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歴史認識のない政治家たちが国家観なき国を作る

我が国の歴史について数々の意見を書いてきた。江戸時代までの日本がどのような国であったのか、そして明治維新以来の日本が現在までどのような国になってきたのかを明確に語れる政治家がどれだけいるのであろうか。それが分からずに天皇制や靖国問題、太平洋戦争、そして戦後の問題を正しく見る事は出来ないはずである。従って、過去の自民党政権のように本来の民主主義の意義を忘れて、全てを官僚に丸投げするような政治が当たり前のような異常な国に成り果ててしまったのである。外交などできるはずもなく、未だに米国一極主義から抜け出る事も出来ず、防衛問題の中に危険な原発が50基以上もある問題を誰もが無視するような見せかけの議論だけがなされている。このような現実を見ないで、核武装せよとか、強力な軍事力が必要などという全体を見る事ができない意見が出てくること自体が異常である。この原因は外務省は外務省の事だけ。防衛相は防衛相の事だけ、経産省は経産省の事だけという縦割り行政の弊害と、それをまとめきれない政治家たちの情けなさにある。石破という自民党議員が国防の専門家のような報道にもこのような観点がなく、全くバカバカしい事を主張しながら民主党の防衛政策を非難しているのを見れば実態が見えるはずである。

戦後の一時的な経済的な成功というものに全ての原因を見るのは間違いなのだろうか。敗戦によって壊滅した経済と国民生活の復興のため、政治家も国民も必死になって働き、その結果は世界も驚く短期間での経済的な成功であった。これは、基本的には明治維新の成功と全く同じ構図であった。そして成功のゆえに変化できなくなってしまった国の形態というものまでが同じ構図を辿っている。もっと悪い事は、国民の教育の本質である道徳というものが戦後は完全になおざりにされたままになっている事である。明治時代は、良かれ悪しかれ忠君愛国という儒教の精神にも似た道徳によって国民は誇りを持って生きる事を教えられ、それはそれで機能したのは事実である。戦後はどうなのか、全ての戦前の教えは180度変えられたことにより、道徳の拠り所は何もなくなり、民主主義である事があたかも道徳のような間違いをしたまま現在に至っている。ソ連の崩壊まではマルクス主義こそが変わるべき思想であると信じていた多数の知識人たちが存在していたが、現在はそれも崩壊している。正にこの国は道徳の基準さえ失って漂流しているのである。

国会議員という政治家たちや知識人といわれる人々も、戦後は新しい思想的な問題を何も提示できていない。明治維新以前に長きにわたりわが国に存在していた仏教の思想や儒教、国家神道ではない本来の八百万の神という概念の神道などの全ては依然として何も顧みられていない。依然として西欧至上主義のままの、官僚による中央集権主義が戦前と同じに続けられている事さえ国民には正しく伝えられていない。政権交代したものの、そこに起こった事が何だったかを見るとよく分かる事がある。国民の過半数が選んだ政党の政策をマスコミは寄ってたかってボロクソに非難したのである。それは国民の選択を非難したことにほかならず、完全に民主主義の否定であった。海外のように政権交代が当たり前の国ではありえない現象である。しかも、既得権側に都合の悪い小沢一郎という権力者に対する官僚側とつるんだマスコミのやり方に至っては、独裁国家も真っ青な構図である。

政治家や知識人といわれる者たちに、正確な国家観というものの認識ができない国に未来はない。出来る事は、せめて我々国民がその事を正確に理解し、次に何をするべきかを考える事により行動する事だろう。未来は他人ではなく我々個々人が決めなければならない。

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