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変わらない日本の国のあり方

明治維新以来、日本は西欧の科学技術の移入による富国強兵政策で西欧の植民地化を免れた。19世紀、すでに西欧は16世紀以来の理性による哲学から変わり、人間の欲望から世界を見る哲学に変わりつつあった。プラトンからヘーゲルに至るまで、理性・意志・欲望という順序で人間を考えてきた西欧思想は、ショーペンハウエルやフォイエルバッハの欲望から人間を見る思想で大きく変わった。その結果、権力欲から人間を見るニーチェ、唯物弁証法で生産の拡大を至上とする物質的欲望の拡大で見るマルクス、性欲で人間が支配されているというフロイトなどが出てきて西欧思想は大きく変わった。

この流れは、過去のベーコンやデカルトによる自然を物質としてみることで、その精密な研究で科学技術が発達し、自然を開発して発展するという思想による延長ではあるが、当初はまだ理性による人間支配という考えがあり、それはカントやヘーゲルまで連綿と続いていたが、その本質にすでに物質的な発展という隠れた意志が存在していたのである。すでにデカルトの思惟する自我と延長する物質という二元論には、人間の理性とそれ以外のものは動物も植物も人間の身体さえもが機械という物質の扱いとなり、自然は人間のための召使いとされてしまったのであるが、思惟する理性という魂も、機械も、ともに不死の思想のもとにあった。それはキリスト教の思想と同じであり、西欧思想では現在まで不死の思想で人間を見ている。

一方、西欧の科学技術の移入に舵を切った日本は、過去の全ての精神的な裏付けであった仏教、原始神道、儒教などの全てを捨て去り、精神的な裏付けとなるものは天皇を神とする国家神道により国民をまとめ上げるだけの宗教的痴呆状態となり、それは現在も続いている。しかしながら日本は世界で唯一、非西欧国家で初めて西欧化を果たして先進国に仲間入りを果たしたが、西欧の国家覇権主義をまねることで、太平洋戦争で自滅していった。しかしながら、我が国の基本的な政策は、戦後も科学技術による発展史観のまま何も変わっていない。たしかに戦勝国によって民主主義が制度として与えられたが、精神的な問題は敗戦によって天皇制の否定によって価値観が逆転したことにより、国民は一層、精神的な問題を見ずに、ひたすら経済という物質的な欲望満足のために懸命になって進んだ。そして短期間のうちに世界が驚く経済的な成功を果たしたのである。

バブルがはじけて、経済的な発展は行き詰まりを見せてはいるものの、その根底にある科学技術による物質的な発展の追求という国家政策は明治以来何も変わらず現在も続いている。憲法が新しくなり、戦争の放棄や人権の確立などが規定されたけれど、中身においては依然として官僚主導による国家の運営は変わらず、その傀儡として造られた自民党という政党支配が続く。それを変えるという期待のあった民主党の政権交代は見事に失敗し、結局は前よりひどい自民党の一党独裁体制の国になってしまった。安倍晋三は、過去の自分の政権投げ出しのトラウマを脱しようと、次から次へと国民を無視して官僚と共に国民無視の政策を矢継ぎ早に実行しようとしている。このままでは小泉・竹中による国民生活破壊の時よりひどい未来が待っているように見える。時代遅れの経済でしか政治を見ないバカどもが、喜び勇んで国家と国民を滅亡の方向に進めている。我々ができる唯一の抵抗はたった一つしかなくなった。「買わない」「行かない」「外食しない」というもので消費をしないことが最も有効な抵抗手段となった。全国民運動が必要である。新しい思想による精神的なバックグラウンドのある国にするまで、我々国民が一人ひとり考える必要がある。そのためにも、明治から今日までの正確な歴史観を持つことを切に願うものである。
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