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この国の権威主義という大問題

過去に何回か書いたが「権威主義者」とは、誰が何を言ったかで判断する人々である。これに対して「合理主義者」とは、何が言われたのかを考えて判断する人々である。日本ほど権威主義者が多い国は独裁国家を除いてないのではないだろうか。

この問題はあらゆる分野に及び、政治、行政、学者などの知識人、芸能界などのあらゆる分野に見られる。政治は従来の制度の枠の中だけの中身のない論争を繰り返し、何も決定ができない。参議院というものが決定権を持つという制度が問題なのに、その改革どころか議論さえしない。行政は官僚という公務員が間違いを認めないという傲慢性から、権威主義と官僚の利権だけで物事が決められ、無駄な政策の山となり、税金は国民のために使われず、巨額の米国債がいくら保有されているのかという情報さえ開示されない。学者や大学などの研究分野においても、従前のものが正しいという前提だけで独自の仮説を立てる事さえしない研究者ばかりになっている。さらに官僚の恣意的な補助金政策のもとで御用学者ばかりとなり、原発事故に見られるような政府に都合の良い事だけを言うだけの宣伝の道具と化している。芸能界では過去の人気や賞を得たというだけで面白くもない芸人ばかりがメディアを独占し、政治やニュースにまで人よせパンダとして使われている。国民もマスコミの世論調査に踊らされ自らの判断を放棄しているように見える。最も顕著な例は小沢一郎に代表される陸山会事件の対応だろう。検察特捜の暴走によって、記載時期のズレという犯罪にもならない事が大事件として報道されている事実は異常を越えている。事件、事故へのマスコミの対応のひどさは中国の鉄道事故どころの問題ではない。検察や警察、裁判官という権威をふりかざした報道は、わが国のマスコミの程度のひどさの象徴になっている。容疑者は裁判の判決の前から犯人扱いの報道になり、一般人は氏名から顔の報道まで大々的になされるのに、公務員、特に警察や官僚に対する報道は全く逆の対応が堂々とされている。

最も重大な問題は、戦後たかだか66年しかない民主制度が、あたかも機能しているかの如くに内容についての検証が何もなされない事である。行政をつかさどる官僚たちが立法行為から司法に至るまでを支配している事実は無視され、全ては政治家の責任として追及がなされているのはあまりにも程度が低すぎる。過去から存在している政策は正しいものとして、何の見直しの対象にもなっていない。普天間の移設一つを取っても、それを海外や沖縄以外に求めようとしただけで「日米関係が壊れる」、というマスコミや評論家たちの大合唱で潰されるという異常性を誰も非難しなかった。今になって野田政権の閣僚が沖縄にノコノコと出かけていくと、今度は県民無視と言ってしゃあしゃあと非難しているマスコミの対応には反吐が出る。全ては既得権というものだけが権威となって、それを変えようとすると皆で潰しにかかるひどい国になっているのだ。年金の支給時期が遅らされようとすると、その原因である少子高齢化を報道するのに、対策をとった「子ども手当」はばら撒きと非難した自分たちの責任は何も言及さえしない。そんな状況に国民までもが加担している事を我々は恥ずべきなのに、誰もが知らぬふりをして全てを他人任せにしている。選挙になれば4割にもなる人々が投票にも行かない国なのだ。権威主義という情けない考えを捨てない限り、絶対に国民主権の、国民の生活が第一の国は作る事ができない。何が大事なのかをもっと我々は考えるべきである。

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