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仏教とキリスト教との違い

大多数の日本人は仏教を知らない。知らないというより知ろうともしない。過去の日本に連綿として続いていた優れた思想を知らないことは何という不幸なことであるのか。我々の生活にある多くのものには仏教の思想によるものが知らない間に入っている事にも気づいていない。明治以来の西欧文明至上主義がいまだに続いている結果、大多数の人はキリスト教などの一神教の方が優れた宗教と勘違いしている。しかもその内容の違えさえ分かっていないと思われるのにである。この誤解を解く意味でも、ここにその違いを簡単に述べてみたい。

仏教は釈迦に見られる個人の救済を求める小乗仏教と、個人のみならず他者も救うという大乗仏教に大別される。ここでは両者のエッセンスのようなもので仏教全体を述べてみたい。キリスト教は旧約聖書に基づくユダヤ教と新約聖書によるキリスト教になるが、その基本はユダヤ教にあることは否定できないのでユダヤ教の根本原理も含めて述べてみたい。

両者の違いを一言でいえば一神教という人格神と多神教である個人の中の仏という神との違い、並びに人間が中心となるキリスト教と自然が中心となる仏教という違いであると考える。キリスト教は唯一絶対神である神を認め、そこに全てを委ねる事で救済されるという思想である。神の決めた思想に基づき、教会を経由して神に帰依するカトリックと、神と個人との直接契約という過去の米国のピューリタン思想に代表されるプロテスタントに大別されるが、根本は同じである。契約により神の求める善行を行うものだけが救われるというものである。

これに対して仏教は釈迦から始まり如来や菩薩などの多数の神があり、人間は苦というものから離れるために修行や念仏により救われる事で仏になれると考えるものである。また人間は自然と同じ存在にすぎず、宇宙のあらゆるものはお互いに関係して独自に存在するものは無いという大前提の思想を持つ。

簡潔に書けば以上の違いで理解できると考えるが、仏教にはキリスト教のような聖書というものがないために理解しづらい事は否めない。宗派ごとに違う思想があるように見えるが、その根底を流れる思想はどこも極端に違う考えはない。どちらが優れているかという問題は個人が決めるものであるが、私の考えは、すでに何度も述べているように、一神教ではなく多神教である仏教こそが世界を救いうるという考えである。多神教に加えて、仏教はおのれの中の心の深い闇を見つめるという思想があり、その意味では神に全てを委ねるという意味で、一神教が異教徒というものを認めないという傲慢性を持たない。仏教における悪は常に個人の中の問題であり、一神教が神の名の下で正義を求めるという意味の、他人の中の悪を許さないという思想がない。すなわち原理的に闘争という概念を持たないのである。

もちろん世界は、西欧の人間中心の思想による科学技術の利用により大きく発展したことも事実である。しかし、現実を見れば自然破壊の問題や、戦争がなくならない事や、物質的な利益追求の極端な進行という数々の問題で、世界はあらゆる意味で行き詰まっているのは厳然たる事実である。我々は、現在の世界を短絡的に見ず、過去からの世界の人類の思想や歴史的事実を正確に見なければならない。その歴史的な背景を正確にもつことで初めて次にどの方向に進むべきなのかが判断できるはずである。物質的なものの豊かさと、精神的なものの大切さの両方があって、初めて人は幸せを獲得できるものと信じる。どのようなものが世界を救えるのであるのか、いま我々は問われている。事業仕訳けの結果を非難したある学者の言葉の「歴史の法廷に立てるのか」という問いは一見もっともらしい。しかし中身を見れば、彼のような物質的な意味だけのもので、しかも自分たちの利益だけのための意味のものには誰も感動もしないだろうし、ましてやだれも説得もできる訳がない。他人を思いやる心や、自然との共生のような、過去からの優れた人類の思想を見直さない限り、平和な世界も幸せな世界も作る事は出来ない。あのような見せかけの言葉や行動だけでは何も解決しないだろう。願わくば、わが国にはもっと優れた多数の国民がいる事を信じていたい。

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