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日本は教育を何に求めてきたのか

過去、仏教の思想のことを投稿すると必ず罵倒の意見が出てくる。仏教などは時代遅れの葬式のためのものでしかないという思い込みから来るものだろう。いかにこの国の国民が過去の思想を知らないかを思い知らされてきた。従って視点を変えて「教育」というものでわが国を見てみようと思う。

現在の日本の教育は何を根源にあるのかを考えた事がある人はどれほどいるだろう。なぜ大学の入試には未だに英語と数学が最重要とされているのだろう。低学年の教育に何の道徳的教育もないのはなぜなのだろう。これらの簡単な疑問に答えるには明治時代にさかのぼる必要がある。

明治維新は欧米列強による植民地支配されるという恐怖から、過去の国家体制を西欧の科学技術を主体にした国家に変えるための大変革であった。そのために天皇を神とする国家神道が作られて国民の統一が図られた。教育は西欧の科学技術を移入するために必要な英語と数学が重んじられた。現在まで続く英語教育の主たる目的はコミュニケーションとしてではなく、科学技術の移入のために必要な「読解」が重要視されたのである。数学も科学技術の理解の基本のためである。富国強兵のための国家神道は教育にも徹底され、国民は天皇陛下のために奉仕し、日本は神の国としての誇りを持つような道徳教育がなされた。結果として世界が驚くほど早く西欧化が達成された。しかしながら西欧と同様の覇権主義的思想により他国の侵略が行われ、最終的に勝てもしない対米戦争にまで突入したのはこれらの流れからの必然であった。国家神道の確立のためには仏教と神との分離が必要であったために廃仏毀釈を行い、江戸時代にすでに思想的なものが後退していた仏教は完全に国民から捨て去られた。国家神道は古来からの神道である自然の全てに神が宿るという本来の理念も捨て去ったのである。

太平洋戦争の敗戦により民主主義が移入された結果、それまでの価値観は180度の転換が起こった。教育者たちの価値基準は崩壊し、道徳という概念を考える事さえ失われた。社会は民主主義という制度だけが宣伝されたものの、実態は官僚主体の社会主義的な国民総動員体制な形で経済的な復興が第一になり、世界が驚くほど早く経済的な成功を収めるまでになったが、硬直した官僚国家の体制が社会的な変換を拒んだ結果、バブルがはじけて以降、現在まで我が国は経済も何もかもが低迷したままである。基本的な思想の欠如は教育の中に国民が拠りどころとするべき道徳を無くし現在に至っている。確かに戦後、物質的な豊かさはある程度実現したが、オウム真理教のような高学歴者が加担するような凶悪犯罪や無差別殺人などが頻発している。教育とは何のためのものなのか未だに国民的な議論さえ起っていない。良い学校に行き、大企業に就職し、家を持ち快適な生活を目指すだけの人生だけで良いのかという議論もない。

これらの歴史的事実を我々は冷静に考えなければならない。世界は確かに西欧の科学技術至上主義による人間中心の思想で物質的には豊かになった。しかし戦争はなくならず、環境破壊は原発を始めとして止まらない。原爆を始めとして武器の進歩はすさまじく、世界はますます不安定になっている。さらに発展途上国も科学技術の恩恵を受け経済的に成長するにつれて、世界はますます過去の西欧的な人間中心の思想による豊かさの追求に走り始めいる。地球温暖化に見る環境破壊はますますひどくなっているのに先進国と後進国とのコンセンサスは何もできていない。世界には共通する思想が必要なのに誰も、どこの国もそれを提唱できていない。しかし、わが国の歴史を見れば我々が提示できる新しい思想がそこに存在する。我々が失った仏教の思想に見る「自利利他」という欲望追求だけではない共存共栄の思想、それは古来からある本来の神道に見られる生きとし生けるものの中に神を見るものと同じである。人間中心ではない自然との共生、キリスト教やイスラム教に見られるような一神教以外を排泄するようなものではない多神教的な思想と科学技術との結合が必要なのである。我が国の教育の中に正しい道徳教育の復活が必要である。そのためには過去の優れた仏教や神道の精神的な思想の見直しが必要である。

多くの異なる意見はあるだろうけれど、単に仏教とか神道という宗教という言葉だけで何も考えずに拒否せずに、謙虚になって考えてもらえることを望むものである。

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