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日本人としての思想を取り戻す良い機会だ

今回の大地震によって多数の方が犠牲となり悲しいニュースが日本中を覆っている。驚いたのは東北の方々の強さであった。あれだけの災害があったのに芯が強い事を日本中に示された、本当に頭が下がる思いです。我々は被災地の復興と、被災者の方々の支援と、被災者の方々が一日も早くもとの生活に戻れるためにあらゆる支援をするべきである。

一方、福島の原発の問題も大事である。ここまで危険な状況に陥って多数の国民に不安と危険を及ぼした原子力発電というものは絶対に見直しが求められるべきだろう。我々は電力の問題も絡めてこれまでのような生活とは違う考えで生活する事が求められるだろう。ここで明治以来の西欧一辺倒であった考え方を変える機会がきたと捉えるべきではないだろうか。もちろん競争が何もない社会主義国家のような沈滞した国にすることは反対であるが、少なくとも精神的には過去の誇り高い日本的な考えの復活を考えても良いのではないだろうか。以前に提案したように西欧的な闘争原理の社会ではない日本的な慈悲と共生を原理とする社会を目指すことは可能ではないか考えるべきである。

明治維新になるまで我が国は仏教、並びにそれと共存する神仏混合の思想があり、さらには江戸時代には武士階級には儒教思想が存在した。明治維新の成功には高い教育と徳という概念のあった武士階級の存在をぬきにして考える事は出来ない。また武士階級以外では商品経済の発展に基づいた庶民たちの高い識字率などの教育率の高さも見逃してはならない。仏教思想にも現世の肯定の観念は強く、悟りよりも救いが主流であった。精神的な裏付けは欧米のキリスト教的な闘争原理ではないものが根底にあったことは間違いがない。

明治維新においては西欧に追いつき追い越すために廃仏毀釈を行い、天皇制を頂点とした国家神道を作り上げる事で富国強兵のもとに欧米列強をまねて他国の侵略に走り、最終的には太平洋戦争に突入して完膚なきまでに叩きのめされた。結果は連合国によりもたらされた制度としての民主主義というものによる新しい国家形態であった。ここでも過去の日本的な思想は復活しなかった。戦後は一貫して復興のために国民全員が先進国に追い付け追い越せというスローガンによって第2の明治維新のように西欧的な考えのもとに走り現在に至っている。精神的には明治維新以来何も変わっていないのだ。

今の政治的な行き詰まりは官僚社会主義になっているものを変えるしかないが、我々国民の精神的な行き詰まりの打開策は西欧的な考えからの脱却ではないだろうか。キリスト教的な思想には常に神の怒りが存在する。最後の審判で神として降臨するキリストは自分を信じないものには死を与えるのである。神は人間だけに神と同じロゴスを与えた、従って動物は食べても良いし自然は人間のために改変しても良いのだ。キリストの愛の対象は人間だけなのだ。国際法において戦争は人類にとって必要であるとする根拠は旧約聖書に求められている事実を我々は重要視する必要がある。西欧の己の思想こそが最も優れているという自惚れを見直すべきなのだ。仏教における慈悲は全然異なっている。仏教では生きとし生けるものすべてが慈悲の対象なのである。そして欲望を捨てる事で「我」を捨てさせる。この思想の違いはとてつもなく大きく深い。我々は世界平和のためにももっと過去の日本における仏教の思想に誇りを持つべきである。そしてその思想と西欧との思想の良い点と組み合わせた新しいものを追求するべきである。もちろん経済的にも我々日本人は昔から現世の利得についても肯定してきている。薬師如来のような現世利得を求める特殊な仏様を崇拝している仏教国は日本だけである。ここにもエコノミックアニマル的な根源を見る事が出来る。我々の心の奥深くには我々が考えている以上に仏教的なものが存在しているのだ。この精神史を大事にして新たな歴史を作ろうではないか、それが今の日本国民に求められている事だと考える。

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