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人間より上の存在なくして道徳はない

17世紀以来の西欧思想は人間が神を超えた存在になった。そこにあるものは人間以外はおのれの肉体でさえも物質というものに変えた。人間の中の理性という神を越えた不死の存在の認識である。人間こそが全ての上に立つものであり、動物も植物も、自然さえも人間のために存在するだけのものになり、全てのものは人間のために存在するだけの物質に成り果てたのである。それを支えるものは科学技術という名のもとの物質文明となり、あらゆる自然と西欧以外の世界の収奪による発展の容認となった。その結果が植民地支配と国家覇権主義という思想となり世界は大きく変えられた。

その思想は基本的に変わらず、国家間の闘争はマルクスにより階級間の闘争というものに変えられたが基本的には何も変わらず、20世紀まで世界の思想を主導し続けた。21世紀の今、西欧の哲学者たちは明らかにその限界を指摘し始めている。しかしながら日本を含めた非西欧諸国は、未だに西欧の科学技術による経済的な発展こそが最大の目標と勘違いしたままに大きく世界を変えようとしている。このままでは人類は間違いなく破滅へと向かうだろう。

今、人類が必要な事は自然と異文化との共存である。過去の西欧による自然や他文化の収奪による発展ではない。過去にない、すさまじいばかりの自然破壊による経済の発展は地球環境の破壊という深刻な問題になっている。さらに一神教という偏屈な思想から来る戦争という問題は、過去の国家覇権主義を越えた重大な問題となり、それが日増しに大きくなっている。インターネットなどの情報技術の発展によって世界を驚くほど狭くなったたことで、過去の一神教による世界観では機能せず、むしろ紛争の大きな要因になってしまっている。このままでは異文化間の闘争はなくなるどころか酷くなるだけである。

西欧思想による人間中心主義は明らかに今日の世界に適応できないものになっている。さらに一神教という人格神も世界を歪めるものになっている。世界の一員としての人類に必要なものは人間を越えた複数の神の存在を認める心である。特定の神だけではなく、あらゆる意味で人間を越えたものの存在を認めなければ道徳の復権はあり得ない。人類の全てが認める神の存在があって初めて全人類に共通の道徳が出現するだろう。お互いを尊重し、人間以外の動植物や自然にも神を見る事で初めて環境問題も重要なものとして理解される。人間は自然を抜きにして存在しえない。この厳然たる事実を認めない限り未来はない。己の心の問題と、己とは大宇宙の一部でしかないという仏教の思想こそが世界を救えるものである。正義などという概念で他人を裁くことではなく、悪というものは他人の中ではなく自己にあるという仏教の思想こそが世界と人類を救いうる思想である。人間だけが世界の中心ではなく、人間も自然の中の一部に過ぎないと言う思想こそが世界を救うものである。

過去の世界観によって地球や戦争の問題がどうなっているかを正しく見るべきである。それを容認するのか、それとも新しい価値観によって世界を変えるのか、それこそ我々人類が今、求められている事なのである。人類は子どもたちに何を残せるのか、大げさでなく本当の意味で我々にその意味が求められている。

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