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この国の劣化のみなもとは何なのか

江戸期の武士階級は道徳の基本を儒教においていた。忠孝というものが大事にされたが、それは本来の中国での意味とは多少異なったものに解釈されたが、公私のけじめというものは非常に大事にされた。「おおやけ」というものに対して「わたくし」は常に犠牲をいとわずに奉仕すべきものであった。武士は食わねど高楊枝という言葉の通り、その美学のために清貧に甘んじる事は普通の事であったがゆえに庶民からも尊敬される位置にいたのである。一般庶民は寺子屋という制度を通じて読み書きそろばんを習うかたわら、仏教による自利・利他の思想や嘘をついたり、むやみやたらと殺生をしてはならないなどの基本的な道徳が教えられていた。この時期の国民の識字率は80%を越えていたといわれ世界一の識字率であったといわれる。儒教の思想から朱子学を中心とした国学という尊王攘夷の思想も生まれたが、それは明治維新に向けた国家の変革に向けた思想の一つにすぎなかった。大部分の武士たちは中国のように西欧列強による支配を極端に恐れていた。鎖国という中にあっても、武士階級の多くは海外の情報を正確に把握していたのである。明治維新というものが短期間に成功したのは、このように高い道徳観を持った高学歴の武士階級と、識字率の高い国民層の厚さが大きな要因であったのである。

江戸時代には、江戸を中心に上方という関西地方や、北海道などの地方との産物を中心にした商品経済が大きく発達していた。そのために一般国民は読み書きそろばんができなければ大工になっても棟梁にはなれないし、船乗りは船頭になれず、商家においては丁稚より上になれないので教育が普及していた。さらに経済の基本である信用という問題は大事であり、道徳の基本も大事にされたのであった。武士道という言葉だけが注目されているが、一般庶民の道徳観も高いものが存在していた。さらに武士階級にも一般庶民にも仏教の教えは大事にされており、その道徳の基本の中に深く入り込んで存在していた。

明治維新のために明治政府を作り上げた武士階級の者たちは、西欧列強に対抗する必要性から西欧思想や科学技術の移入を最重点とした中央集権国家を作り上げようとした。そのために国家神道というものを作り上げ、天皇を中心とした忠君愛国という思想で国民をまとめ上げたのであった。彼らは廃仏毀釈というもので過去の神仏混淆を廃棄して、神道から仏教を無理やり排除したのであった。その神道も国家神道という全くのでっち上げのものが作り上げられたが、国学の思想に基づく忠君愛国という思想は国民には容易に受け入れられるものであった。道徳はこれを基準に教育されてきた。国民はおおやけに奉仕する事をむしろ誇りに思っていたのである。

敗戦によって戦前の思想は逆転して全てが廃止された。昨日までの精神的な基準を失った国民は道徳の基準を何にするべきか考える余裕もなかった。焦土と化した国家からの立ち上がりが最重要なものであり、国民は経済的な発展にまい進したのである。結果的には教育程度の高い国民と1億2千万人以上の若年層中心の社会は世界が驚くほどの短期間の経済的な成功を成し遂げたのであった。残念ながら国民の生活程度が上がるにつれて過去の成功は長続きせず、バブルの崩壊から20年以上もわが国は経済的には落ち込んだままとなっている。国民の間には閉塞感が高まり、自民党と官僚の一体化した国家の体制を変えるための政権交代が起きたが、結果はご覧の通りの民主党議員たちの裏切りにより官僚主導の国家体制が続いたままになっている。

これらから見えるものは、明らかに戦後の道徳観の喪失と官僚制という変化のできない国家体制が国を衰退化させている事が分かる。経済的な発展は勤勉な国民の存在が原因であり、決して自民党や官僚の政策が優れていたわけではない。民主主義を無視した公務員という官僚が勘違いしたまま、「おおやけ」という本来のあるべき姿を忘れ、私利私欲だけを追求するという異常な国になり、さらには国民の中にも道徳観が失われつつあり、何に対して価値を求めるのかという心の問題が置き忘れられたままにされている。西欧の科学技術や思想だけを学んで、試験で良い成績だけを取れば良い生活が待っているかのような国になってしまっている状態が未だに続いている。嘘をつくことや、人はもちろん、生き物をむやみに殺してはならないという過去の道徳が忘れられようとしている。未だに外国と比べれば治安状態などは高いが、道徳観の欠如から起きる事件は大量殺人や大企業の不正事件、検察、警察、裁判官の癒着の問題など公務員に関わる問題は深刻さを増している。あらゆる意味で道徳観を失った国民の劣化がすさまじい勢いで蔓延し始めているのである。このままでは経済的にも人間的にも三流以下の国に成り果てるのは時間の問題だろう。我々に必要な事は、経済という問題だけではない、過去に持っていた仏教を主体とした優れた精神的な思想を取り戻すことである。西欧中心の世界はすでに崩壊に瀕している。世界は明治以来の西欧中心の思想では機能しなくなっている。道徳を何に求めるかという基本に帰る時である。
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