スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

発展という直線思考の行きつく先に何があるのか

明治以降の我が国は西欧の思想による科学技術の発展を土台として国家を変えて新しい国を作り上げた。急激な変革のために中央集権による富国強兵政策が取られ、国民は新たに作り上げられた国家神道によって天皇を神としてまとめ上げられたのである。この結果、江戸期においてすでに高い識字率を持った国民が多数存在したことが短期間の西欧化を実現可能にし、わが国は急激な発展に成功した。逆に言えば、本来持っていた過去からの高い精神的なものは急速に失われていったのである。

西欧思想の根底にあるものは人間中心の科学技術による発展の思想である。自然や動植物を支配して科学技術によって発展する。その発展は果てしなく続くものという神話になっている。今年より来年、来年より次の年はもっと良い生活が待っているという果てしのない楽観論である。人間は過去のような終末史観を捨てた事で、永遠に発展するという幻想を持ってしまったのである。この結果、世界は自然破壊が急速に進み、熱帯雨林は急速に失われつつあり温暖化などの地球環境の大変化がおき始めている。発展は自然の搾取によって行われてきた。19世紀からの200年程度の短い期間による地球の変化は過去の何十万年にもなる変化に匹敵するほどの急激なものとなっている。現在は発展途上国の急激な成長によって、過去の米欧が経験した問題が繰り返されようとしている。世界はますます狭くなり、人間は発展という名の下でどんどん物質化していくように思える。すでに西欧の哲学者は、過去の物質的な発展だけの世界観に対して間違いを認めようとしている。

我々は物質的なものの発展こそが生活を豊かにし、その結果として大きな満足が得られるものと思い続けて、現在もその考えが大多数の人々を支配しているように思える。原発事故は、突き詰めればこの考えの中で発生した究極の結果に見える。直線的な発展という思想は正しいのであろうか、誰もその事を考えていないように見える。世界はあまりにも精神的なものを棄て去ってしまったように見える。それは理念のない政治家たちを見ればわかるだろう。経済的な問題ばかりが論じられる薄っぺらい議論に終始してきた結果、わが国の政治家たちも官僚たちも世界からバカにされるだけの存在に成り果てている。政治家は公約を平気で破り、官僚といわれる国家公務員も地方公務員も、全員が「おおやけ」という概念を捨てた私利私欲の集団に成り果てている。教育を取って見ても道徳は忘れ去られ、科学技術のための道具のようなものだけが大切にされ、人間は機械のような扱いになったままである。

全ては毎年良くなるものとして政治も考えられ、経済的に発展できない事で国民は不満をもち、小泉改革と称するもので競争の理念だけが持ち込まれた結果、国民の中に格差という大問題が生じたいびつな国になってしまった。政権交代して国民の生活が第一というスローガンを信じて投票した国民は、その理念を棄て去った菅直人と野田という2つの政権の裏切りによって、完全に政治家に対する信用を失っている。ここにも最低限の道徳の欠如が露呈している。自分で言った言葉を平気で破るという嘘をつく政治家を誰が信じるのであろうか。それを恥とも思わない人間が多数存在する事に今さらながら驚かされるのである。

我々は今一度考え直さなければならない。人間には進歩という変わることの存在と、変わることのないものの存在がある。それが信仰という精神的なものであろう。仏教であれ、国家神道ではない本来の原始神道であれ、全てに生命を見る思想は見直すべき価値が十分にある。江戸期の武士階級に見られた公私のけじめを強く持たせた儒教の思想も大事だろう。これらの過去からの優れた精神的な思想を見直さない限り、現代の物質的な発展という直線的な思想だけではわが国は立ち直れないだろう。すでに国民は疲弊しきっている。精神的なよりどころを失った国民が行き着く先は何なのであるのか。その答えを我々は自問しなければならない。世界を救う思想を我々が提示できるかもしれないのだ。その時、はじめて日本国民は誇りを取り戻すことができるだろう。
スポンサーサイト
月齢・日付・時刻
この記事に対し意見を呟く
訪問者カウンター
全記事表示リンク
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。