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空という思想の理解を妨げているもの

多数の人々は空の思想を理解する事が困難だと言う。それは自己の経験などから考える事から導き出された当然の結果といわざるを得ない。空の理解で最も大切な事は、各々の自己の過去から学んだことや経験したことから考えることを全て否定している事を理解しなければならない。自分というものが考えたり、見たり、感じだりすることの全てを、実際にあるものとしないで仮のものとしている事である。

人間は生まれてから成長するにつれ、自分が見たり聞いたりして学習したことが心の中に蓄積されてゆく。それが自己というものを形成してゆくのである。そのことは否定できない現実であり、その中で各人の考えや物の見方が作り上げられてゆくのである。それが一般に言われる成長と呼ばれるものである。過去の経験や学んだ知識をもとに新しい事が心に蓄積され、それをもとに又、新しい事が蓄積されてゆくという事を繰り返している。それらが無意識となったり知識となって、善とか悪とか、美とか醜とかの概念が形成されてゆく。空の思想は、それこそが問題の根源であると指摘するのである。なぜなら個人というものだけで全てを考える事を否定するからである。

簡単に言えば、自己の見ている対象に実体はあっても、それが絶対的なものではないとするのが空の思想なのである。全てのものは独立して存在するものは無い。過去から連綿と続く生命の連鎖の中で存在し、しかもあらゆるものは変化しながら消滅の方向に進んでいる。一瞬前に見たものは次の瞬間には同じものではないし、自分で見たり感じたものは他人や他の生物の見たり感じたりしたものと同一のものは無い。自分で理解している事は過去の知識や経験の蓄積によるものであり、それは普遍的なものとは言えない。あらゆるものは他との関連の中の存在でしかなく、固有の自性というものはない。1が絶対的な固有のものとして存在していれば、1と1で2という存在にはなりえない。それは1と1が存在するだけである。1というものが2というものに変わるのは自性がないからに他ならない。取得した知識などは、あくまでも全体というものではない個人という主体での考えに過ぎない。空とは、私というものではない全ての関連する「生命(いのち)」という本質的な存在の理解なのである。命は私が存在する前の何億年も前からあらゆるものに存在しているものである。その意味で私を考えれば、私という固有の存在は無くなり、我欲にも意味は無くなる。我欲という欲望が無くなれば苦というものからも解放される。悟りとは、この私をはなれた全ての生命という存在そのものを意識したものである。

又してもくどくなってしまったが、結局は「わたし」という西欧の考えによる個人という固定したもので世界を考えるという、主体とその対象の客体という二元性の考えではなく、個人は全体の生命のつながりの中の常に変化している一部のものという考えの違いであろう。どちらに優位性を見るかは、それこそ個人が考えるという矛盾になるけれど、その根底になるものの理解の重要性を考えていただきたい。

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