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日本人の持つ循環思想とは何か

お葬式で読まれる弔辞では「先に逝ってあの世で待っていてくれ」、とか「あの世で私たちを見守って欲しい」などという言葉が使われる。仏教では、人は死ぬと五蘊が消え去るだけで「あの世」という概念はない。釈迦仏教といわれる小乗仏教のままと言われる奈良仏教における寺院においては、僧侶が死ぬとお葬式のために鎌倉仏教といわれる浄土教の僧侶が来てお葬式という儀式をする。このような我々日本人の持つ「あの世」という感覚はどこから来ているのであるのか。

これまで日本人の考えの基層をなすものは、弥生時代以降の稲作文化に求められていた。しかし現代では、その先に長く存在していた縄文時代というものに強い影響を見るという研究が主流になりつつある。約1万5千年くらい前に日本列島には人が住み始めて日本人の原点があった事はすでに明らかにされている。縄文土器は世界で最も古いものである事はあまり知られていないが、約1万2千年前のものが日本で発見されており、それは他国のどの出土品をも上回る古いものである。日本における狩猟・採集文化というものは弥生時代に稲作が伝わるまでの紀元前3世紀頃まで1万年以上もの長い歴史を持っている。全体の歴史の中で4/5は縄文時代であり、残りの1/5が稲作伝来から今日までの期間である。この長い期間に培われた思想が現代まで連綿と続いていると考えられている。そこにあるのは循環の思想であった。

縄文時代の循環の思想は、その子孫といわれるアイヌや沖縄に残っているものにみられるあの世観にある。人や動植物、物でさえ、死ぬとこの世とはあべこべのあの世という世界に行き、しばらくすると帰ってくるというものである。死装束の左前とか、持って行くものを壊したり燃やすことは、この世と逆があの世では逆でない事を表している。貝塚などや針供養などについても、死んだり使い物にならなくなったものをあの世に送り返すという考えの現れの一つと考えられている。全てが循環するという思想があり、それが本来の原始神道に受け継がれ、自然崇拝と共に日本仏教の中にも取り入れられた。天台本覚というものの「山川草木悉皆成仏」とか「草木国土悉皆成仏」という言葉に代表されるものや、密教における自然崇拝からの神仏習合というものがそれを表している。これらにあるものは、人間も自然も平等に宇宙の一部のものという共生の思想である。人は死ぬとあの世に行って神になるという考えは、日本においては仏教が入った後も、死ねとお陀仏になったなどの言葉で表されて残っている。全てのものは魂があり、死ぬとその魂は物体を離れてあの世に行き、しばらくするとこの世に生まれ変わってくるのである。従って死者供養の葬式や、先祖が一時還ってくるお盆や正月の儀式などが大事にされている。

この自然の中の循環という思想は、西欧の人間主体の思想とは対照をなす考えである。西欧においては神は人間を神に似せて作った事により、自然は人間が使う「モノ」として考えられている。そこには生命はなく、科学技術によって利用される「モノ」でしかなくなっている。科学技術の発展の裏にある西欧思想の根源はここから来ている。日本仏教などに見られる全ての存在に神を見る思想は「アニミズム」というもので一くくりにされ、原始的な宗教という一言で片づけられてきた。全ての宗教はキリスト教のような一神教という形に収れんされるものという傲慢な思想を西欧思想は持っている。しかし西欧の人間中心の一神教的な思想で世界は明らかに行き詰っている。今、世界は新しい思想が求められているのである。日本人が持つこの古くからある循環の思想こそが世界を救いうるものになるだろう。あらゆるものに生命を見、死んでも生まれ変わるという思想は、有限のものを正しく使う事で無限に変える知恵である。我々の中にある古いものを時代遅れのものと簡単に排除してはならない。西欧至上主義だけでは機能しない、日本にある古い思想との融合が求められているのである。
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