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日本人のムラ社会の中に見る変化への抵抗感

この国は依然として太古のムラ社会の感覚が根強い。出る杭は打たれるのことわざ通り、新しい事や独創的な事に価値を見ようとしない。民間会社でさえ多くの経営者が好きな言葉は「和」とか「協力」、あるいは「忍」である。ましてや官僚機構や公務員制の中では「前例主義」という言葉に見られるとおりに、変化そのものができない構造がある。たしかに「和」という精神は大事であるが、それがために独創性を殺すことや変化ができない事は本末転倒と言わざるを得ない。

この典型は大学などに代表される有識者たに依然としての顕著である。日本には石器時代というものは存在しないと言う事が定説であった。ところが1946年に納豆の販売で生計を立てていた考古学が趣味の相沢忠洋という人が旧石器の層を発見した。発見当初、考古学者や研究者たちは彼の発見を無視するか詐欺師呼ばわりしたのである。しかしながら3年後に明治大学が発見が正しい事を証明したとたんに全国で旧石器時代のものが続々と発掘され始めたのである。これまでは過去の学説に縛られ、専門家たちはその偏見により真実を見ようとしなかったのであった。同じことは学説という範疇とは異なるが原発についても言える。安全であると言う事が神話のように言われ続け、事故が起きた後でさえ多くの学者や大学教授がメルトダウンなど起こりえない、原発設計は安全だ、放射能も安全だとマスコミで喧伝していた事実はつい最近の出来事である。しかも原発は危険だと主張していた者は何十年も助手扱いのまま無視され続けた事が分かり、我々は驚かされたのである。

政治の世界では政権交代で何が起きたかをよく思い起こしてもらいたい。まずは普天間基地の見直しについてマスコミがどのような対応をしたのか。次に新しい政策である「子ども手当」や「高速無料化」、「高校の無料化」、などをマスコミは今でも何と呼んでいるのか、全てが新しい事に対する反対の大合唱である。一体これはどういう事なのか、国民は変化を望んで政権交代を選択したのに、マスコミはこぞってそれに反対したのである。民主主義の基本を無視して国民の選択を破棄させようと動いているマスコミは一体なんなのであろうか。その裏には変化を喜ばない官僚と一体化した自民党や既得権を失う官僚機構があった事は間違いがないだろう。事業仕訳けすれば既得権が削られる側の論理ばかりが強調され、国民もそれに振り回されて反対の大合唱が起きたような錯覚に陥らされた。

今、菅直人を替える事が大々的に叫ばれているが、それこそ茶番に過ぎない。マスコミが喧伝している次の候補者たちは自身の方針すら語っていないのである。なのに替えるという理由は何なのであろうか、全く理解不能である。もちろん菅直人は政権交代の公約を破り、その同調者たちも同罪であるのだから全員が交代するのならまだ話は分かる。何で今の政権にいる奴らが後継者になる必要があるのか、マスコミも評論家たちも思考停止であるとしか思えない。基本的には過去の官僚支配の政治に戻したいという思惑が見え見えである。

検察特捜の問題に見られる司法問題についてはどうであろうか。小沢一郎とその秘書に対するやり方は過去の問題から何も変わっていない。冤罪が解決しても根本的な捜査や取調べ全面可視化など何も進展しない。裁判官と検察官の判検交流を禁止する動きも出ない。世の中は何事もなかったかのように昔のままで物事が進められようとしている。

我々は「和」の尊重は当然と思うが、変化する事を拒否しては何も進歩がない事をもう少し深く考えるべきである。このままではこの国はどんどんひどくなる。進歩のための変化を拒否する社会に未来はない。

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