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正義の概念の欠如が無力感を助長している

経済成長力が落ち込んで以来、数十年にわたりわが国の国民の無力感や脱力感が放置されたままでいます。その原因は何か、明確な答えを提示したものは誰ひとり出てきていません。私はここに一つの命題を提示したいと思います。

個人のあるべき姿とは何であるのかという根源的議論、又は正義とは何であるのか、それを行う社会はどうあるべきか、というような根源的な議論の欠如が国民の行き場を失った無力感や脱力感ではないのでしょうか。その意味では知識人と言われる人々や政治家たちは何を提示して何を議論してきたのだろう。また、そのことをメディアは国民に提示してきたでしょうか。

答えは「ノー」です。やってきたことは経済的にどうあるべきかという何十年も前の先進国に追いつけ、追い越せの議論から何も変わっていません。見せかけの生活の豊かさの追求の達成だけを何十年も騒いでいただけなのです。今の若者に蔓延している孤独感や無力感を放置していれば、エーリッヒフロムが「自由からの逃走」で述べたように、大衆は他者との連帯を強く望むようになり、同時に強い指導者を望むことで、戦前の軍国主義やナチスのような全体主義国家になってしまう危険性が極端に大きくなっています。

政治や行政における税金の使われ方、すなわち社会的な分配は公正なのか、警察、検察の在り方から裁判所の判決が何に基づいているのか、正義は実行されているのかという問題まで、この国は何を根拠に物事が進められているのかという問いに、何も答えを誰も提示していません。その事実の積み重ねから来ている国民のいらついた焦燥感を社会は気づいているのでしょうか。その実例は至る所に見られます。新しいことを試みようとすれば規制にがんじがらめにされている事でやる気をなくす人々、富を得たとたんに不正な告発にあって人生を破壊される人々、一方では何の努力もなく天下りだけで人生を謳歌している官僚たち。国民は正当な年金さえ不当な扱いを受け支払われないのに、公務員に対する手当だけは保護されている事実。誰もがこの国は何のために、誰のために存在しているのかと自問しているのです。

我々は戦後与えられた「制度」としての民主主義を自分たちのものとして考えていません。そのために誰かがやってくれる、何かが悪いのは政治や政府のせいだという幼稚な考え方から脱却さえしていないことを自覚しなければならないのです。若者の無力感の源泉はここからきているのかもしれません。知識人たちの沈黙はもはや許しがたいところにまで来ていますし、マスコミに至っては官僚の宣伝機関に成り果てた現在、我々国民が一人一人、この国はどうあるべきかを考えない限り何も変わらないでしょう。

以上の前提から提起するものは、我々個人が何を根拠に物事を正しいことであるとするかの「正義」の考察と、それをいかに政治に反映させ、求めるべき国の在り方や子どもたちに残すべき考え方、すなわち教育という基本的な問題がどうあるべきかを議論することです。功利主義だけの議論では行き詰った国民の閉塞感を打破することはできません。国家は誰のために存在するものなのかという「普遍的な正義」の議論なくして民主主義を議論することはできないのです。海外の民主国家には、政治の前提に常に哲学が存在しています。その意味では我々が何よりもまず実行することは、民主国家の基本である「主権在民」の具現化です。みせかけの民主主義に騙されているすべての既存の制度を壊し、本当の意味の民主国家にしなければなりません。まずは三権の実質的な分離から開始するべきです。今年を是非ともその元年にしたいのです。

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