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この虚脱感をどうしろというのだろう

消費増税のために全ての公約を無視して自民党と公明党の言いなりで法案に賛成しろというバカな男。その男が国を壊している。政権交代前の辻立ち演説を聞いてほしい。マニフェストに書いていない事を堂々とやり、それを全てのマスコミも評論家たちも非難しようとしていない。全てが国民無視の出来レースになっている。この国は本当に民主国家ではない。全てが官僚の筋書きで進められている。ウソつきが勝つという国になってしまったのか。公約を守ろうとする小沢一郎には非難が集中するという異常な国、滅茶苦茶である。

原発の再稼働反対のために一万人を超える市民が官邸前に集まった。驚いたことにマスコミはこれを報道さえしない。こんな国がどこにあるんだ、そうか北朝鮮や中国と同じなのだ。世論操作に都合の悪い報道はされないのだ。原発がないと生活が立ち行かなくなるなどの滅茶苦茶な屁理屈と、真下にあると言われる活断層も無視して大飯原発の再稼働も強行されようとしている。あらゆる意味で官僚たちの利権確保が優先され、国民の声は無視されて生活も安全も壊れていく。こんな国に誰がしたのか。それを国民の責任と簡単に言う輩がいる。しかし選挙での公約を破られたら、それは選んだ国民の責任では断じてない。ウソをついた政治家に全責任がある。

日本が太平洋戦争で敗戦を迎えるまで、道徳は教育勅語と呼ばれる天皇崇拝に儒教などのものが加えられた中央集権のための道具によって教えられた。敗戦によりこの道徳も禁止となったが、わが国の政治家も知識人も誰も民主国家にふさわしい道徳の確立という事をしてきていない。平和や民主主義が道徳のような誤解さえ堂々と存在している。道徳の教育からの欠落により、日本国民は明治以前から持っていた仏教や儒教、原始神道による自然の中に神を見るなどの優れた道徳観念が年を追って消滅している。そのような国民の中から理由も無く人を殺すなどの事件が増え、政治家も官僚も、知識人といわれる者たちも「嘘」を平気でつくようになっている。そして、増税も原発も、あらゆる意味で国民に平気で嘘をつく野田佳彦という最悪の政治家が出現してしまった。それに同調して同じことをしているさもしい民主党議員たちのいかに多い事か。自分だけが感じているのではなく、大多数の国民も感じているだろうこの虚脱感は何なのか。政権交代で国が変わると期待した事が、以前の自民党よりひどい政治になってしまった。我々はこれを絶対に許してはならない。次の選挙では増税に賛成した議員は絶対に落選させなければならない。ウソつきが勝つ国にしたら自分たちの子供たちに未来はなくなる。正しい事をした者が報われる国にしないでどうしようというのか。国民は黙っていないで断固として行動を起こすべきである。道徳の復権をしなければならない。
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般若心経の現代語訳

摩訶般若波羅蜜多心経

実相を自在に観る目の開けた菩薩は、

般若波羅蜜多を深く行じていた時

我々の体や精神作用は自性を持たず、
縁起による無常なる現象なのだと見極めて

一切の苦悩、厄災から免れたのである。

舎利子よ

あらゆる物質的現象には自性がなく

自性がないという実相は、常に物質的な現象
という姿をあらわす。

物質的現象は自性がなく

自性がないゆえに、縁起することで物質的現象で現れる。

従って、感覚も、表象作用も、意思も、意識・無意識を含む
あらゆる認識にも自性はなく、縁起により無常の中に生滅している。

舎利子(智慧第一とされる釈迦の弟子の一人)よ

この世の全ての存在するものには自性はない。

だから

生じもせず、滅しもせず

汚れたり浄くもない、

また減ることもなく、増えることもない。

あらゆるものに自性はないという立場で見れば

感覚にも、表象にも、意思にも、認識にも自性はなく

目も耳も鼻も舌も身体も心も単独で存在するものではなく

そこで捉えられる形、声、味、香り、触れられる対象も自性はなく
全ては感覚と対象の出会いというもので感じられるだけの 幻想に過ぎない。
 
それ故に無明は存在せず

無明から

最後の老死に至るまでの全ては自性がなく

十二因縁の全てのものにそれは当てはまるものであり

四諦で定義される苦・集・滅・道というものもないのである。
(苦は人生の苦しみ、集はその原因・それは欲望、滅は苦の
原因の 欲望を滅ぼす事、道は滅ぼすための方法を示している)

般若波羅蜜多とは、智と呼ばれるものでも、得られるものでもなく
もともと「いのち」という実相の発現そのものであるのだから
別にあらためて得るというものではない。

求道者としての菩薩は、

般若波羅蜜多を実践したことにより

心に何のわがかまりもなくなった。

わだかまりが無くなったがゆえに、

恐れもなく、

一切の邪見、偏見から自由となり

永遠なる心の静寂を得る事ができた。

過去・現在・未来の全ての仏と呼ばれる人々は、

この般若波羅蜜多を実践する事で

この上ない普遍的な人格に目覚めるのである。

だから今、知るべし

般若波羅蜜多とは

大いなる神秘の咒文なのであり、

光輝ある咒文であり、

最高の咒文であり、

比類なきものである。

この咒文は、この世の一切の苦悩を取り除くことにおいて

まさしく真実であると共に、一点の虚妄もない。

ではその般若波羅蜜多の

咒文を示そう。

原文のまま 羯諦、羯諦

原文のまま 波羅羯諦

原文のまま 波羅僧羯諦

原文のまま 菩提薩婆訶

ここに智慧の完成の教えを終わる

般若心経

摩訶般若波羅蜜多心経

原文        読み        解説

観自在菩薩  かんじざいぼさつ  観自在菩薩、

行深般若波羅蜜多時  ぎょうじん・はんにゃはらみつた・じ  般若波羅蜜多を深く行じし時、

照見五蘊皆空  しょうけん・ごうん・かいくう  五蘊は皆、空なりと照見して、

度一切苦厄  ど・いっさい・くやく  一切の苦厄を度したまえり。

舎利子  しゃりし  舎利子よ、

色不異空  しき・ふ・い・くう  色は空に異ならず、

空不異色  くう・ふ・い・しき  空は色に異ならず、

色即是空  しきそく・ぜくう  色は即ち是れ空、

空即是色  くうそく・ぜしき  空は即ち是れ色なり。

受想行識亦復如是  じゅそうぎょうしき・やく・ぶ・にょぜ  受想行識も亦復た是くの如し。

舎利子  しゃりし  舎利子よ、

是諸法空相  ぜ・しょほう・くうそう  是の諸法は空相にして、

不生不滅  ふしょう・ふめつ  生ぜず、滅せず,

不垢不浄  ふく・ふじょう  垢つかず、浄からず、

不増不減  ふぞう・ふげん  増さず、減らず、

是故空中無色  ぜ・こ・くうちゅう・むしき  是の故に空の中には色もなく

無受想行識  む・じゅそう・ぎょうしき  受も想も行も識も無く、

無眼耳鼻舌身意  む・げん・に・び・ぜつ・しん・に  眼も耳も鼻も舌も身も意も無く、

無色声香味触法  む・しき・しょう・こう・み・そく・ほう  色も声も香も味も触も法も無し、

無眼界乃至無意識界  む・げんかい・ないし・む・いしきかい  眼界も無く、乃至、意識界も無し。

無無明  む・むみょう  無明も無く、

亦無無明尽  やく・む・むみょう・じん  亦、無明の尽くることも無し。

乃至無老死  ないし・む・ろうし  乃至、老も死も無く、

亦無老死尽  やく・む・ろうし・じん  亦、老と死の尽くることも無し。

無苦集滅道  む・くしゅうめつどう  苦も集も滅も道も無く、

無智亦無得  むち・やく・むとく  智も無く、亦、得も無し。

以無所得故  い・む・しょとく・こ  得るところ無きを以ての故に。

菩提薩曙煤  ぼだいさった  菩提薩曙狽、

依般若波羅蜜多故  え・はんにゃはらみつ・た・こ  般若波羅蜜多に依るが故に、

心無罫礙  しん・むけいげ  心に罫礙無し。

無罫礙故  むけいげ・こ  罫礙無きが故に、

無有恐怖  む・う・くふ  恐怖有ること無く、

遠離一切顛倒夢想  おんりいっさい・てんどうむそう  一切の顛倒夢想を遠離して

究竟涅槃  くぎょう・ねはん  涅槃を究竟す。

三世諸仏  さんぜ・しょぶつ  三世の諸仏も、

依般若波羅蜜多故  え・はんにゃはらみつた・こ  般若波羅蜜多に依るが故に、

得阿耨多羅三藐三菩提  とく・あのくたらさんみゃくさんぼだい  阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

故知  こ・ち  故に知るべし。

般若波羅蜜多  はんにゃはらみつた  般若波羅蜜多は

是大神咒  ぜ・だいじんしゅ  是れ大神咒なり、

是大明咒  ぜ・だいみょうしゅ  是れ大明咒なり、

是無上咒  ぜ・むじょうしゅ  是れ無上咒なり、

是無等等咒  ぜ・むとうどうしゅ  是れ無等等咒なり。

能除一切苦  のうじょ・いっさいく  能く一切の苦を除き、

真実不虚  しんじつ・ふこ  真実にして虚ならず。

故説般若波羅蜜多咒  こ・せつ・はんにゃはらみつた・しゅ  故に般若波羅蜜多の咒を説く。

即説咒曰  そくせつしゅわつ  即ち咒を説いて曰く、
 
羯諦羯諦  ぎゃてい・ぎゃてい  羯諦、羯諦、

波羅羯諦  はらぎゃてい  波羅羯諦

波羅僧羯諦  はらそう・ぎゃてい  波羅僧羯諦

菩提薩婆訶  ぼじ・そわか  菩提薩婆訶

般若心経  はんにゃしんぎょう  般若心経

以上、出展は玄侑宗久氏による現代語訳般若心経から

マスコミよ、恥を知れ

権力に唯々諾々と従うこの国のマスコミ、あまりにも酷い。小沢一郎とその秘書達に対する「政治とカネ」という問題で検察とつるんで3年以上も続けた世論操作。その結末は検察による捏造であるという驚くべき結末を迎えた。検察と最高裁は不正隠しに必死になっているが、なぜかあれだけ騒いだマスコミは権力側の不正に対して声をあげない。こんなバカな事が許されるだろうか。あれだけ騒いだ責任はどこに消えたんだ。TBSなどは映像を捏造してまで賄賂の授受があったような報道をしていた。ここでも国民の事が無視されている。

野田という男が首相になってそれが加速された。選挙前にシロアリ発言して無駄を省けば増税は必要ないと言っていた男が、コロッと態度を変えて増税しろと言い出す。普通の国であればマスコミが大問題にして追及すべきものなのに、この国では御用評論家や御用学者をマスコミが使って官僚の言いなりになっている。全員が増税が必要と大合唱。正に政権交代直後の鳩山元首相の辺野古移転の問題に対する「日米関係が壊れる」という大合唱と同じ構図である。沖縄県民の事は無視して、官僚の意向のままに勝手に日米関係なんて言葉で大騒ぎ、そして国民も簡単に騙される。沖縄県民こそいい面の皮だ。

次に起きている事は原発問題だろう。福島原発が事故を起こした時、マスコミは官僚の用意した御用学者たちの、原発は壊れません、メルトダウンもしませんという言葉をテレビで流し続けて国民を騙した。SPEEDIの公表がなされずに被爆した多数の避難民を無視し、官僚や福島県知事の対応も非難もしていない。原子力村と呼ばれる原発関連の官僚、御用学者、企業による利権は擁護し、原発は安い、無ければ経済がダメになるという嘘報道を流しまくる。そして極めつけが昨日の野田ブタによる大飯原発再稼働の必要性に関する記者会見だろう。30項目の新たな安全対策に対して13項目しかできない事を隠して安全が確認されたという政権側のウソと、それを利用する大飯町長や福井県知事の茶番を非難しない。

これらの問題で使われる言葉は「世論は」というものである。陸山会事件にかかわる小沢一郎に対しては世論操作を繰り返し、「国民の声は」、という言葉で非難を繰り返した。しかし増税と原発問題では世論操作に関わらず世論は反対多数である。すると手のひらを返すように「世論は、国民の声は」という言葉が封印される。一体誰のために報道がされているのか。明らかに国民視点ではなく官僚と言う権力の言われるままに動いているだけである。

マスコミよ「恥」を知れ。国民に平気で嘘をつき、権力に言われるままに動くようなメディアとそれにたかる評論家や御用学者たち。全員「恥を知れ」、二度と国民にウソをつくな。野田ブタのウソも許せない。みんな共犯者だ、恥を知れ。

何を求めて社会を作るべきなのか

まいど何度も同じような事を書いてきているが、我々は何を求めているのだろうか。物質的な欲望の満足だけの社会はいつか行き詰まるだろう。しかし100億になろうとしている世界人口を支えるために、過去の農業や狩猟採集だけに頼る世界に戻ることは不可能である。工業という科学技術に支えられた自然からの搾取による経済の存在を無視して地球経済は成り立つはずはないほど引き返せない所まできている。我々の選択肢は日々狭められている。このまま何もせずに破滅に向かうのか、それとも新しい世界を作るために何かをするべきなのか。誰がそんな事を考えて行動しているだろう。誰もが日々の生活のために汲々としているのに、お前は何を偉そうに言うのかという言葉が聞こえてくる。しかし現実には非西欧諸国の発展は著しく、世界は明らかに変わりつつある。遠からず地球人口は100億になるだろう。日本は過去のような工業による輸出で生きていくことは困難になるのは目に見えている。又、非西欧諸国の台頭で、世界中の一次産品は明らかに奪い合いの状況となるだろう。それなのにわが国は農業も漁業も原発事故で大変なことになっている上に、TPP参加などというバカな議論が続いている。いまから一次産品を国内で賄える体制を作っておかない限り、近い将来、間違いなく国民は生活に困ることは明らかである。この国の政治家の先見の明のなさ、それは知識人といわれる者たちも同じだ。官僚は変化というものに対応できないからはじめから失格である。何も出来る訳がない。

我々が求めるべき社会は「国」という単位のものであってはならない。世界が過去に比べて、物理的にも、情報通信の速さにおいても、極端に小さいものになっている現在、従来からの思想のままでは何も機能しないだろう。各国は、現在の一国の中の地方のような感覚にならざるを得なくなるはずである。世界が一つの国になるという事は非常に困難だろう。EUを見て見ても経済という問題で対立が起きる。それを全世界が一つになるという思想にすることはもっと困難が待っているだろう。しかし、この問題は絶対に避けては通れない。それは過去の歴史を見れば必然に思える。17世紀以来の西欧による科学技術による発展の上の人類の繁栄、それが西欧以外の国々に広まっていけば、その先にあるものは何か。その事を抜きにどんな思想も意味を持たないだろう。人類が発展を続けるためには、あらゆる意味で共生の理念が求められるのである。それは自然との共生、他文化との共生、異なる宗教との共生、そして工業とそれ以外の一次産業との共生であろう。有限な資源をどのように使って発展を持続するのか、その問題抜きに将来を考えるべきではない。そして日本こそ、我々こそがその答えに最も近い経験を経ているのである。日本人が世界にその必要性を提唱すべきなのである。
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