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曼荼羅に見る密教の思想

密教について概説をしたけれど、曼荼羅という摩訶不思議な問題をもっと述べる必要があると考えた。大日如来という毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、どのような考えから作られたのであろうか。そして曼荼羅という世界は何をもって作り上げられたのであろうか。その正確な理解があって始めて密教の本質が分かる気がするのである。

本来、釈迦という一人の人間の考えだけのものは宗教とは言えない。それが宗教になるのには人間という範疇を超えた神になる形而上的な変化が必要なのである。大乗仏教というものは釈迦の教えを、宗教という形而上的なものへ変化させたものであろう。初期の般若の教えには依然として欲望の否定だけに偏るニヒリズム的な傾向が強かった。これが法華経~華厳経~涅槃経~密教、禅に至るごとに人生の肯定面が強くなっていったのが仏教の思想の変転である。中でも密教は生の肯定は特に強くなる。曼荼羅にある2つの金剛界と胎蔵界という世界は男性と女性の和合の原理である。胎蔵界とは女性の子宮そのものといわれる。大日如来は宇宙の生命を生み出す母なのである。それが曼荼羅のみなもとになっている。即身成仏という密教の基本は、まさに身という肉体を肯定する言葉そのものなのである。肉体を通じてはじめて人は喜びを感じられるものであり、それによって悟りも得られるものと考えるのが密教である。

そして密教は生命の秘密を教える。どんなに人間が進歩しても分かりえないもの、それが人間を含む動植物や自然の生命である。あらゆるものに生命の秘密を見るから密教という言葉になったのである。大日如来は語密、身密、意密という三つの姿で姿を現す。風の音、鳥の鳴き声、人間の言葉という語密、人間の体、動植物の体、山や川の形という身密、人間の心、動植物の心、山の心という意密であらわされる大日如来。そこにあるのは西欧とは根本的に異なる人間中心の世界ではない、動植物にも自然界にも生命を見る平等の思想である。だからこそ日本古来の神道に見る八百万の神と同じ考えに多くの日本人は賛同したのであろう。密教は始めて神仏混合を許したのである。そして金剛界曼荼羅には大日如来を中心に4つの知恵を配して合計で5つの知恵を現わしている。大宇宙と一体化した知恵を現わす法界体性智、円満具足の知恵である大円鏡智、人間にも動植物にも自然にも慈悲を注ぐ平等性智、物を正しく見る知恵である妙観察智、実践の知恵を現わす成所作智が書かれている。それは大宇宙の生命を一体化する大日如来の知恵を囲む平和の知恵、平等の知恵、科学の知恵、実践の知恵と訳されるべきものである。ここに曼荼羅という知恵の思想の深さを見なければならない。現代の西欧主義の世界では科学の知恵だけが強調されて、他の知恵は軽んぜられていないか。人間は傲慢になっていないのか。曼荼羅の知恵の深さを我々はもっと知るべきなのである。

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