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日本人はどこに消えたのか

明治時代にキラ星の如く存在していた無数の世界に誇れる偉人たちはどこに消えたのだろう。現在の我が国の惨状ともいえる公的な人材のなさは、過去に例がないほどひどいものになっている。その原因の一つは、明らかに戦後の官僚社会主義という画一的な人間しか作らない教育制度にあったとしか思えない。明治以来の中央集権の写しのような国家形態によって、一旦は経済的な成功が成し遂げられたけれど、結局は短期的な成功に過ぎなかったことは歴史の事実になりつつある。それは今の若者や社会的な成功者と言われる人々を、過去の明治初期の時代の人々と比べれば明確に差が分かる事でも証明できる。いかに戦後の国民の考えも、指導者とか知識人と言われた人々にも何の目的もない、単なる過去の富国強兵からの解放感だけのような浮ついた考えしかなかった事に気が付いてしまう。結果としてやったことは、先進国に追いつけ、追い越せというだけの戦前の、強兵こそない「富国」というものだけを追求した戦前の写しのような社会ではなかったのだろうか。

従って、戦後の経済的な成功以降のわが国には、これといって世界的に思想的に傑出した人間が見当たらない。金持ちはいるかもしれないが、世界的な尊敬を受けている人間はどれだけいるのだろうか。民間人にはまだかなり存在しているが、公的事業や政府関係者で尊敬されるような人が一人として見当たらないと言う事は本当に恥ずべき状況であると言わざるを得ないだろう。官僚の劣化ここに極まれりという感がするのは私だけではないだろう。もはやこの国の公務員には「公」という概念すら存在していないように思える。あるのは民主主義という皮を被った「官僚独裁」による社会主義国家に過ぎない。それが長い事、国民に気づかずに存在できたのは自民党という疑似民主的な政党制度に隠れていた事と、個人や特定の団体ではない「制度」というものによる支配であったからに他ならない。国民は誰から指示されているわけではなく、法治国家という制度を悪用して作られた官僚による支配に、つい最近まで全く気付くことが無かったのである。これほど見事な詐欺に等しい制度は世界的にも類を見ない見事さであると、敵ながら天晴れというほかはない。

しかしながら全ては暴かれた。もはや「官僚社会主義国家」に未来はない。江戸時代に見られたように識字率が7割もあった国はどこにもないほど優れた国民であった我が国は、今、インターネットという優れた武器を持ち、巷に無数に存在する優秀な国民の知恵によって世界でも最も優れた民主国家を作るべきである。我々にはそれが可能な事は歴史が証明している。

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