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正しい歴史観とは何か

麻生太郎のナチスの手口に学べ発言で非難轟々の中、安倍晋三は全てを無視して国会での議論まで封印した。もはやこの政権は世界中から笑われるだけの最低のものに成り果てた。マスコミや知識人がことあるごとに言う「歴史観」とは何か?誰もその本質を語らないのに、この言葉だけが独り歩きし、国民もわかったようなふりをしている。何が正しい歴史観で、何が間違った歴史観なのか?そもそも歴史観とは何を言うのか、その問題から私見を述べよう。

歴史観とは広辞苑では、歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方。観念論的な見方のものと唯物論的な見方のものとに大別することができる・・・とある。要するに解釈の仕方でいかようにも変わるのである。従って、我々は明治以降の日本というものを、どのような視点で見るのかということを明らかにすべきである。事実と、それがなぜ発生したかを背景の中から考察する必要がある。自分の視点は、人類の発展と戦争の歴史を、科学技術の発展で世界を征服した西欧文明というものとの関連の中に明治以降の日本を見る、という形で語りたい。

明治維新はなぜ起きたのか?簡単に言えば、米欧列強による開国の圧力に対し、その科学技術による強大な力を認識した武士たちによる危機感の中での国家の再編である。幕藩体制という共和制のような国の形を、侵略を避けるために富国強兵の名のもとに、国家を中央集権国家にし、科学技術の移入による西欧型の制度のもとに国を変えたことである。物理的にはこの制度で国を変え、国民をまとめ上げる背景としては、過去の仏教や儒教、原始神道などの全てを捨て、新しく天皇を神とする国家神道というもので精神的な背景を作り上げて国民をまとめたのである。武士たちの優れた識見には驚くほかはなく、見事に機能した国家の改変は、諸外国が驚くほど急速に日本を強国に変化させていった。そこには坂本竜馬とか勝海舟とかに代表される、きらびやかに輝く無数の素晴らしい武士たちの存在があった。それを考える背景には、江戸期の武士たちの教育制度と、武士道というものの在り方、さらには商品経済の高い発展を支えた、武士以外の人々の驚異的に高い識字率の存在があった。

問題は、その新しい国づくりを成し遂げた武士の人々が時代とともに消えた後である。富国強兵とは、外国の侵略から逃れるための、いわゆる緊急政策であり、国家が強くなった時点で変えるべきものであった。しかしながら、武士の後を継いだのは官僚と呼ばれる偏差値の高いだけの人間集団の時代錯誤の考えが国の方針を狂わせていったことにある。19世紀に西欧ではすでに時代遅れという認識にあった国家覇権主義、それに気づかず、過去からの富国強兵の正しい理念を見ず、変化できない官僚制の最大の問題を意識することなく、朝鮮や中国の侵略に走り、結果として太平洋戦争に突入して破たんしていったのである。世界中から孤立してでも変えることができなかった国家方針。その間違いはなぜ起きたのか。それを考えることが歴史観である。

我々は戦後、民主主義というものを戦勝国から強制的に、制度として移入させられた。戦争で多大な被害と犠牲を出し、疲弊しきった国民はそれを喜んで受け入れたが、実際には裏で過去から続く官僚たちが画策し、戦後の日本支配をつづけていたのである。三権分立という最も大事な民主主義の国家の基本を、自らが法律を作成して権力の維持が可能になるように、自民党という傀儡政党を作り、閣法制度というもので国民をだまし続けて現在に至っている。民主主義とは何かという本質的な教育は意図的にされず、食うや食わずの国民は懸命に働き。経済的成功を収めるものの、機能しない民主主義の結果は、バブルの破たんであっけなく終焉する。それ以降は、この国は混迷の連続であり、国民が期待した政権交代も、なんの理念も持っていなかった権力を握った民主党のばか議員たちが自ら破たんさせてしまった。

我々が必要なことは、過去に何が起きたのか、その背景は何かという認識と、現在の我が国はどのように出来上がり、それは何によって作られたかを正しく認識することである。それこそが正しい歴史観になり、国民の幸福が実現できる未来に向かって進める国になるだろう。それがひいては世界の平和と発展になれる道を開くことになる。頑張ろう国民、自民党などに負けてはならない。官僚国家を変えることが必要なことである。
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