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人間の理性が全てという西欧思想は間違いであった

17世紀の西欧思想のみなもとは、デカルトによる人間と、それ以外の物質という二元論から始まる。その延長上に西欧の自然支配のための科学技術が発達する事で、西欧諸国は大きく発展するとともに、その強大な武力によって世界を支配する事になった。デカルト以降の思想家たちもこの考えを継承し、ついに人間が神を作ったとして人間至上主義となる。ヒューマニズムとは正にこれを意味する言葉である。神を捨てた人間は、その拠りどころを「理性」というものに絶対性を与えた。理性こそが人間を正しく導くもの、道徳の基本とされた。しかし、人間の理性の裏には他者を支配せんとする恐ろしい欲望が隠れていたのである。西欧思想の本質の全てはここに帰結される。支配せんとする欲望は戦争の肯定となり、さらに社会の中での競争こそが発展を促すものという考えになっていった。

これらの考えのみなもとは西ユーラシア大陸でおきた小麦主体の農業と牧畜に深く関係する。これらの栽培には人間が植物も動物も支配するものという考えになり、その結果として集団の考えを一つにした一神教の土台となりキリスト教などの一神教が勢力をもつ背景となった。一方、東ユーラシアはモンスーンの影響で雨が多く、熱帯雨林もあり、農業は稲作主体で発展した。水を多く必要とする稲作のためには森の管理が必要となり、自然崇拝が必然的におきたことから多神教が普通の感覚になっていった。そこでは人間が主体ではなく、自然との共存共栄という考えが強く、西欧の感覚とは全く違う精神的土壌となっていったのである。

自然を科学技術により利用する西欧は、18世紀後半に起きた産業革命により工業化が加速され、その発展は他の地域を大きく上回るものになってゆく。その結果が植民地政策などの他国の収奪経済となり、アメリカ大陸やアジア地域にも西欧の力が大きく影響してくることとなった。この危機を大きく感じ取った幕末の武士階級は明治維新を成し遂げ、国家の形を科学技術を主体とする西欧型の国へと変える事で富国強兵政策を成功させた。しかしながら日本独自の神仏習合というものは完全に否定され、国家神道という新たに作られた天皇を神とする一神教的なものに大きく変えられてしまった。結果として、西欧のまねに走り、19世紀ではすでに時代遅れとなっていた国家覇権主義に走り、太平洋戦争で自滅してゆくのである。教育も西欧の科学技術の移入が目的のものに変えられた。その結果、精神的な問題を正しく教えることなく、数学と英語主体のものに変わってしまった。結果として、技術というもののためだけの教育になり、それは戦後も変わることなく続き、逆に戦前の修身道徳という天皇のために死ぬというものの全面否定から道徳というものが消え、ますます技術中心の教育は加速されて今日に至っている。
神を捨てた事により、世界は欲望が支配するものに変わってゆく。戦後の我が国や米国などを見ても分かるように、人間の価値は精神的なものから物質的なものの獲得で決まる世界に変わった。結果として、世界から戦争もなくならず、経済的発展だけが目的の社会となり、人間の基本となる道徳などの拠り所を何に求めるのかが消え、多くの人々が精神的なよりどころを失う結果となっている。世界は物質的には発展した。しかし精神的には神を捨てた事で間違いなく退化したのだ。我々は本当にこのままで良いのかを自問しなければならない。たしかに世界の人口が100億になろうとする中で、過去、自然破壊を続けてきた科学技術を否定するだけでは人類の生活は成り立たない。しかしながら、戦争や自然破壊をなくせない人間中心の西欧思想でも世界は成り立たないことも明らかである。人類には西欧思想を越えた新しい哲学が必要なのだ。未来の子供たちのためにより良い世界ができるような新しい共生の思想という精神が必要なのである。そのような精神的な思想に基づく世界を作る事ができる国にすることが我々の義務でもあるだろう。
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