スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

武士道の本質とは何か

大多数の日本人は武士道という言葉は知っていても、その本質の意味するものは何なのかをあまり気に留めていないように思える。たまに聞く葉隠などの「武士道とは死ぬことと見つけたり」などという言葉だけで何となくわかったような気でいるだけに思える。そして明治時代の忠君愛国という国家神道のもとの天皇絶対主義に対する、単なる忠という問題のように誤解している。武士道において主君は絶対のものではない。大きな間違いのままに理解すると悪用されるだろう。

江戸期の武士の教育の基本は儒教による倫理的なものであったことはすでに書いてきた。しかし本来の儒教における最高の得とされる孝とは親に対するものを絶対のものとしている。儒教は血のつながりを最も重要視する。従って近親相姦はもっとも忌み嫌われる。韓国などが同姓での結婚をしない理由はここにある。日本においては忠孝一致という概念では親よりも主君とか天皇とか、最も上の身分の者に対するものと変えられてきた。しかし武士道における考えは根本的に違う。武士道を一言で言えば、それは「絶対的な倫理観に支えられた個の確立」である。

そもそも武士の始まりは、関東などで発生した自分で開拓した土地を自分のものにすると言う開拓農民の武装化である。荘園制度のもとに、全てが貴族や僧侶に独占されていた土地を自分のものにするために発生したものに他ならない。一生懸命という言葉は間違いで、正しくは一所懸命が正しい。自分の土地を懸命に守ることを意味したものである。そのために馬に乗ったり弓を使う事を主体にした武芸の発達とともに武士階級として固定化していったのである。

戦国時代を経ると、土地の所有という概念は藩主という主君に限られたものに変わり、武士階級には戦士とともに官僚的な行政の問題も加わっていく。そのために主君への絶対服従が武士道のような誤解が出た。本来の武士道は次のようなものに要約できるだろう。

武士道とは忠義という主君に対する盲目的な服従ではない。その基本は武士としての戦闘者としての名誉の掟が最優先にくる。戦場においては一番槍を入れ、うしろを見せず、自己の名誉を侵害するものは何が何でも討ち果たし、窮地にいる仲間は見捨てることなく助け、約束したことは必ず実行し、ことを処すには未練を残さず一命を賭して行う。

このような倫理的なものに裏付けられた「個」の確立こそが最も求められたものであって、主君への忠義というものは付帯的なものであり、武士としての付帯的な自己滅却の行為の一つとして捉えられていたに過ぎない。実際、江戸時代には主君に義なき場合には「主君押込」というもので、主君が自藩等を正しく治める事が出来ない場合には、家臣たちによる監禁の上に強制的な隠居にされることが数多くなされている。主君に義なき場合には己の信ずるものに従った行動が求められていたのである。さらに、自己の名誉を侵すものは、たとえ主君であってもその不当を強く申し出る事さえ求められているのである。主君の絶対性を認めたうえで、その判断は武士としての「個」が最終的に行うものとされていたのである。「首を刎らるるとも、おのれがすまじき事はせず。」という言葉はここからきている。その倫理観の根底には、特定の個人ではなく、万人に尽くすという利他の思想や、無常という空の思想から来る「あらゆるものは常に変化しながらが壊れる状態(死)に向かって動いている」という仏教の考えがあった事は確かであろう。いずれにしろ現代と異なり、過去の時代では病気や飢饉などの社会的な環境の中では、死というものは今よりはるかに身近なものであったことは否めない。個が組織の中に埋没せずに、自立的に存在していたからこそ江戸期の武士たちは対応能力が高く、それゆえに国家としても強いものになり得たのである。

日本人であるなら、せめて武士道というものの本質の正しい理解を望みたい。それが理由で歴史が歪曲されたり、間違った倫理観に利用されることがあってはならない。テレビなどで驚くのは学者が出てきて、新渡戸稲造はこのように武士道を海外に紹介したなどと言って、他人の考えだけの紹介者であるだけのものの氾濫である。これでは正しい意味の武士道は紹介する資格もない。日本の知識人の欠陥である自説での紹介がないものはまがい物に近いと思った方が良いだろう。自分で調べ、正しいものを見つける姿勢こそが求められるのである。
スポンサーサイト
月齢・日付・時刻
この記事に対し意見を呟く
訪問者カウンター
全記事表示リンク
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。