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今、何がこの国や我々に求められているのだろうか

国の形を変えるために閣法制度の廃止や官僚制度のあるべき姿を以前に述べた。その前提は三権分立という原則の確立であった。民主主義という制度の歴史がたったの65年しかない我が国に求められるものは何かという議論がないことが不思議である。過去の自民党による一党独裁体制から変えるためには何が必要だったのかという基本的な議論が未だにない。その結果が今の民主党政権の情けない姿であり、我々国民の他人任せの責任放棄にも近いやり方の結果ではないのだろうか。我々は政治や政治家に何を求めているのだろうか。自問したことがある人はどれほどいるのか聞いてみたい。マスコミも国民も政府の非難だけはするが、どのような国家にするのかという根本的な議論がない。些末な毎日の政治家たちの行動の事や政策にばかりこだわって、本当に必要な事は何も語られない、これがわが国の現実なのではないのか。

確かに「国民の生活が第一」という政権交代のスローガンは正しいのだろう。しかしながら、その実現のための具体策はどのような思想的なバックグラウンドから来ていたのであろうか? 政治主導という考えのためにどのような事がされるべきだったのか検証されているのであろうか。2年も経たないうちに全てを放棄するかに見える菅直人政権の体たらくは何が原因なのか、考えれば考えるほど訳が分からずに腹が立つ。何の説明もなく公約違反が続く状況に彼ら、彼女らに責任感の一片も感じられない。このままでは何回政権交代しても何も変わらないだろう。我々も政治家も根本的な考え方を今一度整理するべきである。

何度も述べてきたように、民主主義というものの成立の基本的概念の欠如が国民主権の確立を妨げている。国民が選んでもいない官僚というものが国民をコントロールするような国は断じて民主主義国家ではない。我々はこの国で三権分立が機能しているのか良く考えるべきである。海外から政治的に三流以下と揶揄されているのは当然であろう。何故ならなんの思想的なバックグラウンドも、正しい知識さえ国民も国会議員たちもが持ち合わせていないからである。インターネットなどの情報機器の発達で少しの改善はみられるが、依然として何が正しいのかの議論もなく、既存のメディアによる既得権側の情報操作に国民は容易に踊らされている。

本当の意味での民主主義の確立は大前提であるが、我々はどのような国をめざし、どのような共同体を作り上げ、どのように他の国や国民との共生を目指すのか。そのためにはどのような国家形態を選択し、どのような制度が必要で、どのような政治的、社会的思想を背景にするべきなのか議論しただろうか。この問題は国民の教育をどのようにするかという根本的な問題に行きつく大事な問題である。過去65年という短い見せかけの民主主義の歴史の分析さえもせずに未来を語れるのだろうか。歴史という大切なものの分析があまりにもこの国にはない。その代表的なものは、安易な「ばら撒き」と呼ばれる国民支援の政策に対するマスコミの非難に見てとれる。 まさに過去からやっている事を変えたくないという典型的な事なかれ主義である。

過去の歴史を見ても日本ほど独自の思想を展開しないで、また他国の思想もそのまま受け入れなかったというユニークな国はない。仏教というインド、中国を経由した思想を受け入れたがそれを自分たち独自のものに解釈し展開した。中国からの儒教というものは、思想としてではなく学問の一つとして採用したうえで制度としては受け入れなかった。唯一、明治維新以降の西欧の物質的な進歩史観だけは思想的に受け入れたままである。その背景にあったのは西欧各国に侵略されるという切羽詰まった危機感である。そのために過去の思想を徹底的に排除し、国家体制も劇的に変えてしまった。我々の祖先はそれほど見事に変革を遂げる事が出来たのだ。今こそこの明治以来の西欧崇拝一辺倒の思想を見直し、過去2千年近くにもわたる貴重な精神史を復活させ、わが国固有の思想と西欧思想との融合の見事なお家芸を見せる時である。

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