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全国の知事に見るこの国の病弊

北海道の泊原発の再開を決めた高橋という官僚上がりの知事には、全国民どころか世界中がこの国はどうなっているかと驚かされた。あれだけの原発の事故の直後で簡単に原発の再開を決めた背景は何なのか。地方分権が叫ばれたり、地方の疲弊がひどくなっているというのに、この国の知事の実態を調べると、どれだけ地方というものが情けないものであるかが分かってくる。地方の人々は自分たちの努力よりも、中央官僚そのものや特定団体・官僚と一体化した自民党を選択している事実が見えてくるのである。要するに疲弊しているのは自業自得なのだ。地方がやっているのは都会人が払っている税金の横取りができる知事を選択しているに過ぎない。

日本にある1都1道2府43県、合計47の自治体のうち、各省庁出身者が知事になっているのは29、自民党系議員出身が8、民主党系議員出身者が2、その他が8である。各省庁と自民党出身者でおよそ80%が地方自治体の長を占めているのが現状とは驚くべきことである。このうち自民党や民主党議員であるが省庁出身者であるものは省庁出身者としてカウントした。この形は中国の清朝が滅亡するまで連綿として続けられた科挙の制度による地方の支配と全く同じ構図である事に驚かされる。いずれにしろ地方の大多数の人々は依然として中央の支配を唯々諾々として受けている方がメリットは大きいと判断しているのが実態である。それを裏付けるのは、我々が地方に行って驚く道路や箱モノの立派な施設の多さである。結局、これらの公共的な事業という税金に依存して、自分たちの努力より他人の金に依存して生活している実態が見て取れるのである。地方の人には耳が痛いかも知らないが、実態を見れば否定はできないだろう。

これこそ戦後以来ずっと続く、官僚と一体化した自民党による中央集権による国民支配の実態を現わしている。民主国家の皮を被った官僚全体主義国家という姿がわが国の本当の姿なのである。ここから見える事、それは国の形を本当の民主主義国家にするには地方が変わる以外には絶対にできないという現実である。江戸時代には各藩は完全に幕府から離れて自治が行われていたのに、明治になって中央集権化して以来、ずっと中央の元の支配におかれたままとなり、今日に至るまでそれが当たり前のようになってしまったのである。結局自ら産業の創出などができず、一次産業である農業や漁業だけしかできないという体たらくに陥って何も変わる事ができていない。自縄自縛のままに今日まで来たのは、地方自らが真剣に考えなければならない重大な問題である。政権交代したのに何も変わらないのは菅直人政権の責任も大きいが、最終的には地方の責任が一番大きくなるだろう。国を変えられるのか、それは地方に住む人々の意識改革に委ねられているのである。

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