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明治以来の西欧至上主義がもたらした原発事故

わが国の明治維新は、国家そのものを完全に西欧化によって、圧倒的な科学技術を持った武器や機械を持った西欧列強からの侵略を免れた。その意味では時の為政者たちの判断と政策は驚くほど的確であったと言うべきである。19世紀は正に西欧が西欧以外の国々をその科学技術文明によって圧倒した時代であった。しかしながら20世紀に至って、結局それは挫折する。確かに物質的には人類は豊かになったが、戦争はなくならず、環境破壊は進み、非西欧社会の西欧化により世界はますます混沌とし始めている。21世紀は過去の西欧思想だけでは行き詰まりを打開できない事が証明された世紀の始まりであり、その事は我が国の原発事故にも表れている。

過去の西欧思想は連続的な進歩史観である。科学技術の進歩により人間社会は絶え間なく発展するという概念は本当であろうか。物質的には豊かになったのに、世界がますます混沌としている現実は、過去の西欧思想こそが唯一の正しいものであるという事を否定しているのではないのか。我々は何をもって進歩というのか、今、世界はその事を問われているのではないのだろうか。わが国の科学技術至上主義は戦後も変わらず、いや戦前にもまして官民で毎年強くなってきている。原発の安全神話などに見られるものが崩壊した今、官僚的な思考で過去からの転換ができない国家の体制は、その反省は何もなく、相も変わらず過去のままのやり方を強引に進める政策が続けられようとしている。

核兵器や核を利用した自然に存在しないものによる発電という技術は、一旦なにか制御不能になった場合には人間に対しても自然に対してもとてつもない被害を及ぼすことは何度も証明されたのである。このように人類にも、地球にも壊滅的な打撃を与えるものが進歩といえるのであろうか。我々はこの事実を真剣に考えなければならないとともに、その根底にある西欧の進歩史観というものにある根本的な思想を見直す必要があるのではないのだろうか。明治以来100年以上たつのに、未だに無批判に同じ考えでいて本当に良いのであろうか。知識人といわれる人々こそ過去の思想を真剣に見直すべきではないのか。何が真実で大切なものなのか、過去の反省や権力者におもねる事で真実を捻じ曲げていないのか、その事を考えるべきである。今回の原発事故を見る限り、知識人といわれる人々に対して、過去にないほど大きな疑問が呈されている事実を謙虚に受け止めるべきである。

ここは、やはり我が国の長い歴史の中の、たかだか100年ちょっとしかない明治以来の思想の見直しを考える時ではないのだろうか。逆に言えば、世界でもこのような貴重な経験を持つことができたわが国の種々の経験を活かす絶好の機会ととらえるべきである。西欧と日本の思想を融合した新しい思想を形作る絶好の機会が目の前にあると思うべきである。行き詰まりを見せている世界に展望を示すことが可能になるかもしれない。我々日本人の過去に持っていた、西欧思想にはない人間の業というものを深く見つめる叡智を今こそ世界に示す時なのではないのであろうか。

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