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日本仏教の本質とは何か

仏教はキリスト教やイスラム教などと比較すると非常に分かりにくい。キリスト教などは聖書を見ればそれで理解できるが、仏教には統一的な理念を語る聖書のようなものは存在しない。無数の経典と多数の宗派があり、宗派ごとに異なっているように見えるからである。一見バラバに見える仏教であるが、そのエッセンスは同じである。また日本における仏教の理念も基本的には一つのものに集約できるであろう。現代にいたるまで仏教関係者は個々の宗派における解説はしてきたが、仏教全体としての総合的な解説というものを怠ってきた事は否めないであろう。その最たるものは鈴木大拙による英語による禅の解説をもっての仏教の紹介であろう。確かに海外での禅の理解は深まったが、仏教を禅としてしかとらえないという誤謬が生まれた事も事実である。小乗仏教と言われるものから大乗仏教に至った仏教が、日本においてどのように根付いていったかを知らずに仏教を理解する事は困難である。その本質は何であるのかを概説したい。

結論から言えば、日本仏教の本質は「天台本覚思想」というものにある「山川草木悉皆成仏」という言葉に集約されると考える。人間のみならず動植物にも自然にも仏が宿るというアニミズムのような思想は釈迦仏教にはない考えである。原始仏教は個人の悟りという救済が目的であり、それが大乗仏教になって他者の救済まで広げられたが、このように人間以外の全てのものにまで仏性を見るという考えは日本独特のものである。この考えはどこから来ているのであろうか。その答えは、明治維新で行われた「廃仏毀釈」という問題にあるのは歴史の皮肉としか言いようがない。廃仏毀釈以前の日本では、お寺に神社が同居するのは当たり前であった。中央集権のためにねつ造された国家神道のために、明治政府は仏教を神道から無理やり切り離して国民をまとめ上げる道具としたのである。その結果、仏教は壊滅的な打撃を受けて現在に至っている。教育の場から仏教の理念は100年以上も葬り去られた事で、日本国民の仏教への正しい理解は日ごとに無くなり、現代では殆どの人々は仏教の内容を理解できなくなっている。2千年にもなるわが国の歴史の中で、国民の精神的な中心をなしていたものが短期間に失われてしまったのである。我々は今一度それを取り戻す必要がある。

日本の根源にあるものは、20万年前から2千年前の稲作文化の始まりまでの、非常に長い期間の狩猟採集という縄文文化である。日本で発見されている縄文土器は世界で最も古く、はるか1万2千年前にさかのぼるものである。この時代の宗教観は人間は死んで、そしてまた生まれ変わり帰ってくるという循環の思想であった。また人間は自然の一部であり、動物や植物と同じ位置のあるものと考えられていた。それが原始神道につながるものになり、稲作をもたらした中国からの渡来人による日本の征服によって出来上がった大和朝廷というものの後にも無くなることなく、現代にいたるまで我々の中に連綿と続いているのである。今でもお盆という休みは最も長く大事なものであり、その期間は先祖の霊が返ってくるものといわれて数々の行事が続けられている。新しく生まれた子供は、亡くなった親族に似た子が生まれると、その生まれ変わりであると信じられてもいる。これは明らかに仏教の理念とは異なったものである。山が多い日本の国土では、森林は長きにわたり伐採されずに存続し、現在でも国土の60%以上は森林である。自然信仰は根強く、食文化も他国と異なり、刺身とか鍋料理が多い特異な文化を長い間もち続けている。このような中で仏教の中にも自然崇拝の考えがもたらされたのは自然であり、神仏混合が自然発生的に起きた事は不思議ではない。それは平安時代に最澄と空海による天台宗と真言宗という2大仏教の始まりから続いていると解釈できる。特に空海による真言密教の考えは自然の神である太陽の神としての大日如来というものが中心になるもので、日本人には受け入れやすいものであったことは確かである。天台宗でも密教の教義を受け入れる事で、真言密教に対する「台密」というものが大きく発展する事となった。これによって天台宗は日本仏教の総合的な大学のようなものとなり、後の鎌倉仏教である浄土宗、浄土真宗、禅宗、日蓮宗の全ての生みの親となったのである。

江戸時代に入り、幕府によるキリシタン禁制のための仏教寺院の檀家制度によって、日本仏教は保護された事により、布教の努力や新しい宗派は出なくなり形骸化が進んだ。仏教は葬式が主たるものとなったものの、寺子屋という制度のもとでは庶民の精神的な教育の場としては存続していた。仏教の中にも循環の思想が入った事により、お盆や正月などの儀式の中に先祖供養は大事な行事として残されてきたのである。確かに大乗仏教の理念である「自利・利他」という他人を救済するという理念も大きなものであったが、日本仏教の中に占める祖先供養というものは一番大きな比重を占めるものとして存在している。死んでもあの世でしばらくいるだけで、新しく生まれ変わるという循環思想はDNAの存在でも科学的に証明されている。この思想を信じれは、死ということは怖いものではなくなるだろう。そして人間は宇宙のあらゆるものの存在の一部に過ぎないという、自然との共存という共生の理念も大きなものがある。わが国の国民の心の中に占めるこれらの優れた思想こそが日本仏教の本質なのである。この考えは西欧の人間中心で行き詰っている世界に対する人類の新しい考えとして十分こたえられる思想である。日本人は誇りをもって自分たちの思想の見直しに入るべきである。

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