方向に向かって常に変化しているのである。

般若心経は、無限の関わりの中の絶えざる変化というものを「縁起」という言葉で表した。すなわち縁起とは自性のない事を意味する。自己の存在が親、そのまた親や連綿と続く過去の生命の連鎖の結果と、空気や水の存在や動植物などの食という存在なしに成立しえない事が縁起という自性のないことの証明なのである。その意味では個は空であり全体を構成する一部のものに過ぎない。しかも全体とは個という部分の総和ではない事は現代の科学でも実証されつつある。全てのものに自性はないから色即是空であり、自性がないゆえに個々に特有の色(もの)としてあらわれるので空即是色という言葉となった。

簡略化すると「空」とは、無限の関わりの中にいる常に変化している個々の実態を発見する事である。あらゆるものに自性がないのであるから、人間の欲望にも意味はない。欲望を離れればそこから発生する苦というものからまぬがれる事ができる、とするのが釈迦の教えの基本であった。空の思想はそれを理論づけたものであるが、それは頭で考えるものではなく、感じるものとして坐禅などの行を通じて獲得できるものとしたのである。その意味では現代の考えでの「知」というものではない。それは大宇宙の生命の智慧そのものを意味する。それを得た状態を涅槃寂静と言ったのである。
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滅茶苦茶な来年度予算が作られようとしている

来年度予算の概算要求が始まっている。驚いたことに福島原発事故による除染のために環境省が8千億円という巨額なものを要求しているという。こんなバカなことが認められるのか。少なくとも除染費用は東電が負担するものでなければならない。誰の責任で事故が起きたのか、これでは全てが国民負担にされてしまう。しかも震災のための復興については3回も補正予算が組まれ、国民の対しては11兆円にもなる金額を負担しろという意味での増税を民主党の税調が決め、野田ブタ内閣はそれに従って官僚の意のままの増税を認めている。何のための税金なのか、本当に国民は怒らなければどうしようもない負担が課せられることになる。

今、官僚たちがしようとしている事は、大震災と原発事故を利用して、財政赤字という従来の言葉を無視し、可能な限り自分たちの権益の確保のための補助金事業の拡大をしている事だ。それを国会議員、特に与党の民主党が唯々諾々として認めるようなら国民は本当に地獄を見る事になる。結果は明らかに財政赤字が膨らんでどうしようもないという事にして消費税の増税を図ることにある。こんなバカな予算方針を許していたら、国民負担だけが増えるだけの公務員国家がますますひどくなるだけだ。全ての原発事故による復興は基本的に東電負担とし、震災復興についての予算はすでに補正予算に組み込まれているのであるから一切の新規のものは認めてはならない。

この国の形はどんどんひどくなっている。陸山会事件の判決に見られるように、国民の権利など何もないような判決が平気でなされ、それを知識人といわれる人々やマスコミも何の批判をしないという異常な国になっている。さらに補助金政策という官僚の利権のための政策だけが正当化され、子ども手当に代表される国民に対する直接の支援政策はばら撒きとして非難され、修正を余儀なくされている。補助金政策というものは、官僚による天下り先を経由する形態になっているので税金の無駄が発生するうえ、その制度を使って官僚たちの権限が増える事で利権確保に使われている。国民の税金は支払っている我々に還元されず、一般会計の4倍にもなる特別会計というカラクリで官僚たちの恣意的な使われ方で税金の使用が歪められたままになっている。それが何も変えられずに続けられているのだ。何のための政権交代であったのか。

こんな状態を我々は許すのか。誰もが現実を見ないで日常の現象だけで政治家を非難するだけだ。本当にするべきことは、このような国のあり方を直視し、政治家を使って国の形を変えさせることである。少なくとも予算の中身や使われることくらい国会の予算委員会で議論できない議員たちは首にすべきだろう。週刊誌のようなスキャンダルのような事ばかりを繰り返す予算審議会など何の意味があるのか、本当に程度が低すぎる。

国会議員たちを働かせなければならない。法律を作るべき国会議員たちを本来の仕事に戻し、官僚という行政府の職員の立法行為である閣法制度を廃止して議員立法しか認めてはならない。それが三権分立の基本である。予算は特別会計を廃止して全てを一般会計にしなければならない。官僚による情報開示を義務付け、米国債の保有高さえ情報公開がされないような状態を早急になくさなければならない。判検交流を禁止し、裁判官と行政府の検察と警察の癒着を断ち切るとともに、司法の大改革も必要である。これらの全ては我々が国会に送り出す国会議員が自ら法律を作らない限り絶対に実現できない。戦後以来60年以上続いた自民党という官僚と一体化した政治と、その結果ゆがんでしまった国の形を徹底的に変えなければならない。今一度、政権交代して新しい国にしない限り日本に未来はない。

日本の産業空洞化の原因は円高ではない

EU並びに米国における財政問題により円高が加速した。その原因をマスコミなどが比較的安全な円に資金が集中したと言うが、それなら日本の財政赤字を問題にしている事と矛盾している事を何もコメントしない。実態は円の供給量がユーロや米ドルに対して圧倒的に少ない事にある。日銀は自民党時代からの金融政策の間違いを認めず、政権交代しても何もスタンスを変えていない。従ってデフレの解決も進まずに、日本経済は負の連鎖に陥ったまま国民の所得格差はひどくなり、平均年間所得も低下し続けている。結果として税収は低迷したままで国全体が負の連鎖に陥っている。

マスコミは事あるごとに円高を放置すれば企業の海外移転は加速すると騒ぐ。しかし大企業はすでに大多数が海外移転を実施している。残っているのはわが国独自の生産技術や優れた加工技術のためのものでしかない。実態は殆どの企業がすでに海外移転を終えているのだ。問題はその本当の原因である。まずBRICsなどの新興国の台頭は、その人口の多さから来る市場の大きさと、各国の人件費の問題を考えれば国内での生産にメリットがない事は為替以前の問題で明らかである。企業の判断は為替の問題などという単一の原因で行われるものではない。どこで物を作り、どのような製品にして、どのような戦略で販売するのかなどのほかに、従業員の給与や福利厚生、税金、などのあらゆる問題を検証して決められる。

その意味では、官僚独裁国家である我が国ほどインフラがバカ高い国は存在しない。原発事故で判明したように電気料金だけをとっても米国や韓国の2倍以上という数字があり、水道、ガス料金、インターネットなどの通信料金、コンテナ利用料金、港湾使用料、空港使用料、バカ高い高速料金など、ありとあらゆる面で官僚の天下り先に関係する独法や特殊法人でがんじがらめになった、社会的なインフラが滅茶苦茶に高い国になっているのである。こんな状況で海外の企業と競争しても勝てるわけがない。また明治以来の西欧の科学技術移入のための教育制度も何も変わっておらず、英語などの語学教育の基本は相も変らぬ読訳中心のままであり、結果として韓国や中国などの2ヶ国語を自由に操れる多数の人材との競争でも日本は完全に敗れているのである。

このように全体を俯瞰すれば、自民党時代から続くバブル崩壊からの失われた20数年という問題は、明らかに為替の問題ではなく、国家の形態が官僚独裁による無駄な公的機関のかたまりになったままの、何も変化のできない国の体制にあることが分かる。今の我が国に求められることは、過去の一時的な経済成功のモデルは何も通用しない事の認識である。それは国の形を変えるとともに、国民の意識においても中央集権ではない、地方分権による輸出というものだけに頼ることのない国の形と、官僚機構と言うリバイアサンを完全に破壊した本当の意味の民主国家にすることである。特別会計などと言う過去の遺物が、一般会計の4倍もの規模を持った予算のままで国がスムーズに運営などできるわけはないのは自明の理なのに、誰も見て見ないフリを続けている。このままでは何も解決できず、国民生活はどんどんひどくなり、生産性が何もない公務員国家になって地獄を見るだけである。ギリシャなどのような公務員国家が破綻しているように、早晩この国も同じことが起きるだろう。我々は何が必要なのかを良く考え、マスコミや御用学者による偏向的な意見に惑わされる事なく国を正しい方向に持っていく努力をし続けなければならない。

陸山会事件有罪判決は初めから決まっていた

本日の小沢一郎もと三人の秘書の有罪判決に驚いている人が多いが、小生は以前から無罪はないと主張してきた。その通りになった事には自分でも驚いている。誰でも司法とは正義を実現するものと期待していたはずである。小生も心のどこかではそれは期待していた。しかし結果はこの体たらくである。やはりこの国の司法は何も機能していなかった事を自ら証明したのだ。

検察の起訴事実は記載事実に対する期ズレという期日の問題である。それがいつの間にか不正な資金の授受という問題にすり替えられて世間に宣伝され、あたかも4億円が不正資金であるかのごとく報道が毎日のようになされた。それが判決の理由であれば司法自らが起訴事実に関係のない理由で堂々と有罪を下すという矛盾を恥ずかしげもなくしたことになる。一体この国はどうなっているのか、誰でも疑問に思うのは当たり前である。

それはこの国の有罪率が99.9%以上というものが示しているように、法律や証拠に基づかない判断で判決がなされていたことを証明していたに過ぎない。裁判官も検察も警察も冤罪を作り上げても誰も責任が問われていない。バカバカしい事に被告の補償は国民の税金でなされるだけで誰も責任が問われていない。こんな状況で誰が自分の昇進をダメにするというリスクを冒してまで正しい判決をするのだろうか。何も責任を問われなければ被告の権利や人権など何も考えなくなるのは当たり前だろう。この国は全てが官僚の意のままになるようになっているのだ。

何度も投稿しているように全ての問題の根源は、立法、司法、行政の全てが、閣法制度、判検交流、裁判官の天下り先の確保という形で官僚という行政機関に集中している事にある。それを無視して何もしない国会議員たち、というより自民党という官僚と一体化した政党支配が60年以上続いたことが大きな理由であろう。それが変わることを期待して国民が政権交代を選択したのに、菅直人政権とそれを引き継ぐ野田ブタ内閣は完全に官僚に屈している。今回の有罪判決はその延長上の出来事に過ぎない。

デモをしよう、国民が行動を起こさない限り何も変えられない。閣法制度を告発し禁止させ、判検交流を禁止させ、この国に三権分立を確立しない限り恣意的な判決で国民の権利は無視され続ける。デモが必要だ。どんどんデモをして官僚国家を潰すしかない。未来は国民の行動にかかっている。

太政官制度という官僚制度

太政官制度とは、1300年前に作られた大宝律令という始めて刑法を規定した法律により作られた国家制度である。それは中国の律令制度をまねたものだが、中国が皇帝という者の独裁をするための制度に比べ、大宝律令では藤原氏が作り上げた天皇を象徴にした官僚による政治の独占をするものであった。それが連綿と現代まで続いているのである。鎌倉時代から江戸時代までは武士の政権が続いたが、かたち上の制度としては天皇制は続き、時の将軍はその権威を天皇からもらった征夷大将軍というものに依っていたのである。明治になっても基本的に同じであり、天皇は象徴的なものにすぎず、唯一、軍隊の指揮については独裁権を保持したために軍官僚の暴走を招き、結果として国家の破綻を招いた。戦後は敗戦によって民主主義という制度が導入されたが、実態は自民党という傀儡を使って裏で官僚が権力を握ったままの国家体制は変わらず、それが現在も続いている。政権交代して政治主導という言葉で国家体制が変わると期待したが、官僚によるマスコミを使った世論操作によって、民主党の大部分の議員たちは見事に国民を裏切って官僚主導国家に戻しつつある。

中国と日本の違いは、皇帝による独裁とその交代が必然として存在している事である。皇帝は神より下の存在で政権の存在意義を失えば天の神の命によって革(あらたに)するという革命の論理がある。日本では、藤原不比等という天才的な官僚によって、天孫降臨神話により神と天皇は同格となり、交代の概念が否定されたのである。これにより官僚制度は常に実権を持つことを可能にしたのである。実際に明治維新の政府は、明治憲法ができるまでは太政官政府と自ら称していた。天皇制を維持する事は官僚にとって最大のメリットがあるのである。

戦後は天皇制も維持されたが、それに代わる民主主義制度が導入されたために、官僚たちは三権分立の骨抜きとして閣法制度というもので立法権を把握し、さらに司法を行政府とつなげる事で三権の全てを掌握し、民主制度という名前の裏で国を操り続けている。国民は戦後から今日に至るまで、長きにわたり何も考えることなく民主主義の国と勘違いしたまま今日まで来たが、インターネットなどの情報手段の出現によって、ようやく正しい情報を手にし始めた。戦後以来マスコミと御用学者によりずっと国民は騙され続け、さらには国会議員という裏切り者たちによっても騙され続けているのである。その結果、自分たちの払う税金は国民には還元されず、官僚を主体にした公務員や大企業などによる官業複合体に対してばら撒きが続けられたままの国になっている。

もし、このままの状況を続ければ、わが国は明らかに社会主義以下の国に成り果て、行きつく先は生産性のない公務員国家による三流以下の衰退した国家しかないだろう。太政官制度という国家の形を変えない限りこの国に未来はない。
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