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政治とは何か、国とは何なのだ

第二次大戦の敗戦以前に国の形を決めていたのは限られた階層の人間に過ぎない。鎌倉以前では藤原氏を主体とする官僚と皇族たち、江戸時代までは武士階級、明治維新から第二次大戦までは官僚である。戦後は民主主義という皮を被った官僚全体主義によって表向きは国民であるが、実態は依然として官僚主権である。なぜ、このようにこの国では主権在民という民主国家の根本的な理念に沿って国が作られていないのか、誰もそれを正しく国民に説明しない。あたかも国民が政治家を選んで国が運営されているかの如くに、マスコミも知識人といわれる人々も国民に語りかける。それは原発が事故を起こすまで安全だと世論操作され続けていた事実と同じ構図に他ならない。この国の形は依然として旧態然とした前近代国家のままなのである。

一番良い例として挙げるなら靖国神社という存在である。明治時代、憲法上では政教分離が規定されていた。しかし全体主義の必要性から国家神道という宗教を捏造しなければならなかった支配層である官僚たちは、神道は宗教ではないという詭弁で国民を騙した。その結果が膨大な国民の犠牲による敗戦という国家の破綻であった。戦後、戦前の思想については占領政策によって徹底的に変えられたかに見られたが、実態は何も変わっていなかった事は現在の国の形が証明している。天皇を神として国民をまとめ上げて西欧化に成功した国の形は、戦後には民主主義が神になって国民をまとめ上げて裏で官僚が操作するという何も変わっていない全体主義の国のままなのである。靖国神社という戦前の象徴さえ廃止できていない。それがこの国の実態である。

国民主権という意味での国民の存在は戦後の60年ちょっとの歴史しかこの国にはない。その事実をどれだけの国民が理解しているだろうか。しかも実体は国民主権ではない事にさえ気づいていない。民主主義の根幹をなす三権分離もない形だけの民主国家がわが国の実態なのである。政権交代して全てが変わると期待した国民は、菅直人政権によって完全に驚き呆れた。政治家というものがいかに力のない理念なき集団なのかを知ったのである。権力の全ては官僚側にあることを嫌というほど知らされたのである。ある意味では政権交代して初めてこの国の実態が分かったと言う事は良かったのだろう。しかしながら大多数の国民は、政治家というものたちのあまりにもひどい実態を知ってしまったのだ。何もできない無能集団、自分たちに与えられた権力の行使さえしない無責任集団、全てを官僚に丸投げする税金泥棒である事に気づいたのだ。

この先、一体この国はどうなっていくのだろう。すでに国民所得は三流国家なみに落ち始めている。経済的にも世界をリードできず、外交に至っては世界の笑いものにすぎなくなっている。それが自民党という官僚と一体化した政治が60年近く続いた結果なのである。見せかけの民主主義というものに騙され、全てを他人任せにしてきた国民のつけといえばつけであるが、実態は国民にそのような自覚はなかったのだろう。戦後になって始めて国民主権などといわれても、自ら獲得した権利ではなく、単なる与えられた制度に過ぎないものを誰が正確に認識しただろう。しかも既得権を離さない官僚機構は本来の民主主義にならないように裏で操作してきた事は大多数の国民には分かる術(すべ)さえなかったのだ。

国をどうするかは、過去のこの国の歴史を正確に認識した国民だけができることなのである。我々一人一人が真剣に過去から学ぶ必要があるのだ。日常に行われている些末な現象だけを見ていたら決して全体は見えない。何が我々国民にとって幸せになれるものなのかを今一度、真剣に考えなければならない。日本人ほど他人を思いやる国民はいない。だからこそ、それを利用して騙されやすい事にも気づかなければならない。我々の素晴らしい過去から続いている他人を思いやる心、このような素晴らしい国民は世界一である。誇りを持って素晴らしい国を作るために行動するべきである。国とは国民のものである。政治家や官僚のために存在するものでは決してない。

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