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検察という巨大権力

日本の検察は、先進諸国では最強の権力集団です。起訴権の他、捜査権や逮捕権を持ち、捜査から起訴、公判を担当しています。そして実質的には、刑確定後の刑務行政も管轄に置いているのです。この検察の中にあり、政治案件を扱う集団が特別捜査部、いわゆる特捜です。

欧米などの先進諸国では、捜査権と起訴権が分立しているのは偶然ではありません。歴史的な発祥はほぼ偶然でありましたが、これらの権利は「自由」を維持するため、意図的に分離されているのです。

しかし、生死をかけて戦い、自由を勝ち取ってきた欧米諸国とは異なり、日本では、そもそも自由という言葉さえ19世紀後半まで存在しませんでした。思想家福沢諭吉がジョン・スチュワート・ミルの「自由論」を翻訳した時、初めて自由という言葉を創ったのです。

日本では、自由の概念が希薄のため、検察特捜への権力の集中がもたらすさまざまな弊害は「権利」という観点でしか議論されていません。「自由」という目的が全く抜け落ちているのです。任意で選出された民間人による検察審査会は、最近、被疑者を強制的に起訴できる事になりました。しかし、ここでも日本人は市民が自分たちで「決定する自由」と「個人の自由」を勘違いしているように思えます。起訴判断が明らかな誤りでも、被疑者には決定の是非を問う権利さえなく、検察審査会の議事内容は非公開なのです。まるで、フランス革命の時の人民裁判と同じなのです。

歴史的には、全ての人に同一の法を適用し、すべての法的特権に反対する事によって、民主主義と自由主義は緊密に結びつきました。しかし、自由主義は政府の機能や権力が制限されることに主眼が置かれ、民主主義は誰が政府を指導するかという問題に主眼が置かれてています。したがって、自由主義は、すべての権力が、たとえ多数派の権力さえも制限されることを要求しますが、民主主義は、現在の多数派意見が政府権力の正統性の唯一の基準とみなすわけです。

日本では、自由と民主主義が混乱し、検察審査会も、それ自身をチェックする機能がなければ、かえって国民の自由を脅かすシステムである事も理解されていないようです。日本の検察や特捜の問題は、日本人自身は気付いていなくとも外国人が被疑者となった時には、本国では重大な人権侵害となると考えられる事が数多く存在します。この問題は、これまでほとんどの日本人は気づいていませんでしたが、とても根が深く、また幅広い問題です。

日本におけるこの問題のルーツは、法的枠組み、法曹界の構造、マスコミ、そして外圧の4つがあると考えています。まず法的な枠組みからお話ししますと、日本の憲法では三権分立が謳われており、検察は我々と同じように、検察庁法により法務大臣の指揮監督を受ける、一行政機関として位置づけられています。

しかし、この検察庁法や刑事訴訟法は同時に、検察が自ら捜査したり、警察の捜査を指揮する法的根拠を与えています。前述のように、外国では意図的に分離されていることが、日本では驚く事に法律で捜査と起訴を許しているのです。

しかも、さらに驚く事は、検察は被疑者の身柄を最大22日間にわたって警察の留置所に拘束し、弁護人の立ち会い無しに被疑者を取り調べる事が出来ます。しかも被疑者にはこれを拒む権利がないのです。

加えて、日本の検察は起訴便宜主義をとっているため、起訴するかしないかの判断は基本的に検察官に委ねられています。このため、検察官は尋問の際、この判断を威嚇として使いながら証言を自分たちに有利な方向へ誘導する事が指摘されています。これは、特に本命の被疑者を有罪に持ち込むために、被疑者の証人に対して行われています。

また実際、自白しないのなら家族を起訴するぞと脅したり、証人に対して、検察に有利な証言をすれば起訴しないなどと、脅迫めいたやり方で尋問が行われている問題が頻繁に報告されています。

なぜ、そのような事が可能かというと、これは日本に独特の極めて不公正と思われる慣習なのですが、日本の裁判では、被疑者が公判で供述を翻して無実を訴えた場合、裁判官は通常、自白があるという理由だけで調書のほうを信用するのです。このため、日本では起訴された99%以上が有罪になるという、外国では信じられないような「調書裁判」というものが行われています。検察官の立場からは、自分たちに有利な調書さえ取ってしまえば、ほぼ有罪が確定するため、無理な事をしても自白を取ろうとするわけです。

さらに日本では、裁判で起訴事実を否認し続けると保釈を認めないという、「人質司法」という実務の運用がなされています。このため被告人としては、長期間に亘って身柄を拘束されるという危険性を覚悟しなけば無罪主張すらできないという状況にあるのです。本当に信じがたい制度なのです。

2つ目の問題は、日本の法曹界の構造的な問題です。検察は法律上は、国家行政組織法の定めるところの法務省の「特別な機関」であり、法務省の傘下にある一組織です。しかし実際には、法務省の主要な部局は検察官が占めているため、組織関係は逆転しているのです。

通常、日本の役所では事務方トップは事務次官ですが、法務省だけはその上に検事総長、最高検の次長、東京高検長と検察官が占める3つのポストがあるのです。法務省は検察官が支配している役所なのです。

そして、さらに重大な事は裁判所との癒着です。日本では、判検交流といって、一定期間裁判官が検察官になったり、検察官が裁判官になったりするなど、検察官と裁判官の人的交流が行われており、これが癒着を生む温床となっています。日本の役所では天下りは非常に重要なことですが、裁判官の退職後の天下り先は、実は検察が世話をしているのです。このほか何かにつけて検察の主流が資金を作って裁判官の面倒を見ているのです。

一方、日本での立法過程は、行政機関である内閣が行う「閣法制度」が原因で役人に丸投げ状態であり、国会は役人から上がってきた法律の文章のチェック機能すら果てしていません。法務省の場合、民法、刑法、商法の基本基本法制の立法に関わる法案作成に携わっていますので、少なくともこれらの法律に関する事では、実務上、三権が検察に集中しているという信じ難い事実があります。日本における99%以上の有罪率もこれによって支えられているのです。

3つ目の問題は、これも闇の深い問題ですが、マスコミの問題です。日本には記者クラブという独特のクラブがあり、政府の取材は通常、記者クラブが独占的に行っています。記者クラブは、欧米諸国にあるプレスクラブのような交流を目的としたクラブと異なり非常に排他的な組織で、大手メディア以外のフリーの記者などは基本的に入会できません。日本のメディアは、この既得権のために競争原理が働かず、大手メディアは政府の事実上の宣伝部門と化しています。日本のメディアが政策論を一切報道せず、政局だけを面白可笑しく報道しているのはこのためです。

検察取材を担当する司法記者クラブの場合、この問題はさらに深刻です。日本の新聞が最も恐れるのは「得落ち」といって、他社が報道する特ダネを自社が逃す事です。これは記者や編集部にとっては死活問題です。検察はこれを良く知っていて、自分たちが伝えたい通りにマスコミが伝えない時や、自分たちに不利な情報が流れると、情報をわざとそのメディアの記者に伝えなかったりするなどの嫌がらせを行い、メディア全体をコントロールしているのです。

最近では、検察に批判的な非常に人気の高かったテレビの政治番組「サンデープロジェクト」という番組が、検察から嫌がらせを受け、親会社の朝日新聞からの圧力で終了に追い込まれるということもありました。検察は、メディアから守られる中で、被疑者を起訴する前に一方的に被疑者に不利な情報を流し続け、メディアの全国ネットを使って、被疑者の悪者イメージを創り上げていきます。これは本当にひどい人権問題です。推定無罪という民主主義の原則は日本では全く無視されます。メディアは情報源を語りませんので、被疑者は言葉の暴力を受け続けるしかないのです。日本ではメディアが本来果たすべき、「権力をチェックする」という役割を果たしていないのです。メディアは戦前の反省をしたはずだったのに、戦後も実態は何も変わっていないのが実情なのです。メディアと一体になった裁判前の社会的抹殺が横行するなら、民衆にとってはフランス革命時の「バスチーユ監獄襲撃」のような手段だけが残された最後の手段と言えるのでしょうが、どういうわけか日本人は全く行動を起こさないのです。

もう一つメディアが悪いのは、一行政作用である検察や特捜に対して「司法」であるかのようなイメージを作り上げ、本来、国会やメディアがチェックをすべき、行政としての検察や特捜をチェックの対象外として世論操作している事です。行政作用である以上、政治的であることを排除できません。こんな当たり前の事が日本では通らず、検察や特捜は「正義の執行者」として祭り上げられているのです。

それから最後の4つ目の問題は、アメリカからの外圧の問題です。これはあまりにも大きな驚きですが、日本は独立国であるにも拘らず、その司法機関や検察がアメリカからの非常に大きな影響下にあるのです。

もともと特捜はGHQが日本軍の隠匿資産を探し出すために組織した部署です。GHQは戦前より検察が持っていた捜査権を取り上げようと考えていたのですが、捜査わしている中で、日本のコントロールにとって都合のいい組織であると分かり残したのです。以降、アメリカとの関係は密接で、現在でも出世組は一等書記官として必ずアメリカに外交官として駐在し、この間さまざまな関係を深めていきます。

アメリカに黙って中国との国交正常化を行った田中角栄元総理や、第七艦隊だけが必要で米軍基地削減を唱えた総理大臣候補であった小沢一郎民主党元代表は、アメリカ支持といわれている特捜の意図的捜査によって政治的生命の危機にさらされています。

圧力は検察だけではありません。何と裁判にも及んでいるのです。例えば有名な「砂山事件」では、在駐日大使が最高裁判所の判事と直接面会し、指示をした事がアメリカで開示された公文書で明らかにされています。

日本では殆ど報道されませんが、こうした文書がアメリカでどんどん開示されているのです。例えばアメリカは、女子大学で政治学を排除して、できるだけこうした問題に日本人が興味を持たないように仕向けたり、検察を通じてメディアをコントロールし、国民がその存在を気付かないように仕向けるなど非常に幅広い情報活動を行っています。

余談ですがマッカーサーが日本を去る時、当時の吉田茂首相に最後に言った言葉とは、「あなたはグッドプライムミニスター(良い首相)だ、だが悪いが日本人の魂は抜かして貰う。グッドバイ」だったそうです。アメリカにコントロールされていても、それに気付こうともしない日本人を見ていると、本当に魂を抜かれてしまったのかのように見えます。

最後にですが、この問題の解決には、まずマスコミが真実を伝える事が大事だと思います。そのためには、一刻も早く記者クラブを廃止する事が必要です。回り道かも知れませんが、これしか方法はないでしょう。

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