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個人という権利の希薄さはどこから来ているのか

日本の歴史においては国民という概念は明治時代まで存在していない。江戸時代でさえ大多数の武士は藩を中心に物を考えていたし、百姓、町民に至っては藩主への忠誠という概念さえなかった。持っていたのは武士階級だけである。その武士階級でさえ江戸という安定期に至る前までは損得勘定によって主君を変えていた。「7度主君を変えねば武士とは言えぬ」と言われているように、生き抜くための知恵のような現実的な考えが当たり前であった。武士以外の人々は大多数が農民であり搾取される側であり続けた。権力は朝廷から武士、そして明治期から昭和の敗戦までの天皇制という官僚側に移ってきたが、武士以外の民衆側の自由という概念は今とは大きく異なる身分制の中にあるものであった。

国民として意識されたのは、明治時代の先進国に追いつけという「富国強兵」政策の中での偏った教育に中から生まれており、欧米各国の個人の権利を認めたものからの国民という概念とは違っている。当初の理念は国民という存在は欧米のようなものになるという期待があったかもしれないものの、日清、日露という戦争の勝利による国粋主義の台頭によって、個人というものの考え方は全体主義の中に埋没されてしまったのである。その面影は今も色濃く残っている。特に官僚側の考え方には強く、警察学校では依然として「国民を教育する」と公言されているくらいである。官尊民卑は依然として強く、税金を払う側と使う側という意識はほとんど変わっていない。

戦後、戦勝国側から日本に行われたことは、民主主義を植え付けるという建前の国家形態の変更であった。天皇制を実権のない象徴に変え、憲法により武力の行使を禁止し、軍部の暴走を二度と起こさないために民主主義という制度を施行した。理念は正しかったが、基本的には米国側の都合で実質的な内容は変えられてきた。その事は自衛隊の創設などを見れば明らかである。制度は官僚側の都合のよい形の運用に変えられ、自民党という傀儡政権を使った疑似民主国家の形態で動かされ、つい最近までその実態を国民は理解してこなかった。わが国は民主国家ではなかったのである。何度も投稿しているように、議院内閣制を悪用して「閣法制度」によって立法権を持ち、「判検交流」や「起訴便宜主義」などの制度により司法権までに権力を行使できる体制を作り上げ、全ての省庁、検察、警察、地方の県庁以下の全てにわたり「記者クラブ」という制度で情報統制を可能にし国民を統制してきた。国民の代表者たる国会議員については、恣意的に運用できる政治資金規正法や公職選挙法などによって今でも統制がなされている。国家予算は官僚が作り、特別会計という別の財布を各省庁が勝手にもち、使える仕組みを作った結果、本来あるべき予算は一般会計という全体の1/3程度のものに限定されて運用されている。地方の首長は大統領制と同じであるが、それらの殆どは官僚の天下り先にされるとともに、中央集権化による補助金という予算配分によって支配を行っている。

このような中での国民は、数々の規制により自由な経済活動も制限されている。バカ高い高速道路というものに象徴される、官僚による公的財の私物化によって自由な移動も利用も制限されている。生活に必要なあらゆる公的な書類の取得についても料金が取られ、税金まで恣意的な法律の解釈で取られており、個人の自由はますます狭められつつある。明治以来の感覚も含めた個人の意識は「村八分」に代表される感覚と、恣意的な見えざる官僚側の規制により委縮したものに成り果て、個人の自由の感覚は海外とは全く違った異質のものになっている。良くいえば統制されて秩序正しい国であるが、裏を返せば偽りの公共に対する統制に服従させられたものに過ぎない。国民の中に鬱積する感覚が増加しているのは当たり前である。

過去の政治の在り方を変えるのは始まりに過ぎない。官僚社会主義の国に本当の意味の自由もないし未来もない。国民は中東の各国のように覚醒すべきなのだ。

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