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経済成長という言葉は何を意味するのか

すでに何度も主張しているように、西欧思想は科学技術の発展に従って人類は無限に発展するという幻想の上に立っている。しかも発展は物質的発展であり、人間としての精神的なものは置き去りにされている。デカルトの二元論による、思惟する自我という精神と、それ以外の物質という考えで西欧は自然を科学技術によって搾取する事で発展を達成してきた。さらにキリスト教という一神教は、神が人間を特別なものとして創造したという教義によってこれを補強してきた事も事実である。しかしながら19世紀以来のこの考えは、結局、神というものより人間が中心になった事で神を捨ててしまった。この結果、物質的な欲望が第一のままになり世界は明らかに行き詰っている。

わが国の問題も明らかにその延長上にあるだろう。確かに戦後の国民の努力によって高い経済成長力が達成され、国民は経済的な恩恵を受けたが、バブルが崩壊して以降は逆に停滞という問題から抜け切れず、経済の発展という神話を追いかけるだけの情けない国になっている。経済は永遠に発展するものであるのか、誰もこの根源的な問いを発せず、議論の対象にさえしていない。政治家も国民も経済という物質的な問題一色のまま何も変わらず、果ては世代間の不公平などと言う変な理屈がまかり通り始めている。若者は経済的な発展がない事から自分たちには利益還元がなされていないという不満をもち、過去に利益を受けた世代に対して反発を強めるというバカな構図が作り上げられようとしている。全てが成長という神話が当たり前という前提で進められているのである。誰もその問題を真剣に問うていない。本当に経済的な発展は永遠に続くのであろうか。人間は何を求めているのかという根源的な問題を誰も問わない。

我々はあまりにも物質的な問題ばかりに偏りすぎていないだろうか。誰かがそのような問いを発する時なのではないのだろうか。TPPの問題に代表されるように、アジアの発展を取り込んで日本も発展すべしというもっともらしい理屈が国を二分している。TPPはアジアではなく米国主体の経済連携協定に過ぎない。だからどうのこうのというつもりはないが、結局、行き着く先は、全員が物質的な発展という未来を思い描いているだけの話である。米国を見れば明らかなように、自由原理主義という究極の自由競争の果てに起きている事は何か、極端な貧富の差の拡大である。勝ち組がなければ競争に意味はないだろう。しかし、それを放置すればこのような結果になる事は明らかである。自由という問題の難しさはここにある。だからこそ我々は精神的な問題の重要性を問わなければならない時期に来ているのではないのか。「足るを知る」という仏教や老子的な思想は重要な問題を提起しているのである。

経済成長という言葉に安易に流されてはならない。我々はもっと精神的な思想の重要性を考える時に来ている。それを議論する事を提起する事こそ我が国が世界、特に東南アジアをはじめとする発展途上国に対してリーダーシップを発揮できる唯一の道である。また自国の中においても、正しい精神的な思想を持つことが世界から我々が尊敬される品格をもてることになる道でもある。物質の発展一辺倒という西欧思想の見直しは急務である。我々こそがそれをできる最初の国民にならなければならないし、我々にはそれを可能にする過去の素晴らしい精神史があるのである。経済だけという貧しい発想から抜け出ようではないか。

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