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日本仏教の母、天台

平安時代に最澄という天才によって始められた天台宗は、その後の鎌倉仏教といわれる浄土宗、浄土真宗、禅、日蓮宗などの全ての源である。

天台とは中国の智という思想家によって完成させられたものである。その根底にあるものは大乗仏教の根本思想である龍樹による空の思想である。天台は漢の後に中国を統一した隋のもとに中国全体の仏教となった。しかし隋の滅亡とともに急速に衰えて、華厳や禅という新しいものに変わっていった。智は当時あった法華経、華厳経、涅槃経のうちで法華経を最も優れたものとした。華厳経は一即多、多即一という一毛の孔(あな)という微細なものの中に世界の全てが存在し、その世界が一毛の孔であるという世界観を持ったものであるが、智はこれを純粋すぎるものと考えた。華厳経は空により否定されたものを再度肯定するために仮諦という概念を作り現世の全面肯定を図るものである。しかし智は全面肯定は認める事が出来なかった。彼の中ではあらゆるものは仏性もあるが同時に地獄も存在していたのである。涅槃経はどうか、それは常楽我浄という現世の肯定という思想であるが、基本的には釈迦の死の時に説かれた思想で法華経と変わらないものと考えた。こうして天台の基本は法華経にありとされたのである。

それでは法華経とは何か。その基本は三諦円融という思想にあると考えられている。三諦とは空諦、仮諦、中諦とよばれるもので構成される。空諦は全てのものは空しいものとして欲望からの脱却を図るものである。しかしそれでは生というものが消極的なものに過ぎないものとなる。現世の肯定のために仮諦というものが考えられた。一旦、否定したものを認めようという考えである。しかし仮諦に執着すれば現世の全面肯定になるだけで欲望の全面肯定になる。そのために空でもない、仮でもない中という中諦というものが考えられた。この三つのものが融合した世界こそ悟りの境地だとする考えである。要するに一つのものだけに偏った考えではなく、全てにおいて空、仮、中という考えをもつべきという、考えようによってはいい加減なものであるが、何となく納得してしまう。このような考えは、白黒がはっきりとした西欧思想には殆ど存在しない。その他、一念三千とかその他の思想もあるが、三諦円融が最も法華経を代表するものと思われる。

最澄はこの天台智の思想によるもので天台宗を作り上げたが、天台は天台だけではなく、密教、禅、律という四宗兼学という大学のような場所でもあった。だからこそ日本仏教の母と呼ばれるものになっていったのである。その後、一向大乗戒という中国にもインドにもない日本独特の戒律を策定した。従来の250ものあった戒律は余りにも形式的なものであり、それを守ってもいない僧により授けられることを拒否し、もっと現実的なものを仏に対して誓うという形に変えたのである。この内面を重視する懺悔の思想に裏付けられた制度は、その後の日本仏教の僧たちの肉食妻帯を認めるというものに変化した源のように言われるが、本質は決してそのようなものではない。天台や真言密教という平安仏教は貴族仏教とか、祈祷仏教などの簡単なものに分類されるようなものではない。そこには我々が知る以上に深遠なる数々の思想が存在している。我々はそれらをあまりにも無視しすぎてきたのである。

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