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我々は過去から何も学ばないのか

何度も投稿しているが、我々は何も過去から学んでいない、いや過去の歴史の何たるかさえ理解していない。明治維新以来が近代日本と定義するなら、現在の日本は明治維新からたったの143年、戦後から66年しか経っていない。 この国とはどのような国であったのかを我々はもっと深く理解するべきではないのか。欧米諸国の科学技術の移入だけではなく、その背景にある本来の民主主義とは何であるのかをもっと理解するべきではないのか。

なぜ我が国は明治維新によって短期間で欧米列強の仲間入りが出来たのであろうか。その正確な認識をどれだけの人が持っているだろう。そしてなぜ現在の我が国が長きにわたる停滞期に陥っているのであろうか。それを経済政策だけで見ている知識人といわれる人々の視野の狭さに驚かされるのは私だけなのであろうか。

これらの事実だけでも、いかに我々は過去の事実を正確に見ていない事が分かる。明治維新の成功の背後にあるものは、江戸時代に培われた武士階級という強い倫理観と優れた知識を持った集団の存在と、高い教育をもっていた庶民たちの存在であり、その延長上の富国強兵という中央集権体制を理解しなければならない。時の知識人たちは世界情勢を正確に把握していた。欧米列強の科学技術による圧倒的な武力の前において、わが国の過去の体制は何も役に立たない事を認識していたからこそ国の体制を根本的に変える事が出来たのである。勿論そこには数々の弊害もあったし、途中で方針を変えられなくなった事により100万人以上の犠牲者を出した太平洋戦争という愚行も正しく認識すべきである。間もなく終戦記念日が来る。以前に投稿した内容とはダブルかも知れない。しかし、敢えてこの問題を追及する意義は大きいと思う。http://ashurakenzan.blog137.fc2.com/blog-entry-202.html

ここでは戦後を中心に語りたい。なぜならば民主主義という制度が導入されたのに、実態は民主主義ではない事に誰も警鐘を鳴らしていないからである。誰もがおかしいと思いながら何も言わない異常性は何なのだろう。知識人といわれる者たちは何も発言しない。権力の実態は官僚機構にある事を誰も指摘さえしない。あたかも全てが政治家の責任であるように、マスコミも知識人といわれる人々も同じように意見を合わせている。だれもその原因がどこにあるかを正確に分析すらしない。一体、戦後のこの国は何を求めてきたのであろうか。我々国民はこのままで本当に幸福で安全にいられるのであろうか。民主党がダメだからといって単純に自民党の支持率が増えるという異常性を誰も指摘しない。何故なのだろうという問いさえ知識人やマスコミに出てこない。国民の代表者である国会議員たちだけを非難して、我々の公僕であるべき公務員が好き放題している事を誰も責めない。いや逆に公僕の方が優秀だから政治家は黙っていろと言わんばかりの世論操作ばかりが目立つ。これが民主国家なのであろうか。

やはり制度として与えられた民主主義というものが機能していないのである。政治が良いか悪いかは国民に責任を求めるのが筋だろう。なぜなら、主権者がその代表者を選んで、国会という国権の最高機関に送り出した結果だからである。良かれ悪しかれ我々はその結果に責任を問われるものであるし、また失敗したとしても国会議員たちは交代させることが可能である。しかし公務員は変える事が出来ない。それらが権力を持っていて、本来の国民の代表者の指示に従わず、その責任も問われないなら主権在民は何の意味も持たない。外国の民主国家で公務員は公僕と呼ばれる。それは自ら何も生産せず、国民からの税金や公共料金によって生活しているからである。その公僕が権力を持っているのがわが国の実態である。この冷徹な事実を、なぜ知識人と言われる人々やマスコミも認めないのだろう。 いや、国会議員たちすらそれを認めていないようだ。誰もが見て、見ないふりをしている。自国の本質が民主国家でないと認める事を全員で拒否しているのだ。

戦後与えられた民主主義を機能させない限り、この国は決して変わらない。国会議員たちは自分たち本来の立法権が行使できる体制にしない限り何もできないだろう。全てを官僚に丸投げしていて良い時代はとうの昔に過ぎ去っているのである。それを自覚しない限り、国民も国会議員もいつまでたっても同じ愚を繰り返すだけである。もう茶番は見飽きたし、そんな時間もないのだ。公務員の身分保障には何の意味もない。むしろ責任を厳しく問える制度に変えない限り公僕にはならない。我々の税金で暮らす者たちに法律を好きなままにされ、それに基づいて命令されたり、そのような者たちの勝手な意思で逮捕されたりする社会であってはならないのだ。戦後60年以上も経った今、我々は本気で国を変えなければならないのである。そのためには変化というものから来る一時的な不具合を容認しなければならない。政権交代後にマスコミ報道に見られた、変化という政策に対する異常なまでの世論操作を二度と許してはならない。政策の良し悪しはマスコミが決めるのではなく国民が決めるのであり、その責任も負うものである。それが主権在民という民主主義の基本である。マスコミは事実を伝える事が仕事であり、自分たちの意見での世論操作など断じて許されるものではない。

戦後60年以上も経ったのである。民主主義というものの何たるかをもっと考えようではないか。この国の未来を良くするのも悪くするのも、国民一人一人の決断でできる国にしなければならない。 このまま官僚主導の変化できない国のままでは我々の子供たちに未来は絶対にない。原発事故の対応で分かったように、国民の事を何も考えない世界中から笑いものにされる三流以下の国に堕ちていくだけだ。

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