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明治維新の天皇制という意味の本質

我が国では明治維新によってはじめて「国民」というものが成立した。(実際には臣民という憲法上の規定に過ぎなかったが)江戸時代まで、武士、あるいはそれ以前の貴族社会以外の人々は、政治や外交などには無関係に存在しているだけの人間に過ぎなかった。特に武家社会にあっては、戦争行為は全て武士だけが行うものであり、その他の農・工・商に関わる人々は全く無関係であった。

明治維新は国家を西欧文明諸国と同じ形にすべく設計された。300近い独立した藩は廃止され、中央集権国家となり、武士という身分制度も廃止された。ここに初めて国民が誕生するのである。明治政府を作り上げた武士階級の人々は、国家の形態を明確にどのようにすべきかを決めており、それに従って国民もどのようにあるべきかを考えていたはずであった。科学技術の移入による富国強兵により、西欧列強からの侵略を防ぐためには、新しく成立した武士以外の国民をどのような存在にするかを決めていたのである。

そこで江戸後期から存在した国学による尊王思想が導入され、国民に忠君・愛国の思想が導入されたのである。事ある時には国民を兵士にしなければならなかったために、天皇を神として国民をまとめ上げ、武士階級以外の人々を富国強兵の道具としたのである。江戸時代の武士階級の人々は、戦闘というもののための教育は子供時代から厳しくなされていた。しかし国民皆兵の体制が不可欠のものであった以上、戦争という究極の不条理のものに対する武士階級以外の、個々人の合理的な理由づけとしての精神的なバックグラウンドは必須条件であった。そのために天皇という神と、その国である日本という神国に対する忠君愛国の道徳教育が年少者たちに最優先される。その後の教育は科学技術移入のための教育に変わり、国を支配する道具としての法律、科学技術移入のために必要な英語と数学が最重要科目となっていくのである。正に天皇制は、国民を一点に集めて新しい強い国にするための道具であったのである。江戸期にすでに高い教育のあった農・工・商の人々は、世界が驚くほど早く西欧の科学技術や制度を導入する事になり、武士階級が設計した通りの西欧型社会を作り上げる事に成功したのである。これが明治維新の時に設計され、実行された国造りの姿である。

このように、西欧型の富国強兵の国づくりの設計は見事というほかはなかった。けれど、問題はその後の国のあり方であった。明治国家を作り上げた武士階級の人々がいなくなるにつけ、本来の国のあり方をどうするのかという議論が消え、成功の余韻の中に新しい国のあり方を見つけるという変化ができず、すでに西欧において前時代的になっていた国家覇権主義的な思想を変えることができず、結局は太平洋戦争で自滅するのである。しかし、明治維新から自滅までの期間はたったの78年であった。いかにこの国が激変したかをどれだけの人が認識しているだろうか。

戦後、全ての価値観は転換され、神国日本という国家神道的なものはすべて否定された。天皇は人間宣言という近代では考えられない事を行い、神は消えたのである。しかし、現在でも自民党をはじめとする多数の国会議員や、国粋主義をもち続けているかなりの国民が天皇制というものの復権を画策している。我々はこのような時代錯誤を断じて許してはならない。先の戦争で亡くなった多数の尊い国民の意志を無駄にしてはならない。過ちは繰り返してはならないのである。そのために、国民全員が正しい歴史認識を持つことは絶対に必要なのである。
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