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日本の歴史の中にこそ世界を救う思想がある

我が国の短い明治以来の近代国家における政治を、さらに短く戦後の民主国家における政治で考えるとき、その長さはどれほどのものであるのだろう。明治元年は1868年である。太平洋戦争は実質的に日中戦争からと見るべきであるので始まりを1937年、終わりを1945年とすれば、明治から太平洋戦争まではわずかに70年、戦後は67年、合計しても137年にすぎない。これに戦中の9年を足しても146年という短さである。

明治維新という江戸時代からの変転を必然として見たとしても、そこに横たわる思想にはわが国独自の仏教や儒教的な武士道に基づく精神的なバックボーンが明確に存在した。これによって驚くほどの短期間での近代化が成し遂げられたのである。奈良、平安以来、連綿として続いた仏教思想は日本国民という類まれな素晴らしい国民を育て上げたのである。中国や朝鮮文化から多くの人や物、思想を受け入れて、それを独自に発展させた知恵は世界中のどこにもない素晴らしい歴史である。その集大成が明治維新に凝縮された。

しかしながら、最も大事な国民の心という文化を背景にして存在したものを否定した時から全てが狂ったのではないのだろうか。西欧文明こそが正しく、我が国の文化は時代遅れであり捨て去らなければならないという強迫観念によってこの国は道を誤った。神仏混合という優れた考えを捨て、国家神道というバカげた考えのために廃仏毀釈を行い仏教の考えを捨て、天皇を中心にした神道という道具によって富国強兵という思想で西欧の植民地政策をまねた。西欧の思想こそが正しく、日本古来の優れた仏教に基づく思想は捨てられてしまった。その結果が敗戦であり、その後の見せかけの民主主義による経済至上主義という考えの果ての現在の思想的、物質的な行きづまりである。

この行きづまりの原因は西欧主義一辺倒で来た結果ではないのか。2千年以上の歴史のうちの、たかだか百年ちょっとに過去の思想を全て捨てて西欧のものを持ち込み、一時的な成功は全て西欧文明のためと考えていた事が間違っていたのではないのか。原水爆の開発から他の思想に対する不寛容による繰り返される戦争、自然破壊に見られる西欧のキリスト教的思想には未来はない。その事をもっと真剣に考えるべきである。キリスト教もその亜流のイスラム教も、一神教という偏屈な宗教には異なるものに対する寛容がない。キリストは原罪を償うために死ぬことで信者を救ったが全人類は救っていない。それはモーゼの十戒の始めにあるキリスト教以外を信じてはならないという言葉に表れる不寛容に見られる。さらに他人を救うために死んだ愛に満ちたキリストは神として復活するが、それは最後の審判という信じない者に対する復讐者として現れるのである。基本的にキリスト教はユダヤ教という偏屈な宗教にすぎず、全人類を救う事は出来ない。ギリシャ以来の西欧思想に見られるギリシャ彫刻の微笑とは、現世の成功にたいする笑いと、征服したことによる他者への哄笑の微笑に過ぎない。そこには同胞以外の他者への憐みは存在しない。

逆に言えば、我が国にあった衆生済度という、全てを救うという慈悲の心を基本とした仏教こそが世界を救うのである。キリスト教が正義という剣による復讐の宗教である事に比べて、全てを許す仏教の優越性を我々は世界に発信するべきである。民主主義は優れた制度であるが、その背後に存在する人間に対する宗教的、倫理的な考えは制度以上に重要である。世界的な行きづまりを解くカギは日本の仏教思想にあるのだ。

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