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何を求めて社会を作るべきなのか

まいど何度も同じような事を書いてきているが、我々は何を求めているのだろうか。物質的な欲望の満足だけの社会はいつか行き詰まるだろう。しかし100億になろうとしている世界人口を支えるために、過去の農業や狩猟採集だけに頼る世界に戻ることは不可能である。工業という科学技術に支えられた自然からの搾取による経済の存在を無視して地球経済は成り立つはずはないほど引き返せない所まできている。我々の選択肢は日々狭められている。このまま何もせずに破滅に向かうのか、それとも新しい世界を作るために何かをするべきなのか。誰がそんな事を考えて行動しているだろう。誰もが日々の生活のために汲々としているのに、お前は何を偉そうに言うのかという言葉が聞こえてくる。しかし現実には非西欧諸国の発展は著しく、世界は明らかに変わりつつある。遠からず地球人口は100億になるだろう。日本は過去のような工業による輸出で生きていくことは困難になるのは目に見えている。又、非西欧諸国の台頭で、世界中の一次産品は明らかに奪い合いの状況となるだろう。それなのにわが国は農業も漁業も原発事故で大変なことになっている上に、TPP参加などというバカな議論が続いている。いまから一次産品を国内で賄える体制を作っておかない限り、近い将来、間違いなく国民は生活に困ることは明らかである。この国の政治家の先見の明のなさ、それは知識人といわれる者たちも同じだ。官僚は変化というものに対応できないからはじめから失格である。何も出来る訳がない。

我々が求めるべき社会は「国」という単位のものであってはならない。世界が過去に比べて、物理的にも、情報通信の速さにおいても、極端に小さいものになっている現在、従来からの思想のままでは何も機能しないだろう。各国は、現在の一国の中の地方のような感覚にならざるを得なくなるはずである。世界が一つの国になるという事は非常に困難だろう。EUを見て見ても経済という問題で対立が起きる。それを全世界が一つになるという思想にすることはもっと困難が待っているだろう。しかし、この問題は絶対に避けては通れない。それは過去の歴史を見れば必然に思える。17世紀以来の西欧による科学技術による発展の上の人類の繁栄、それが西欧以外の国々に広まっていけば、その先にあるものは何か。その事を抜きにどんな思想も意味を持たないだろう。人類が発展を続けるためには、あらゆる意味で共生の理念が求められるのである。それは自然との共生、他文化との共生、異なる宗教との共生、そして工業とそれ以外の一次産業との共生であろう。有限な資源をどのように使って発展を持続するのか、その問題抜きに将来を考えるべきではない。そして日本こそ、我々こそがその答えに最も近い経験を経ているのである。日本人が世界にその必要性を提唱すべきなのである。
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