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日本という国を歪めてきたもの

すでに明治維新というものがどのようなものであったのかという事は前回に書いた。ではなぜ幕末から明治維新を、武士階級という人々は成功に導けたのであろうか。彼らはけっして上級階級のものではなく、むしろ大多数は下級階級のものであった。全員が藩主の意向通りに従って整然と行動した結果ではない。むしろ西郷隆盛などは最後まで藩主の島津斉彬や久光の意向は無視して幕府を倒し、さらには廃藩置県によって藩まで廃止してしまったのである。久光はこれに激怒し、鹿児島の別邸で一夜ずっと花火を打ち上げさせて見ていたという。そして西郷を「安禄山」と呼び最後まで罵ったと言われている。また徳川幕府だけの利益を見ずに、日本という国家の将来を見て江戸無血開城を決断し首尾一貫した行動で国の方向を違えず、しかも幕府の倒壊後には徳川慶喜の助命と徳川家の存命に奔走して幕臣としての節義を守り通した勝海舟など、枚挙にいとまもないほどの人材があった。

これらの武士たちの背景にあったものは、明らかに武士道が本来求めていた「個」としてあるべき姿を追求した行動に他ならない。主君の絶対性は認めるものの、そこに正しいものがない場合には、諫言という行為を行ってまで己の主張を守り抜くという信念を貫く思想である。その結果が、当初の尊王攘夷というものから攘夷を捨てて開国に変えるという決断に見られるものである。それは薩英戦争(1863年7月)や四ヶ国艦隊下関砲撃事件(1864年8月)の長州藩の前年の外国船砲撃に対する米英仏蘭による報復攻撃で、欧米の強大な軍事力の実力の差を見るや開国和親にすぐさま転じていった、その現実認識の鋭さと間違いを訂正する能力の高さであった。これによって明治維新は、西欧思想と科学技術の移入という明確な目標を持った国家建築がなされるのであった。富国強兵のために天皇を神とする国家神道により国民をまとめ上げる思想的なバックグラウンドまで作り上げ、そのために廃仏毀釈により過去の精神的な思想まで棄て去ったのであった。

この結果わが国は、西欧以外では唯一・西欧と対等に伍すことのできる国を、諸外国も驚くほど短期間で達成する事ができたのである。しかし、逆にこの成功は西欧型の国家覇権主義的な動きとなり、武士という階級の者たちが消えてゆく中で、自ら作り上げた天皇という一神教を利用した官僚たちの間違った思考のままに進んでゆくことになった。「個」としての正しいものの追及である本来の意味の国民主権になる事ができなかったのは、皮肉にも武士たちが作り上げた国民をまとめ上げるための国家神道を利用した官僚制度であった。その中で国民は全体主義的教育の中で、天皇や国家に奉仕するだけのものになって本来の個としての正しい行動が制限され、官僚による西欧の国家覇権主義という前近代的なものの追及という間違いの中で破たんしたのである。

敗戦によって天皇を神とする国家神道は廃止されたが、結局、国家形態としての中央集権は変わらず、官僚制度もそのままになっていたために、制度として導入された民主主義は官僚たちの巧みな工作によって機能しないものに変えられ今日に至っている。法律の重要性を知り尽くしていた官僚たちは、国家権力の源泉である立法権を決して離すことはせず、「閣法制度」という隠れみのにより自分たちの権力の温存に成功した。それは現在まで連綿と続き、自民党という一党独裁政権を利用する事で、わが国は官僚社会主義国家になっていったのである。国民は依然として官僚の管理下のものでしかなく、一時的な経済的な成功が戦前の成功と同じ結果を産み、何も変えられない国になってしまっている。この国を歪めた原因は、これらの事実を正しく伝える事ができなかった過去の知識人やマスコミにあるだろう。それは今も変わることなく、小沢一郎の「政治とカネ」や、原発事故の対応などに色濃く残っている。国を歪めているもの、それが何かを国民は正しく理解しなければならない。過去と比べて情報技術の進歩により、国民はあらゆる情報を正しく入手できる。国民が正しい情報のもとで正しい行動をとらない限り国は変えられない。「個」として国民が確立する事、それを行う事が子供たちに対する我々の義務である。

今、世界は西欧の支配から確実に変わりつつある。もはや西欧の科学技術は至る所で利用可能になっており、それによって発展途上国は大きく成長し始めている。もはや西欧至上主義は破綻に瀕している。世界は新しい思想が必要なのである。その意味でもわが国は正しくそれに対処しなければならない。国民の覚醒はますます重要度を増しているのである。
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明治から現在までの歴史に何を見るのか

明治維新を非難する知識人がいるが、それは皮相的というか一面的な見方に過ぎないと思われる。世界の歴史の中で、あれだけ短期間に国家を西欧と同じようにして富国強兵を実現した国はない。その原因は明らかに指導者である武士階級出身者たちによる、「どのような国を作るのか」、という明確な思想があった事による。それを江戸期から続いた、世界で最も高い識字率を持った教育程度の高い国民が支えたのである。

明治維新の背景は、間違いなく西欧諸国の科学技術による圧倒的な軍事力を背景とした、侵略されるという危機感である。その証拠に尊王攘夷というもので江戸幕府を倒した途端、攘夷ではなく開国に踏み切り、西欧の科学技術や思想を全面的に取り入れた事がそれを証明している。それは儒教を背景として国の方向を誤った中国や朝鮮と対比される正しい選択だったと評価されるべきものである。国家を西欧型にするためにあらゆる努力がなされた。過去の思想である仏教や儒教などは廃仏毀釈で棄て去られ、富国強兵のために天皇を神とする国家神道を新たに作り上げることにより国民はまとめ上げられた。廃藩置県によって中央集権が驚くほど早く、また武士階級の無抵抗な対応で、あっという間に実現した。このような犠牲者というものがほとんど出なかった革命のような出来事は世界中のどこにもないものである。

明治維新の成功は明らかに武士階級の崇高な精神のもとに行われた。しかしながらそれに続く大正、昭和の時代になってからは明らかにそれは変質した。西欧至上主義のために過去の西欧の国家覇権主義がすでに時代遅れのものになっている自覚さえなくし、自国の利益という名目で朝鮮の支配、満州侵略から中国全土に対する侵略戦争に突入し、さらに太平洋戦争で自滅するのである。なぜこのようになったのか。それは明治維新を成功させた武士たちの崇高な精神が消えた事であろう。わが国を西欧国家のような制度にすることで憲法の制定など、かたち上は次々と色々な制度が導入されていく。憲法の基本はイギリスから来ていたパークスという傲慢な国家覇権主義の権化のような全権公使を嫌うことでイギリスは棄て去られ、当時フランスを破ったドイツの方式が天皇制を擁立しているわが国に似ている事から、最終的にその立憲君主制をもとにした形で導入された。それを作り上げた武士たちは、国家神道による天皇の絶対性の危うさは理解しており、その運用は危ういバランスの上でなされていたが、時代と共にそれらの優れた者たちがいなくなり、結局は一部官僚による暴走が始まるのであった。国家が強くなり、わずかに豊かになると共に、その成功のために既存の考え方を変える事ができず、官僚制の弊害である権力を自己目的化する事が至る所で噴出した。せっかくの三権分立を持った憲法も、軍部による「統帥権」というものが三権の上に位置される事で暴走が止められなくなり国が破綻したのである。日清、日露戦争は、まだ国家を守るためという大きな思想があったが、それらの勝利によって逆に戦争の肯定と、変える事ができない国となって破綻に向かったのである。自国の実力を評価もできない異常な状況が国に満ち溢れ、太平洋戦争の末期でさえ、神国日本には神風が吹いて米国には勝つという信じられない事が言われ続けた。

敗戦によって民主制度が持ち込まれ、日本人の価値観は180度転換が余儀なくされた。昨日までの天皇を神とする神国思想は徹底的に破壊され、民主主義こそが正しいものとされ、それが道徳のような勘違いがおきた。過去の全てが否定されて日本人は精神的な後ろ盾を失ったが、敗戦による国家の荒廃を克服するために国民は何かを深く考える余裕などなかった。誰もが復興のために懸命に働き、そして短期間に経済復興が実現した。良い学校、良い企業、良い生活だけが目的のような社会となり、それは現在も続いている。民主主義制度は自民党と官僚が一体化した制度の中で形骸化が進み、実態は官僚社会主義の国になっていった。それは現在も連綿と続いている。一時的な経済的な大成功は破綻し、以降、わが国は現在まで低迷したままである。その原因は何か、明らかに国家観という大きな思想の欠如であろう。明治維新に見られた明確な思想は何もない。ただ与えられた制度のもとに知らないうちに経済的な復興が実現した結果、国民は何を目標にすべきかが分からなくなっている。政治においては民主主義の何たるかを理解せず、形だけの制度のもとに続いたものが災いし、至る所で問題が噴出し、迷走ばかりが続く。

簡単に述べてみたが、我々はこれらの事を歴史教育では受けてこなかった。そこでは受験のための暗記だけの空虚な歴史が教えられたに過ぎない。本来の歴史観というものの教育が忘れられているのである。過去の仏教や国家神道ではない原始神道などの優れた思想の教育内での講義は皆無である。それらの重要な思想抜きで、日本人としての過去から現在までの精神的な思想も分からなくなっている。世界が西欧思想で行き詰まっている現在、我々が進むべき道は、これらの過去の歴史からの新しい思想による国づくりや、その世界に対する発信が求められているのではないのか。単に経済だけを目的とした国であってはならない。物質と精神の双方がバランスよく機能する国が作られなければならない。そうして初めて世界に誇れる国民が出てくることで素晴らしい国が作られるだろう。日本に過去からあった自然や他民族、他の宗教や他文明との共生の思想、それこそが世界を救いうるものになると確信する。明治維新以来の我が国の歴史は、たかだか145年に過ぎないものを理解すべきだ。

矛盾の思想・禅

臨済という禅は公案という問答により悟りを助けるという。曹洞宗は坐禅という実践を重視する。禅は「無」というもので象徴される。西田幾多郎は禅の思想から絶対矛盾の自己同一という哲学を作った。それは何を意味しているのか。禅の公案に、木に登り枝をくわえるだけで動けなくなっている者に師匠が問いを放つ。答えれば口が開いて墜落して死ぬ。その絶対的な矛盾の中に真理を見るというものである。西欧思想とは全く逆の考えに西欧人は驚く。矛盾のない世界を求めるのが西欧思想であり、それを追求する事で科学技術も哲学も発展させてきた。しかし世界の実態は矛盾そのものである。だからこそ多くの西欧人は禅の中に真理を見て驚くのである。

我々は明治以来、西欧思想こそが正しいものと、その移入に躍起になって過去の八百万の神という本来の原始神道や、中国や朝鮮を経由して移入した仏教や儒教の思想を放棄してきた。そして太平洋戦争に敗北して、米国をはじめとする西欧による民主主義という制度の移入で、過去の価値観を180度転換する事になった。明治維新の西欧の科学技術の思想はそのままで、天皇を神とする国家神道の全体主義国家の覇権主義が完全に否定されたのである。西欧型の合理主義が教育に入り、その結果が宗教というものの否定になり、道徳までもが無くなってしまったのである。そして米欧人が「禅」というものに驚くと、それだけが目的化して仏教を禅、無というものだけで見るというバカな事態が日本を覆い尽くすことになった。まさに禅の言う矛盾が日本を覆い尽くしたのである。おかげで竜安寺の石庭は大繁盛し、日本は無という言葉で覆い尽くされてしまった。しかし仏教は「無」というものだけなのであろうか。それを我々は問い直さなければならない。

西欧思想こそが正しいとする明治以来の考えは時代遅れとなっている。世界は明らかに西欧思想で行き詰っている。その思考過程のなかでの「禅」というものの見方にも我々は反省すべきである。仏教、中でも日本仏教というものの正しい理解が必要なのである。「無」だけで仏教を理解する軽薄な考えを見直さなければならない。人間の善なるものと、悪であるものを凝視する深い思想、それこそが仏教の本質である。小乗仏教という自分の中の苦からの脱却のための悟りの問題だけではない、他者の救済にも重点を置いた大乗仏教が日本仏教の主流である。小乗仏教は奈良仏教と呼ばれるものに限定されているが、大乗は平安以降の天台宗、密教の真言宗に始まり、その後の鎌倉仏教と言われる浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、禅宗は日本中に多くの信者を持つ。密教と禅は他者を救うという利他の思想よりも自分を救う自利の思想が強い。なかでも禅は分かりにくい。その大きな原因は前述のとおり矛盾というものを通して、絶対的な自由の考えにより坐禅という実践を通じて自身の中の仏性を働かせる事で悟りに至るというものである。禅は自分の外にある仏像を拝まない。禅寺には基本的に仏像はない。あるのは祖師である僧の像などに限られる。個人の中の仏性というものを追求するためである。禅の神髄は既存の価値にとらわれない自由な心、論理や理屈を超えたものにある真理の追究。全ては己の中にあるとする人間の心の追求である。そのために坐禅という実践を通じた強い倫理観というべきか、戒律を守る意志が求められる。理屈では分からない、それを超えたものが求められるのである。日本の禅は、中国で栄えた時のものが移入された事で、そのなかに中国的なものを見てしまう。どこか儒教に通じる徹底した現実的な考えともいうべきものがその根底にあるように見えるのである。

以上で私の禅に対する考えを終わる。我々の中にある仏教というものを語るとき、特に外国人が最も興味を示す「禅」というものにどのような思想があるかを示す助けなれば幸甚である。

天皇制とは究極の世襲制度である

現在、国会では女性宮家の問題が議論されている。それは表向けは天皇の公務の負担減のためと言われているが、実態は天皇制をいかに継続させるのかという問題であろう。男系による皇位継承こそが大事とする時代錯誤の議論がなされることには驚くばかりなので、その問題の根源を述べてみたい。

我が国の天皇制が大きく変わったのは701年の大宝律令の制定である。これは中国の制度をまねたものであった。律という刑法のなかった日本に、初めてそれを制度に入れた事で国の統治形態を変えたのである。問題は、中国においては全ての官僚組織が皇帝のもとにあり、その独裁体制を補佐するものであったものを、大宝律令においては間に太政官という組織が入った事にある。これにより政治は太政官という官僚組織が行うものとなり、天皇は象徴的なものに変わってしまった。実権は政治は藤原氏、祭祀は藤原氏のもとの氏族である中臣氏が握ることとなり、その形態は江戸時代まで連綿と続いた。ここに我が国の天皇家を頂点とした貴族階級の世襲制度が確立された事を見るのである。実権を持つ官僚としての貴族たちというものが、天皇を頂点とする朝廷という組織を名実ともに形作ったのである。

平安時代の中ごろから、関東を始めとした開墾地の私有制を守るために武士という階級が出来上がり始める。そしてそれが実権を持つようになっても、結局、天皇制はそのまま続いた。武士階級にも家というもので世襲制が続いたが、かたち上は天皇から征夷大将軍などの地位のもとによる支配が認められるという形態のままに江戸時代まで続くのであった。天皇制は一時期、院政による支配で承久の乱により鎌倉幕府の討伐という企てをするが敗れ去る。以降、幕府が天皇の任命権を持つ形になる。しかし足利義満の場合を除いて、武士たちは決して天皇制を壊してまで自分が日本国の王になろうとはしなかった。国の正当な覇権は常に天皇にあるという世襲の理論は強く続くのである。戦国時代から幕末の尊王攘夷まで、戦いの根拠には朝敵討伐の天皇の命令としての「治罰の論旨」という権威が利用された。このように、天皇以外のある特定の権力が全権を持つことが無いように、天皇制は世襲という継続のもとに利用されるものになっていったのである。それが皮肉なことに今日まで連綿と続く大きな背景なのである。

天孫降臨神話はイザナギ、イザナミという夫婦神による国生みにより日本列島ができ、その子供のアマテラス(女)、ツクヨミ(男)、スサノオ(男)の三貴神の物語である。アマテラスはイザナギの後継者、ツクヨミは黄泉の国の支配者、スサノオは海の支配者を命じられるが、いう事を聞かない乱暴者のスサノオは出雲に流される。その子孫の大国主命が大和地方を中心にして日本支配をしていたものをアマテラスの孫のニニギに国譲りさせる事で天孫として降臨する。そしてアマテラスがニニギに神勅を与えて日本国の支配を与える。その子孫が第一代天皇の神武天皇になるというのである。これを考えれば男系天皇による万世一系の天皇制に意味がない事は明白である。おおもとが女性なのである。

なぜ男系の万世一系が重要なものなのかに根拠は何もない。それは宗教と同じで絶対性の根拠はない。平安時代の中期まで、皇族を含めて、婚姻制度は男性に嫁ぐのではなく女性に嫁ぐ招婿婚が主体であった。従って天皇の後継が男系でなければならないなどの意識はなかったと見るのが妥当である。事実、明治における江戸時代の国学による平田神道をもとにした国家神道が出来上がるまで、中世期までにそのような考えはどの文献にもない。男系が続いたのは女性が皇族以外の男性と性的交渉を持たないとする皇族内の倫理観だけであったとする説が有力である。男系による表向きの連続は単なる結果だったのである。男系が続いたとする科学的根拠もどこにも存在しない。

このように、今でも明治時代の国家神道に基づいて、男系の皇位継承を守ることがわが国の国体であるとかいう論理を偉そうに述べる政治家は、一体、何が言いたいのか理解できない。それは明治の天皇を神とした国家神道という捏造宗教による皇国史観というものをなぞっているだけの軽薄な意見に過ぎない。あたかも全国民が天皇制の絶対性を信じているような言動には驚くばかりである。むしろ天皇の公務の多さや、その年齢も考慮しない非人間的な扱いこそが問題であり、天皇家としてもそのような事は望んでいるとは思えない。本当に天皇陛下を敬っているなら、そのような非合理的な制度と共に、戦後になってから無宗教にされてしまっている天皇家を人間に戻して差し上げる事こそ求められているはずである。これ以上、天皇制を国家として利用するような事は止めるべきである。

戦争を肯定する西欧思想とは何か

世界は依然として戦争を無くせないままでいる。米国とイスラエルはイランに対する核開発疑惑という理由だけで戦争を始めようとしている。一体、米国や西欧各国はなぜ戦争そのものを無くす事ができないのであろうか。そしてそれを解決するものを人類は提示できないのだろうか。問題の本質とは何なのかを我々は理解しているのだろうか。明治以来、西欧至上主義で来たわが国は、その西欧の思想の裏にあるものを正しく理解したのであろうか。西欧の思想だけが正しいという偏見で世界を見ることになっているのではないのか?それでは西欧と何も変わらない事になる。我々は敗戦によって平和憲法を持つことになった。しかしその理念を世界に対して思想として説明できていない。わが国が世界から尊敬されるためにも、その理念を哲学的に説明できる国になる必要があるのだ。

西欧の戦争肯定の思想の一つは旧約聖書に基づくものと、それを引き継いだキリスト教による思想にある。国際法の父と呼ばれるグロチウスは旧約聖書は人間に戦争は禁止してはいないとして、その原理を自然法と呼んだ。モーゼの律法という十戒のなかの六番目の「汝、殺すなかれ」という言葉は、ただむやみに人を殺してはならないとしたものにすぎず、神の意志として命令に従う殺人は認められているという。事実、西欧各国は植民地政策などにより西欧以外の人間に対しては無数の殺人行為をしてきている。神は異教徒にはゲヘナの火で焼くつくすという、キリスト教の最後の審判と同じことを西欧人はしてきたのである。何という傲慢な考えであるか、今から考えれば西欧人の勝手な理屈に過ぎない。

もう一つのものは、デカルトに始まる人間中心の二元論に始まる思想から発展する科学技術による発展の思想である。デカルトは思惟する自我と、それ以外の動植物や自然を単なる物質とした。人間の体でさえ物質と考えて生命を見ないものとしたのである。そこでは自然は人間のために使われる「モノ」となり、その結果、自然科学というもので科学技術が発展してきた。さらにヘーゲルは国家を絶対化し、世界史は絶えず発展するものとした。その発展は矛盾を通じて起こり、正・反・合という過程を繰り返しながら発展するという弁証論となった。ここにおいて国家間の闘争が正当化されるのである。マルクスはこの国家間の闘争を階級間の闘争という形に変え、観念から物質に変えた唯物弁証法で世界は発展するというものに変えた。世界は資本主義から社会主義に変わると予言したが、歴史はその間違いをすでに証明してしまった。これらの思想の背後には人間を理性的存在と考えて他のものと区別してきた。しかし、その後のニーチェやショーペンハウエルなどは、人間を理性とは見ずに意志として捉えた。ショーペンハウエルは人間を動かすものは盲目の意志と捉え、ニーチェは全く逆に全ての存在するものをおのれの支配下に置くとする生命の意志として捉えた。人間は戦うもの、強きもの、征服するものという戦争肯定者であった。そしてハイデッカーは、このニーチェの意志の思想こそ、デカルトやヘーゲルなどの理性の裏にある、西欧思想の本当の思想であると看破した。正に西欧思想は闘争の哲学であったのである。一切の自然と一切の人間の征服を理性という仮面のもとに、その野獣的意志によって行うものが西欧思想の根源なのである。西欧のこれらの思想と共に、科学技術による圧倒的な武力が世界を席巻してきたのである。

そして死の問題。西欧思想の根底にあるソクラテスの魂の不死の証明による、毒杯をあおって死んだことから来る不死の思想。さらにキリストの十字架上の死からのよみがえりによる天国への昇天と、地上への再臨に伴う神の国の実現による死者の復活という思想から来る不死の思想。これらにより人間の不死が約束されることから来る死というものの忘却がある。人間は戦争をしても滅ばない、最後にはよみがえるという思想になってしまった。人間は精神と共に単なる物質となり、精神も死なず、物質も不死なのである。しかし本当にそれで現代の世界はやっていけるのであろうか。世界中の国々が保有する核爆弾は、全人類を何回も絶滅できるだけの量を持っているのである。過去と違って極端な殺傷力のあるこの武器の発明によって、人間はそれを使用して戦争を行えば全人類は確実に死ぬのである。我々はその現実を直視しなければならない。もはや西欧思想で世界は救えない事は明らかなのである。

世界を救う思想はすでに何回も書いてきたので省略する。新しい思想を世界は本当に必要としているのである。
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