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ウィキリークスで情報公開の事を考えた

ウィキリークスの問題を契機に情報の公開という事を考えましたが、その答えはどこにあるのでしょう。

各国、もっと狭義に言えば、各個人は何をもって正しい事だと考えるのかという問題に対しての答えが求められているのではないでしょうか。また個人の多様性があるように、各国には各国の国益というものが存在します。 そこに正しいことがなされたかの検証という意味での情報公開の重要性というものが見えてくるのではないのでしょうか。

政治や経済が各国にまたがって作用している現在の世界では、政府の情報公開の最大の目的は「主権者」である国民に対する「義務」という観点と「国益」という観点の双方から考えないと枝葉末節な議論になると思われます。官僚の無謬性など論外のことなのです。もし全ての政府の決定が国民の利益と国益にかなっているという前提があれば、情報公開の必要性など存在しなでしょう。しかし誰も政府の決定の全てが正しい、などと信じていないから情報を公開せよという議論が出てきます。逆説的な意味ではウィキリークスのように、正しい事がなされているなら全ての情報を公開して何が悪い、という考え方に行きつきます。

このような議論がないと、先の尖閣の映像流出は正しくてウィキリークスは正しくない、という日本のマスコミや一部の評論家たちのような支離滅裂な報道になります。私見を言えば、官僚国家のわが国でおきた尖閣の映像流出は、意図的な民主党政府に対する官僚の反乱でしょう。過去の自民党政権時に公務員が意図的に情報をリークした事はありません。それは自民党という政党が官僚と一体化して政権を運営してきたからに他ならないからです。しかしながら政治主導を掲げて誕生した民主党政権のもとでは、官僚は公務員に過ぎない本来のものに変えられようとしており、それを阻止しようとあらゆる世論操作が行われてきているからです。だからこそ今でもマスコミでは尖閣映像を流出させた海保の職員は正しいとする報道が主流になっており、逆にウィキリークスのようにあらゆる情報がリークされる事には非難が多いのです。官僚側に都合の悪い情報はリークされては困るという魂胆が透けて見えます。

民主国家では多数の国民をもって選出された議員によって政府が運営されます。しかしながら、国民の利害は多岐にわたっており、多数が選出した政府の政策といえども、全員が賛成するものになるとは限りません。基本的なことが納得できれば、大体のところで妥協したものになるのが常でしょう。逆に言えば少数の意見であった国民は、納得できない事ばかりとなるのです。だから全ての情報を公開したからといって全ての国民が満足するわけではありません。情報公開と国民の政策に対する満足度とは別物であることを認識しなければならないのです。

さらに、わが国では民主制度が確立されていない上に正確な理解もなされていないので、ここでも複雑な現象がおきます。民主政治では多数が選出した議員たちが決定した事が優先されるべきで、その反対意見のほうは必ずしも反映されないという原則があるのですが、その冷徹な事実はマスコミの報道する、「国民の意見は・ ・ ・」などという言葉によって常に無視されてしまいます。全員が満足しなければならないようなレトリックで世論操作がされることによって、まるで全体主義国家のような報道がまかり通っているのです。そこに官僚の省益などのための情報操作報道も絡んで余計に国民の中に混乱が生じます。 情報公開以前の国民主権とは何たるかという定義さえ曖昧なままなのがこの国の現実です。そのような事を正確に認識して、その上で本来の意味での民主主義に基づいて、情報公開は全てなされるのが当然の事だと結論するべきなのです。

一方、外国との関係での「国益」という問題に対しては見方を変えなければならないでしょう。国家の利益とは主権者の利益である以上、官僚や公務員のための省益などは論外であり、国民のための利益が最も大事にされなければなりません。この事は他国でも同様であり、他国の国益を考慮すると、両国間には微妙な問題が起きるという可能性を排除するべきではないと考えます。その意味で全てを直ちに公開すると言う事については安易に賛成はできません。一定期間を置いた後に全てを公開するという原則がなされるべきだと考えるのです。ある程度の期間を経て情報が全て公開されると言う事になれば、政治家や官僚たちも私利だけに基づいて国益を無視した決定を他国と交わしたりできないでしょうし、他国との外交上の必要な取り決めについても一定の信頼関係を保つ事が可能だと思うからです。

以上の論旨を踏まえた上で、全ての情報公開のあり方は、国会議員が議論し、その結果を官僚ではなく国会議員が法律として制定し、民主政治の原則に従って決めるべきだと結論します。こんなことは言わずもがなの当たり前の結論なのですが、我が国では、行政における様々な情報は外交も含めて官僚が独占しているという異常性を我々は認識しなければなりません。現状は、特別会計のような一般会計の4倍にもなる規模の税金の情報さえ公開されていないのです。正に独裁国家のような恥ずべき状況にあるのです。一日でも早くこの状況からは脱出すべきです。特別会計を含めたわが国の国家予算規模は、英国の4年分ほどの規模である事実さえ何も報道もなされない怖さを国民は自覚するべきなのです。このような状況において、社会保障費が増大するという理由の増税などの税制論議に何の正当性があるのでしょうか。また外交においては米国一極主義が依然として続けられていますが、世界の情勢が大きく変わっている現在、過去の事実の情報を公開して、今までと同じでよいのか、今後はどうあるべきか、という事が議論されるべきではないでしょうか。税金で取得された情報を官僚の私物にしてはならないし、国民主権の政治や外交がなされるためにも、民主主義の基準に従った全ての情報公開を実施するべきです。

今の我が国の状況は、ウィキリークスがどうのこうのと言っているような状況ではありません。もっと根本的な問題で、必要な情報が国民に知らされていないという現実の認識が必要なのです。それを正すためにも、政権交代したのだから必要な事をどんどん法制化して実行していくべきです。それが実行できないことが明白な菅直人政権は政権にいる資格はありません。できる者たちに任せなければ何のために政権交代したのが全く意味をなさないのです。国民を裏切るような者たちは直ちに民主党から去るべきです。

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