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この国の知識人のいかがわしさ

福島原発事故によって国民は、いかにこの国の知識人といわれる人々の大多数がいい加減で、無責任であるかが分かったと思う。「白い巨塔」という山崎豊子の医学界の堕落と不正を描いた有名な小説があるが、今回の事故によって、それが医学界だけではなく、日本の全ての知識人の分野が同じ状況にあるのだろうという事を暴露したのである。

わが国の教育に見られるように、明治以来ずっと続けられている事は西欧の科学技術や思想の移入優先である。現在は中国などの発展途上国の台頭により多少は異なるが、基本的に一番大事な科目は英語と数学である。これらは西欧の科学技術の移入に最も基本的に必要とされたものである。従って、英語の教育の基本はコミニュケーションではなく読解が主体であったのが連綿と続いている。数学は勿論、科学技術の基本である。また過去から続いた日本の事を研究する国学などは、結局は国家神道のために利用されただけで、本来の学問的な究明は何もなされてこなかった。この国では特定の学問について、それが主流で正しいとされる学説について、新しい研究者が異を唱える事は殆ど無い。いや、唱えたら抹殺されるのである。従って新しい仮説に基づいた検証という学問本来の行為が非常に乏しくなっている。大多数の大学でも、教授になるためには海外の学説の研究、紹介が殆どで、一旦、教授になったら何も新しい事を学びもしないし紹介さえしない者たちが多数いる。しかも現在は、科学技術振興という国策による文科省による補助金政策によって、多数の大学の多数の研究に対して税金がばら撒かれ、その成果などは無視されて、単なる官僚の支配下に置かれるという本末転倒の状況が至る所で起きている。もはや大学は自由な教育の場ではなく、官僚たちの既得権のための単なる天下り先と化したのである。

このような状況で、知識人などが国民のために何かを行うなど全く期待できない。心ある人は数少なくなり、イエスマンばかりが育てられているのは官僚世界と全く同じ構図に成り果てている。教育という者に対する基本的な理念の中に、国民の芯となる心の教育がないのは、文科省は勿論、これらの知識人といわれる者たちに確たる思想がないからであろう。単に物質的な欲望の満足だけを追い求めるだけの教育では何も生み出さない。それは戦後の教育を見れば明らかである。我々は官僚たちが画策する政策の場で、何かあればこのような御用学者たちによる諮問委員会とか、専門家の意見などという詭弁にもはや騙されてはならない。自分の問題として考え、政治家による政治主導によって大事な問題を決定させる体制に国を変えなければならない。国を変えるために、マスコミを信じるな、官僚の情報隠しを許すな、御用学者を使うなという三つの原則を提示したい。

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