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近代政治思想の原理

戦後、我が国は敗戦によって民主主義といわれるものを戦勝国から強制的に与えられ、それに基づいた民主国家としてスタートした。しかしながら、殆ど100%の国民はその歴史的な原理としての民主主義のなんたるかを教育されてこなかった。その結果、われわれ国民は未だに近代民主主義の形成原理を正しく認識していない。三権分立や国民主権という言葉は知っているが、それがどのような原理によって確立されたかという理解がないのが厳然たる事実であろう。これを端的に現しているのか、今回の安倍晋三による強引な憲法の解釈改憲の国会論戦である。、野党にしろ、与党にしろ、ほぼ全ての国会議員たちには、近代政治思想の知識がまるっきり欠如していることをその論戦の中で露呈している。これが本当に民主国家かと、耳を疑う国会中継に唖然としているのは自分だけではないだろう。これが世界に配信されたら笑いもの国家は確実である。そうならないことを祈り、近代政治思想の形成原理を端的に以下に説明しておきたい。

以前にも書いたように、西欧の中世とは決められた身分制度の中で、決められた職業のままに、決められた生活をする枠組みの世界であった。特定の国というものはなく、時々で変わる支配者の支配する範囲の中で暮らす世界であり、唯一の政治的制度といえるものは、ローマを頂点として西欧中に張り巡らされた教会制度だけであった。この意味では西欧の中世とはキリスト教国家と呼ばれてもおかしくない存在であった。これを変えたものがマキャベリによる絶対主義国家である。そこで初めて個別国家と呼ばれるイギリスとかフランスという形の国が作られる。絶対主義国家は、特定の権力者の持ちもの国家である。そこでは権力者という支配者と、被支配者である人民という存在で国家が作られる。制度的には税金や徴兵制度が作り上げられ、その実行のために権力者を補佐する行政のための専門の官僚制度が生まれる。また、権力者の権威を裏付ける意味で宗教が利用され、国教制度なるものも作られた。普遍的な教会を通じたキリスト教社会は終了する。

同時に、人民と呼ばれる人間というものも宗教改革によって大きく思想が変わることになった。全てが教会を通じて普遍的に行われていた宗教活動は、神と個人の直接の関係に変わることで、人間が個人の自律を求められる存在に変わる。個人は何をすれば神の意思に従えるのかということを自ら考える存在となることで、個人が自律を通じて自立してゆくのである。さらに16~17世紀になると、ベーコンやデカルトによる人間と自然との存在的な分離がおきる。もはや自然は過去のように人間と共に存在するものではなく、人間が利用するべき物質的な存在に変えられてゆく。人間に対立して存在するものとして科学が発展し、自然を技術によって利用することで生産性を飛躍的に拡大させることが始まる。人間は理性というもので、未来を予知しながら労働によって生産を拡大する存在になる。デカルトによる二元論と呼ばれるものに従い、思惟する自我という存在と、それに対立する人間の身体を含めて、動植物から山や川の全ての自然は物質となるのである。

これにより人間は、それが生まれながらに持つ自由な存在に変わる。精神としての理性は他からの支配というものに束縛されないものであり、さらに支配者というものの圧政に抵抗する事は勿論、自由それ自体が積極的な価値に変わり、奪うべからざる原理へと変わっていった。従って中世のように、社会は変わらざるものとしての存在ではなく、自律した個々人が構成するものへと変化する。この原理はそのまま、国家というものは、過去のように特定の権力者が規定した範囲の土地や制度ではなく、自由な個々人の作り出す合意を得た制度、すなわち「政治制度が国家」という考えになる。簡単に述べれば、権力を制限して、その範囲だけの行為を権力者に許すというものから、権力そのものを被治者が乗っ取って、すべての人民が行使するという人民主権の思想になってゆくのである。この方法には数々のバリエーションが英国や、フランスなどの大陸型とで存在するが、基本的には、この思想をもとに民主主義思想が形作られていったのである。その本質は、国家の在り方とか、社会の組織というものは、理性ある人間が、必要に従って変えられるものであり、組み替えることができる制度となって行ったのである。

我が国は、戦後からたかだか70年弱の民主国家と呼ばれる存在に過ぎない。そのような中で、密かに官僚による独裁体制が国民には分からないように巧妙に仕組まれていることは閣法制度の存在で明らかにした。このような欺瞞を壊すことが大事なのは勿論であるが、われわれ国民が何をどうすべきかという認識がなければ何もできない。その意味でも、一人一人が民主主義のあるべき姿を正しく認識しなければならない。未来の子供たちによい国にするために、国民はもっと民主主義というものの原理をよく知るべきであり、一人一人の覚醒を願うものである。
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