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近代社会が求めたものとは何か

前回述べた内容は現在までの日本のありようである。その背後にあるものは何か、それは過去からどのように現在まで続いているのであろうか。現代人はその事をどれだけ深く認識しているのだろうか。変化が必要なら過去の問題を正しく把握できなければならない。

現代社会は明らかに17世紀以来の西欧による科学技術文明の賜物である。過去、世界には複数の文明が存在し、たった一つのものが世界を征服した事はなかった。しかし西欧は科学技術により世界征服を果たした。デカルト以来の西欧思想は人間中心の世界観を作り上げ、自然を支配するために科学技術が発達し、それは英国における産業革命を経て、すさまじい生産力と武器の力を作り上げた。その結果が西欧による世界支配となっていったのである。

以来、世界は「発展」という思想一色となった。西欧以外の国も、やがては西欧のような形になる。多神教は遅れたものであり、いずれはキリスト教のような一神教に発展する。西欧以外の未開の国はやがて文明国になるだろう。そのような西欧の傲慢的な考えが当然のように世界に広がっていった。しかし、人間は理性によるものであったかに見えたが、実は経済的発展という欲望の世界に変えられていたのである。過去300年間の経済的な発展で、人類はそれ以前のいかなる時代よりも物質的な豊かさを実現した。そして逆に、過去のいかなる時代よりも自然は大きく変えられ破壊されている。人類の歴史全体の中で見れば、ほんのわずかな過去300年間の変化は、何万年もの変化以上のすさまじいものになっている。

何度も述べたように、明治以来の我が国も基本的にはこの方向で進んできた。そして戦後はさらに経済的発展という方向が著しくなっていく。生産性の増大、それこそが国民を豊かにするものという思想で全てが進められ、日本列島改造論や所得倍増という言葉が踊った。そしてバブルが崩壊し現在に至っている。一時的な経済的な成功は終わったが、その後も生産性の増大という経済的発展の幻想は続いたままである。西欧も米国も、明らかに経済的にも外交的にも行き詰まりを見せている。過去の西欧至上主義で世界は明らかにやっては行けなくなっている。17世紀以来の欲望の拡大は、西欧以外の発展途上国と言われる国々に起こりつつある。その各国による西欧の科学技術を取り入れた発展が、皮肉にも西欧や日本という過去の先進諸国の停滞を生んでいるのである。しかし、歴史を見れば新興国の経済もやがては行き詰るだろう。近代の歴史が見た「経済的発展」というものは永遠に続くものであろうか。人間は欲望の拡大に歯止めをかけられるのであろうか。我々はどのような世界を望んでいるのであろうか。将来の世界には今よりバラ色の世界が本当に待っているのであろうか。逆に、人類が持つ核兵器や原発による破滅は起きないという保証はあるのだろうか。

我々は17世紀以来に出来上がった西欧思想をもっと正しく見なければならない。このまま世界が発展してどこに行くというのであろうか。発展が果てしなく続くという保証はないはずである。どのような世界にするのか、それを我々は考えなければならない。戦争で国の破綻を経験し、経済の成功を経験し、その破綻も経験し、原発事故というものも経験した日本人。我われこそが世界に新しい思想を提供する義務があるのではないのか。それは永遠に発展するという直線的な思想を循環的なものに変えるものでなければならない。戦争をなくすための他の宗教や国や文化やとの共生。さらに自然なしで生きられないという強いメッセージの必要性。自然を破壊するのではなく自然と共に生きる思想。そのようなメッセージを発する必要がある。科学技術の絶対信仰ではなく、それを道具として利用する知恵が求められている。新しい思想が必要なのである。

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