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自由の概念の成立の歴史

我が国は太平洋戦争の敗戦後に、それまでの天皇の持ち物である家産国家から、連合国による占領統治を経て民主主義による「自由」が与えられた。西欧では、長い歴史を経て現代の「自由」の概念が成立しているが、我々はそれを正しく教育されておらず、自由とは何かを真剣に考えていない。それ故に民主主義のなんたるかも理解がうすく、政治的な混乱というものの背景になっている原因でもある。国民が正しく自由というものが、過去の歴史の中でどのように作られたかを理解することが大事であり、そのために簡潔に説明を行いたい。

西欧の歴史における中世とは、地域的な封建領主というものの多様な共同体の集合である。国王と呼ばれるものは国民や領土を持っているのではなく、国王と契約した複数の領主や軍事専門の貴族により作り上げられた共同体であり、それらの領民は領主の帰属先でどの国王になるかは変わるものであった。唯一、西欧全体に統一的なものは、キリスト教というローマ法王を頂点とするものが西欧全土を教会というもので把握し、教区という単位で支配する普遍的な存在であった。人々の暮らしは、基本的には単純再生産の社会であり、各人は生まれながらの身分に縛られたまま一生を終える。各人は生まれた場所のキリスト教の教区の中で洗礼を受け、結婚式を挙げ、そして死ぬと葬式を受ける存在であり、与えられた社会の与えられた身分のもとに、過去から続く伝統と呼ばれる同じ制度のもとに暮らすものであった。伝統が法であり、それを破る君主は暴君と呼ばれた。従って人々は、国王という地域的な世俗的権威と、教会から間接的に支配を受ける西欧に普遍的な精神的な権威という二元性の中に存在するものであった。人間の理性とは、このような与えられた社会を認識するもの、与えられた身分の中の秩序を認識する能力として捉えられていたに過ぎない。

このような中で、14世紀から16世紀にかけて、ルネッサンスと呼ばれるゲルマン人の古代ギリシャ・ローマの文化の発掘運動が起き、文化的な飛躍がなされることで人間というものを見直す大きな動きが起きる。これによって、単に与えられた枠の中の存在でしかなかった人間という存在の見直しがおき、現世も単なるあの世への過程にあるものだけではなく、それ自体に大きな意味を持つものとして捉えられるようになる。人間も与えられた秩序の中の一部ではなく、人間が中心の世界という観念が芽生えるのである。ヒューマニズムの始まりである。この結果が新しいものの追及という形になり、新しい美の追求、新しい真理の追究、単純再生産ではない新しい富の追及に社会が大きく変わるのである。ここから過去の秩序が大きく崩れることで、貧富の差が生まれてくる。そして人間とは何か、新しい社会の制度の必要性が考えられるようになる。過去の政治体制として、唯一、教会を中心としたキリスト教が担っていた神学の一部の体制から変わるものが必要になったのである。過去の一定の枠の中に存在する理性は、現実の社会の変化による貧富の差の拡大には意味をなさなくなり、現実社会をどのようにするのかということでマキャベリの個別の利害こそが政治であるという形に変わるのである。そこから権力というもので政治を見るものに変わるのであった。それは過去の共同体という理念から、権力に基づいて作られた支配する存在が国家という概念になる。ここに中世は、世俗的な権威としての共同体という体制が、絶対主義による権力支配のもとの君主国家というものに変わり終わりを告げるのである。

世俗的権威の変化と同時に、精神的権威としてのキリスト教の在り方も宗教改革というもので大きく変わる事になる。これまでの教会を通じてなされた信仰ではなく、神の絶対性の追求から、決められた教会制度のもとにあった信仰の体系が、神と人間の直接の体系に変わってゆく。教会という人間を通じたもので救われるのは欺瞞であり、神だけが全てを決めるという考えになるのである。従って人間は徹底的に無力であり、ただ信じることだけが大事だという理論がプロテスタントという新教を作り上げる。この考えが人間を、過去の教会などを通じた「他律」の存在から、自分自身が神のためにすべきことをコントロールするという「自律」した存在に変えてゆく。これによって中世の中のキリスト教社会は、大きく音を立てて崩れ始めていったのである。そして、これが西欧における「個人」という自覚と「自由」というものの基礎をなすものになってゆくのである。

絶対主義が権力者の持ち物国家という「家産国家」を生み出し、それに反比例する意味で個人の「自由」という概念が対立する。権力機構という絶対主義は国民も土地も君主の所有という考えなので、その背景として人民の支配に宗教が使われ始める。宗教改革はローマの支配の普遍的な宗教から、地域的な国家の中の国教制度に変化してゆく。それは被支配者たちの内面を支配して、それに従わないものには非国民のような感情を植え付けるものに変わる。しかしながら同時に、宗教改革を実現した西欧の人々は、「自律した個人」という自覚の中で、権力に対する抵抗の論理として個人の内面の自由という抵抗を開始する。そして「個人という人間の権利」という概念に発展するのである。この権利は、何人も奪うことのできない人間が生まれながらに持つ権利となってゆく。内面の自由は、信教の自由から思想の自由、そして平等の概念に発達してゆく。そして自由は何人にも主張できる、要求できる権利となってゆくのである。

このように自由の概念は、西欧のキリスト教を背景に、長い歴史を持って宗教改革というものを経て作られてきたのであり、日本人が敗戦で与えられたような単純なものではない。自由という概念が出来上がったその背景を見ない限り、我々は民主主義のなんたるかを理解することは困難になるだろう。それは単に自民党だとか民主党だとか、社民党などという範疇で考えるものではなく、人間の思想としてみるべきものなのである。民主主義とは、その言葉通り、民という人間が主人の制度なのであり、国家とは与えられたものではなく、人間が作り上げた制度であり、それは組み替えられる存在に過ぎないものなのである。誰かから与えられたものではなく、自由というものを持つ我々が作る組織なのである。 自由とは、あらかじめ決められた枠の中で求められる「他律」ではなく、個人が自ら考えて行動する「自律」という、個人の自覚の中にだけ存在するものなのである。その意味では日本仏教の中の華厳の思想に見る「一即多・多即一」という、独立した存在の、しかも全体の融和の世界、というものと変わらない。日本人が仏教の思想を知っていれば容易に理解できるものだと考える。
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近代民主主義の原理の概要

西欧で作られた現代の民主主義の原点は何にあるのか、それはデカルトによる「われ思うゆえにわれあり」という人間と、その延長にある物質という二元論に始まることを説明しなければならない。中世というキリスト教のもとに統一された西欧の中に、バラバラに存在していた各地の共同体は、生まれながらに決められた身分、僧職にあるとか貴族であるとか農民であるとか、個々に生まれながらの身分の範囲で、各々の決められた価値観を守りながら生きる世界から、人間として個々人が、そのような規制の範疇を超えて存在するという考えで変わってゆく。中世の理性とは、個々人の範囲を認識し、同時にその身分的な範囲の中で求められる理性であった。その意味では、デカルトの自然を物質としてとらえ、自然科学を発達させて人間がそれを支配してゆくという、身分を超えた本来的理性ということが西欧の変化への大きな契機となるのである。

まず国家が出来上がるのは、ルネッサンスと呼ばれる運動によって、人間の根源的な本来の尊厳の問題として、中世の身分的なものが崩れてゆくことから始まる。そして生まれながらに決められた人生を否定して、マキャベリズムと呼ばれる現実的な人生を規定する意味での、個々人の欲望的行動の是認に進む。そこから権力に基づく支配による国家という概念が生まれる。それは神とは完全に分離された、人間による政治支配の形態に代わるのである。そしてドイツのルターによる宗教改革が、教会を媒体としていたキリスト教の共同体の構造を破壊する。人間は教会のもとに存在するものから、人間と神との直接契約による独立した個人になる。それをフランスのジャン・カルバンがさらに進め、神によって定まった理性など存在しない、この世は混とんとしたものであり、それを合理的なものにするには、中世の身分的な範囲の中で与えられた理性の中ではなく、個々の人間が理性を「自己の能力」としてとらえなおすことから始める。ここに初めて個人が新しい価値を創造するものとして出来上がるのである。

自然という観念は、日本人が人間と一体化として考えるものと大きく変えられる。自然は人間と対立した存在となり、自然は物質になり、それ自体を精密に分析し、自然科学となって人間が利用するものに変えられてゆく。西欧の人間の自然状態とは、生物的な存在状態、すなわち生存のために存在する、食べたり飲んだりが必須の生き物として捉えられてゆく。そこにもともとあった神は人間を神に似せて作ったということから、人間は自然を支配し利用するという思想になってゆく。宗教もまた、ローマ教会が普遍的に西欧全体を担っていたものから、国家というものが個別に権力の使用のための道具として、個々に存在するものに変わってゆく。唯一のキリスト教ではなく、国家による異なる多元的なものになってゆく。そして権力は、権力側が選んだものを、そのもとにいる人々に強制するものに変える。それにより、過去には存在しなかった宗教戦争なるものが出現するのである。

国家というものは「主権」という言葉に置き換えられる。主権とは社会の中での最高権力であるとともに、対外的にはキリスト教社会のような普遍的な拘束を超えた、独立した最高権力を指す。そして前述の自然に対立した人間には、その自然を認識する自律した存在としての人格というものが与えられる。人間は人格という存在になり、過去にあった中世という世界の中の、既に存在していた世界の中で与えられた場所にだけ存在していたものから全く逆の、個人が存在を作るという社会の構成原理が作られるのである。そこから権力と個人の関係が考えられるのである。その中で、国家とは国土ではなく、人間が組織したものであるとみなされる。我が国が戦後規定した建国記念日は、その意味では近代国家の理念とは大きく違う。2月11日は、日本書紀にある神武天皇が即位した日であるから、その日を建国記念日としている後進国家なのである。あらゆる近代国家は、中国も含めてこのような記念日にはなっていない。米国は独立記念日としての7月4日、フランスは大革命の記念日として7月14日、中国は現在の国家の組織を決めた10月1日が建国記念日である。

自由の問題は、内面の自由、すなわち宗教の自由、思想、言論の自由となり、権力は人間の内面に及ぶものであってはならないものとなってゆく。新しい考えは、新しい形の政治社会の実現に向かう。そして自由も、身分的な特権の範囲を超えた、人間が人間として生まれながら持ち、与えられている権利として確立してゆく。人間がどんどん存在を主張する社会になってゆくのである。

ここから近代の民主主義の原理を確立した3人の思想を概観する。まず17世紀に英国のリバイアサンという国家の絶対的権利を主張するトーマス・ホッブス、その根底は富というものがまだ自然科学の恩恵を受けずに限定的なものであった社会環境から生まれる。従って、人間性が何ものにも抑制されずに発揮される時が自然状態である、という自然権を発揮すると社会は無政府状態に陥ることになるという理論になる。なぜなら富は限定的だからである。そこで社会契約を結ぶことで統治権を特定のものに委任する。それが国家主権であり、そのために国家主権はリバイアサンという絶対権力にしなければならないとするのである。

これに対してジョン・ロックの場合は逆に、科学技術の恩恵により富は拡大すると考える。人間は労働というものにより生産を拡大できる。それにより富は無限に拡大すると過去の理念を大きく変える。古代から中世まで、労働とは奴隷や農奴のものであり、知識階級や支配階級は、むしろ労働を否定して存在したものであったが、彼はそれを根底から覆す。そして生産のためには将来起こることを予測するという知性が必要欠くべからざるものであるから、人間の理性による自己規律を重要視する。労働というものを卑しいものと見ず、私有財産を認めることで共通の法を受け入れて共同体社会という国家を作るというものになる。そして法が機能しないような権力者が出た時には、「天に訴える」という革命行為までもを容認する。

一方、フランスでは17世紀には絶対王政が全盛であり、それが18世紀にまで続く。その中ルソーの社会契約論は1762年にようやく発表される。その違いはどこにあるのか。彼は人間の在り方は、その生きている社会がどのようなものであるかで決まると規定する。彼の時代、一般大衆は貧困にあえいでいるが、一握りの強者と富める者が権力と富を独占していると言う。その人間を倒錯させている文明社会を作り出したものは何かを考え、その結果、それを是正するために必要な原始状態に人間を返す。そこでは人間は生存本能とともに、哀れみの本能も持つとする。それを壊すのが文明社会であるなら、今の社会制度そのものを変える以外にはないとする。それがロックの社会契約論と違うのは、彼の言っているものが一部の階級に過ぎないと非難するものから、ルソーは全員参加の共同体という国家を作るという考えになる。そして人間は不完全ゆえに、そのような社会に参加することで主体性を持ち、自律的に「されなければならない」とすることを求める。それはホッブスやロックと異なる初めから自律的人間であることをあきらめて、制度を人民主権にすることで自律を達成しようとする逆の発想になる。つまり、小さな権力も持たなかった人々が、社会の一員として権力に参加することで主権を発揮できる自立した人間になることを求めるのである。徹底した主権在民理論である。

このように3人3様に微妙に異なるとはいえ、そこには人間というものを中世からどのように変え、その前提にデカルトによる二元性の理論による、人間の自然との対立としてみる思想があることが大事になるのである。人間絶対主義から現代の国家が作られている背景をよく見なければならない。
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