スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

世界を見る基準としての欲望という概念

ヨーロッパの凋落が始まり、それは米国に及んでいる。日本も国内経済は成長できない期間が長く続く。中国は数年後には世界一の経済大国になるだろうと言われているが、その結論は早い気がする。もはや一国だけで経済を見る事に意味が無くなっている。現実問題として、日本も製造業より、M&Aという買収や統合という企業の再編による投資額で利益を生もうとする非実体経済の額がどんどん大きくなっている。米欧はすでに為替、株や知的財産などの非実体経済が額では物を作ったりサービスを提供する実体経済の額より大きくなっている。世界が狭くなればなるほどモノづくりの主体は、人件費との関係で発展途上国での規模が増えるのは自明の理である。先進国は競争の原理により、技術と共に途上国の安い労働力を求めて物づくりの流出は止まらない。

過去のたったの3百年と少しの期間で、世界は西欧の科学技術の利用による発展の構図により大きく変わった。人間中心の思想は世界を覆い、自然を搾取して発展するという形はとめどなく進行し始めている。これまでの西欧だけによる繁栄の構図は崩れ、過去の後進国と呼ばれる国々が経済的に豊かになるにつれ、世界は大きく変わろうとしている。そのために、17世紀以来の西欧の思想は世界中に蔓延し始めている。その本質は欲望の無限の解放である。過去の西欧思想は人間の理性の優越性を唱え、キリスト教という精神的な背景により、かろうじて欲望の制御がなされていた。しかし、ショーペンハウエルやフォイエルバッハの登場により、人間の本質は脳みそだけではなく、食欲や性欲という欲望こそが人間を動かすものであるという考えが大きくなる。ショーペンハウエルの考えはニーチェにつながり支配する意志となり、フォイエルバッハの考えはマルクスにつながり唯物弁証法を生み出す。物質的な欲望のみならず、人間の深層心理の解明を図る動きから、フロイトなどによる性的欲望こそが人間を支配するという考えも世界に広く知られるようになった。

世界的に見れば、西欧の国家覇権主義は19世紀には否定され始めるものの、その本質は何も変わらず、形を変えた他国支配のかたちを模索していたに過ぎない。米国は建国以来、その新天地という巨大な国土の開発によって、個人の欲望の拡大を国是としている。アメリカンドリーム、それは言葉を変えれば個人の究極的な欲望満足の完成である。建国から続いたプロテスタントの倫理観がなくなるにつれ、アメリカは欲望支配一色の国に変わり続け、ついには売春や臓器の販売までの自由が議論される国になっている。未だにキリスト教的な背景は残ってはいるが、個人の物質的欲望こそが最も重要な国に変わってしまったのである。そして国内が飽和状態になるにつれ、米国はその強大な軍事力による他国支配による発展をしはじめている。米国一極主義で、世界は過去にないほど危険な状況に陥っている。

我が国は明治以来、西欧思想一色に変えることによる富国強兵政策によって国家を変え、一時的に成功はしたが、時代錯誤の国家覇権主義に走り太平洋戦争で自滅してしまった。戦後は過去の精神的な基盤として求められた天皇中心の忠君愛国という精神的思想が禁止され、精神的な背景の全てを失い米国型の欲望満足の為だけを求める国に変わった。勤勉な国民により、世界が驚くほど早く経済的な成功をおさめたが、いきすぎた欲望追求の経済はバブルの崩壊という結末で終焉した。以降、わが国は官僚社会主義という隠された統治制度による変われない国のまま低迷を続け現在に至っている。国民は道徳という精神的な問題を無視した結果、精神的なよりどころを失い、世界第三位の経済力があるにもかかわらず、何を求めて、どのような国にすべきかというものが見えなくなっている。結果として、小泉政権の郵政民営化という言葉に騙され、竹中平蔵による米国型の超欲望追求政策の導入で、日本社会はズタズタにされてしまった。その結果、国民は政権交代を選んだが、官僚社会主義は、その国民の意図とは逆に、自分たちの利権拡大だけで支配を強め、民主党による政権交代も失敗に終わった。

我が国の明治以来の歴史は、世界の縮図のようなものである。西欧思想をどこよりも早く取り入れ、科学技術により富国強兵を達成したが、国家覇権主義で自滅し、戦後はその反動で物欲だけの世界に変わり、経済的な発展が終わった途端に行くべき道を失って国民全員がどうすべきかを決める事ができなくなっている。疑似民主主義は機能せず、精神的なバックグラウンドのない社会は行くべき道を失っているのだ。だからこそ、我々の歴史を良く見て、何が大事かを自ら問わなければならない。明治以前に持っていた精神的な柱であった仏教や、自然崇拝である原始神道、武士階級の高い倫理観を支えた儒教の思想など、西欧思想ではない、本来、日本人が持っていた精神的なバックグラウンドの再構築が必要である。自然や他民族などとの共生の思想、それはとりもなおさず、日本だけではなく世界にも通用するものになりうるだろう。欲望だけが支配する世界は、その果てにあるものは破滅しかない。我々がそれを世界に提示しなければならない。
スポンサーサイト

明治維新の天皇制という意味の本質

我が国では明治維新によってはじめて「国民」というものが成立した。(実際には臣民という憲法上の規定に過ぎなかったが)江戸時代まで、武士、あるいはそれ以前の貴族社会以外の人々は、政治や外交などには無関係に存在しているだけの人間に過ぎなかった。特に武家社会にあっては、戦争行為は全て武士だけが行うものであり、その他の農・工・商に関わる人々は全く無関係であった。

明治維新は国家を西欧文明諸国と同じ形にすべく設計された。300近い独立した藩は廃止され、中央集権国家となり、武士という身分制度も廃止された。ここに初めて国民が誕生するのである。明治政府を作り上げた武士階級の人々は、国家の形態を明確にどのようにすべきかを決めており、それに従って国民もどのようにあるべきかを考えていたはずであった。科学技術の移入による富国強兵により、西欧列強からの侵略を防ぐためには、新しく成立した武士以外の国民をどのような存在にするかを決めていたのである。

そこで江戸後期から存在した国学による尊王思想が導入され、国民に忠君・愛国の思想が導入されたのである。事ある時には国民を兵士にしなければならなかったために、天皇を神として国民をまとめ上げ、武士階級以外の人々を富国強兵の道具としたのである。江戸時代の武士階級の人々は、戦闘というもののための教育は子供時代から厳しくなされていた。しかし国民皆兵の体制が不可欠のものであった以上、戦争という究極の不条理のものに対する武士階級以外の、個々人の合理的な理由づけとしての精神的なバックグラウンドは必須条件であった。そのために天皇という神と、その国である日本という神国に対する忠君愛国の道徳教育が年少者たちに最優先される。その後の教育は科学技術移入のための教育に変わり、国を支配する道具としての法律、科学技術移入のために必要な英語と数学が最重要科目となっていくのである。正に天皇制は、国民を一点に集めて新しい強い国にするための道具であったのである。江戸期にすでに高い教育のあった農・工・商の人々は、世界が驚くほど早く西欧の科学技術や制度を導入する事になり、武士階級が設計した通りの西欧型社会を作り上げる事に成功したのである。これが明治維新の時に設計され、実行された国造りの姿である。

このように、西欧型の富国強兵の国づくりの設計は見事というほかはなかった。けれど、問題はその後の国のあり方であった。明治国家を作り上げた武士階級の人々がいなくなるにつけ、本来の国のあり方をどうするのかという議論が消え、成功の余韻の中に新しい国のあり方を見つけるという変化ができず、すでに西欧において前時代的になっていた国家覇権主義的な思想を変えることができず、結局は太平洋戦争で自滅するのである。しかし、明治維新から自滅までの期間はたったの78年であった。いかにこの国が激変したかをどれだけの人が認識しているだろうか。

戦後、全ての価値観は転換され、神国日本という国家神道的なものはすべて否定された。天皇は人間宣言という近代では考えられない事を行い、神は消えたのである。しかし、現在でも自民党をはじめとする多数の国会議員や、国粋主義をもち続けているかなりの国民が天皇制というものの復権を画策している。我々はこのような時代錯誤を断じて許してはならない。先の戦争で亡くなった多数の尊い国民の意志を無駄にしてはならない。過ちは繰り返してはならないのである。そのために、国民全員が正しい歴史認識を持つことは絶対に必要なのである。
月齢・日付・時刻
この記事に対し意見を呟く
訪問者カウンター
全記事表示リンク
最新トラックバック
検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。