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歴史というものを忘れた日本人

現代人は歴史をどのように教育されてきただろう。わが個人的な感想を言えば、それは大学受験のための暗記物に過ぎない。そこには思想とか、宗教とか、精神的なものは一切ない。いつ、誰がいて、何があったかの羅列でしかなかった。その背景に何があったなどは無用の長物に過ぎず、完全に無視されていた。教育の中心は英語と数学であった。

このような実態の背景は何だったのか。大部分の国民はその意味すら考えずに生活している。しかし、現在の我々は過去からのつながりの結果であるのだから、それには理由がなければならない。この国はどのような歴史を経て現在があるのか?そのような教育が歴史の中にぽっかりと抜け落ちてきているのである。従って、政治の問題でも、いたずらに言葉だけが飛び交い、その背景にある思想や精神的な背景が何も語られずにいる。その結果、ますます政治というものも訳が分からなくなり、その時、その時の問題解決のような短期的な見方で国民が右往左往させられているように見える。日本維新の会などの出現はその典型に見える。

ここでは、再度、日本の政治家、中でも自民党議員たちを保守と呼ぶ日本のマスコミや知識人の頭の構造を見てみよう。保守とは何であるのかはすでに書いた。しかし、もっとも我慢ならないのは、評論家とかマスコミとかが、平気で間違いを認識せずに保守という言葉を安易に使うことである。最も頻繁に言われているのは、自民党の政策などを保守という言葉で一括りにしている報道である。彼らの政策のどこが保守であるのか、全く意味をなしていない。その政策は、過去の明治維新で作られた天皇を中心に国民をまとめ、国家を富国強兵の国にするがごとくの時代錯誤の政策に過ぎない。従って、平然と靖国神社に参拝する事を厭わない。天皇を元首としようとし、国旗、国歌を強制し、徴兵制度の復活まで言い出し始める。政策には国民生活は二の次になり、国家の発展だけが優先される。それを極端にしたものが小泉郵政改革という名の下の弱肉強食の米国型の新自由主義国家への転換であった。その結果、国民は自民党に決別し政権交代を民主党に託した。しかし、結果は見ての通りの体たらくである。

一体、この国の政治家たちは何を以て保守と言いたいのであるのか。そこで明治維新で何が起きたかを見なければならない。それを比較する事で、わが国の政治家や評論家がいう「保守」という定義が見えるだろう。すでに何度も書いたように、明治維新とは西欧文明移入に全面的に国のあり方を変えた事である。科学技術による圧倒的な経済力と軍事力の前に、非西欧文明諸国は次々と征服されていた。それを見た武士階級は国家の方向を見事に変えたのである。そして、その移入による新しい国家のための精神的な柱として、国学と水戸学に基づく国家神道が採用された。国学は本居宣長や平田篤胤にもとずく、古事記などの世界こそが清く正しい世界であるとする江戸後期の尊王攘夷の下になった思想である。そこでは、仏教や儒教ではなく、日本古来のものこそが基本とする思想なのであるが、わが国に固有の文明は存在していないという現実を無視したものであった。わが国の文化は、外来の仏教や儒教を元にして独自のものに作られてきたという事実を無視したのである。そこに神道というものを作り上げたのであるが、それは過去の日本に存在した本来の自然崇拝である神道とは違った物を作り上げるのである。国学では神は自然ではなく天皇という人間に変えるのである。さらに藤田東湖による水戸学は儒教を基本に置く。本来は中国のものである儒教は、中国より日本の忠の精神の中にこそ本当の精神が見られるものとして、万世一系の天皇を実現している日本こそに実現されているとする。このように儒教の人間主体の思想となったものが、明治の富国強兵のための精神的な支柱として天皇を中心に国民をまとめ上げるものとして採用されて国家神道になるのである。そこで作られた新しい思想に基づき、天皇の神格化、靖国神社というあたらしい社に、国に殉じたものだけを祀り上げるという壮大な仕掛けが作り上げられてゆく。その結果、日本は驚くほど早く西欧化に成功したのである。問題は、その後も時代遅れとなっていた国家覇権主義を変えられなかった事にある。それが太平洋戦争での敗戦という破綻につながるのである。

この明治維新のために作り上げられた思想による国のかたちに戻ることが保守なのであろうか?これを分析すれば、以下のような構図が明らかになる。まず、明治維新は西欧化により富国強兵が実現できて成功した。その成功に国家神道による天皇の利用は重要な位置を占めた。教育もその政策に沿って実施されて成功した。だから俺たちもそれを踏襲するのだ、という短絡した思考に思える。そこには、19世紀には、すでに国家覇権主義は時代遅れの思想であったという自覚がない。だから太平洋戦争で、なぜ国家が破綻したかの分析が何もない。このような全体の歴史の背景を正しく見ずに、直近の西欧文明の移入の為だけのかたちに戻るということの何が保守であるというのか。あまりにも軽薄になっているこの国が心配である。このままでは間違いを間違いとも認められず、一部の人間の言われるままに進むという戦前のかたちが再現する恐れが充分にある。我々は、現在の我が国や国民の姿を、過去の歴史の中で、その流れの結果として見るという姿勢を持たなければならない。それはひいては、わが国の姿を世界の歴史の中で正しく見るという結果につながるものになるのである。現在というものがあるのは、過去からのさまざまな歴史の結果である事を再認識すべき時である。
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敵対する思想の中からは何も生まれない

尖閣をめぐる問題では中国と、竹島では韓国と大騒ぎになっている。いずれも領土という問題であるが、その背後にある中国や韓国の感情を見なければならないだろう。すでに何度も書いたが、明治維新は、日本が西欧の科学技術文明の全面的な移入という政策によって成功した歴史である。一方、中国も朝鮮も、中国の一国が世界という大国主義と、その儒教による過去しか顧みない思想により世界の発展から大きく立ち遅れた。日本は、西欧の科学技術による富国強兵に成功したが、その背景にある西欧の国家覇権主義がすでに時代遅れのものであったことに気づかず、そして軍部官僚による統帥権の悪用による暴走を止められずに、朝鮮や中国に侵略した。国力に劣る朝鮮や中国は日本にかなわず、大きな被害を受けた。そして日本は太平洋戦争に突入して自滅していった。大体、これが明治以来の歴史の流れであるだろう。

しかるに明治以前の日本の歴史はどうなのであろうか。大多数の日本人は、大和朝廷設立以降の歴史が日本だという理解しか持っていない。そのために、日本は稲作中心の、万世一系の天皇による国家という単純な理解をしている。しかし事実は違う。大和朝廷の発生から今日までの歴史は、日本における歴史の五分の一にすぎない。全体の五分の四は縄文文化の長い時代の歴史である。人種的にも、縄文人は古モンゴロイドという毛深く、彫りが深く、手足の長い人種であるが、大和朝廷を作り上げた弥生人は新モンゴロイドという、中国や朝鮮から渡来したのっぺり顔の手足の短い人種である。日本人の基調は、母方に縄文人、父方に弥生人という混血である。

縄文土器は世界で最も古いもののひとつであり、その多彩で精巧なことでは世界一優れたものと言われている。基本的に狩猟採集による長い歴史があり、その影響は日本人の食文化の中に見られる「刺身」などの生ものを食べる習慣や、土器を利用して調理した事による多彩な鍋料理に名残りが見られる。縄文人の子孫は弥生人に追いやられた結果、北海道のアイヌと、沖縄や南九州の端っこに位置する隼人などに残された。大和朝廷を作り上げた弥生人は、中国の江南地方から渡来して九州南部にいた人々が東征して、近畿地方にいた朝鮮から来た別の弥生人の集団を征服した者たちと言われる。それが古事記や日本書紀にいわれる、国つ神から天つ神への国譲り神話となる。以降、明治時代まで、文明は全てインド、中国、朝鮮からもたらされてきた。その中で日本人は言語も、文化も、宗教も、日本独特のものに変えながら、島国という特性の中で歴史が作られてゆく。

従って、明治以降は全ての文明が西欧からの移入に変えられるまでは、全ての文明は中国と朝鮮経由で来たのである。それが明治以降は大きく変わり、過去を忘れて中国や朝鮮を侵略した事で、彼の国の人々はその恨みを未だ忘れてはいないのであろう。しかし、日本も敗戦で大きな痛手を負ったし、中国と韓国とも、戦争に関する全ての事は国際法に基づき決着済みとした事も事実である。それが不十分だと、いつまでも政治的に利用しても何も解決にはならない。そこは我々は正しく歴史を認識したうえで、毅然とした対応が必要である。領土問題もその延長上で考えるべきであり、毅然として対応すべきなのに、竹島については具体的に何もせず、今回の尖閣についても政府間での話し合えも行われようとしない。そこは国際法廷での決着以外に解決策はないだろう。明確な方針が必要である。

すでに韓国も中国も、経済的には日本を越えようとしている。日本はバブル崩壊以降、経済的にも外交的にも影響力は低下し続けているが、それによる敵対という状態では何も解決にならない。前回にも書いたように、すでに世界は狭くなっており、国家間の闘争を元に発展は続けられない。それは歴史が証明している。大きな流れの中で、お互いに取るべき道をみつけ、お互いが納得できる方法で問題を解決すべきである。国家間の敵対思想による解決は何も生まない時代になっているのだ。世界に必要な思想は共存・共栄という、科学技術をもとにした、地球というの限りある資源の利用による発展という新しい思想によらなければならない。
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