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邪魔なんだよ、勝手に入ってくるな!!!

秘密保護法の背後にある時代遅れの国家思想

安倍自民党の暴走によって「特定秘密保護法」という史上最悪の法律が作られようとしている。全ては行政の恣意的な思惑だけで秘密の指定ができ、しかもそれは60年もの間、完全に国民から隠されるだけでなく、それに反した場合には逮捕され、裁判の内容まで秘密にされるというひどさである。こんな法案に賛成する自民党、公明党、維新の会、みんなの党の国会議員たちは、近代国家における民主主義のなんたるかを何もわかっていない。彼らの頭は、西欧の歴史的に言えば、中世時代を脱して出来上がった絶対主義国家という理念程度のひどいものである。その絶対主義国家とは何かを簡単に説明しよう。

西欧の中世とは、土地の上に農民や商工人、軍人が、各々特定の集団として共同体を作り、その共同体が中心に世界が作られたものをいう。手工業者のギルドなどはその典型である。基本的には都市国家であったものがキリスト教による統一的な共同体の集合になった世界が西欧の中世である。それは教会という高度に組織された制度のもとのヨーロッパ共同体と呼ばれるもので、後世のイギリスとかドイツとかフランスという個別の国の存在は何もない世界である。個々の国王が存在していても、それは一定の土地を支配するものではなく、特定の貴族との契約関係だけでつながる社会であり、君主との契約を契約貴族が拒否すると、その土地は別の君主と契約した土地となり、常に領土というものは流動的なものとしてしか存在しえなかった。それ故に教会という普遍的な制度を持つキリスト教世界が一つの有機体として機能していただけのものに過ぎなかった。個々の人間は農民はずっと農民のままに何世代も続き、商人も貴族もおなじように過去から続くものとしての存在に過ぎなかった。これを変えたのがルネッサンスと呼ばれる人間の復活思想である。それによってヨーロッパは中世を脱するのである。

人間の復活という思想により、個々の身分制度で一生を決められるものから個人が職業などを決めるように変わるとともに、宗教においても宗教改革が起こり、教会中心のキリスト教は神と個人の直接契約というものに大きく変化する。これが他律として存在していたキリスト教を自律とした宗教に変え、人間の自立を生んでゆく。人間というものの考えが大きく変わることでヒューマニズムという人間中心主義の思想が始まり、それに従ってマキャベリの絶対主義国家というものが作られ中世が終わる。絶対主義国家とは家産国家と呼ばれる特定の支配者の持ち物国家である。そこに初めて地域国家という個別の国、ナショナルなるものが誕生する。世界は個別の国々に分かれ、全てを呼ぶときにはインターナショナルなる言葉に変わってゆく。絶対主義とは、利己的な人間を統制する手段として秩序を作り上げる「権力」というものの確立である。要するに支配するための装置として国家という機構、すなわち制度が作られたのである。また宗教も、宗教改革により個別の形態が生じたことにより国教制度というものが作られ、支配者に都合の良い形で利用された。国家は支配の手段として税金の徴収や、暴力装置としての軍隊のために徴兵制度を作り出す。中世では考えられないものが制度として確立されてゆく。それが現代の State という言葉の原型である Stato というものになった。過去のものとの違いは、政治としての共同体を指す意味のレス・プブリカ、リパブリック、コモンウエルスと違い、「権力」そのものを意味したものに変わる。

端的に言うと、これが中世を脱した西欧の流れであるが、そこにできた思想は絶対主義国家というものの確立であり。それは安倍自民党が目指すものと何も変わらない。権力者は明治維新では表向きは天皇というものであり、大日本帝国は天皇の家産国家であった。けれど絶対主義国家の特徴として、そこには官僚という機構抜きに国家の権力は維持できない。徴税や徴兵制、法律などの整備の全てが専門的知識を持つ官僚の手に委ねられて国家は運用される。全てが天皇という権力の名のもとに、実態は官僚の行う政策や法律に縛られて国が動かされる。こうして日本は変わったのであるが、太平洋戦争に負け、連合国から民主国家に変える意図で憲法は国民主権の国として大きく舵が切られた。けれど実態は何も変わらず、官僚たちはひそかに自民党という政党を作り国を動かしてきた。法律は三権分立を無視する意味で閣法制度が採用され、司法制度にも人事権を関与させて全てが行政府の意のままの国にされた。そして政権交代が起きたが、官僚の裏工作と民主党議員たちの情けない体たらくで完全に失敗して元に戻された。

安倍自民党による秘密保護法は絶対に認めてはならない。法案が通った暁には、一日も早く政権交代を実現し、徹底的に国を変えなければならない。この絶対主義国家という超時代遅れの国の体制を変え、完全な三権分立を持つ本当の意味の民主国家を作り上げる以外に日本の未来はない。国民は歴史とその背後にある思想の流れをよく知らなければならない。今の教育制度では何も変えられない。自らが積極的に学び、我々の過去の優れた精神的思想である仏教、原始神道を理解し、国家神道の復活を阻止し、平和国家として世界に貢献しなければ未来はない。二度と自民党政権に戻さないように国民の奮起が必要である。


変わらない日本の国のあり方

明治維新以来、日本は西欧の科学技術の移入による富国強兵政策で西欧の植民地化を免れた。19世紀、すでに西欧は16世紀以来の理性による哲学から変わり、人間の欲望から世界を見る哲学に変わりつつあった。プラトンからヘーゲルに至るまで、理性・意志・欲望という順序で人間を考えてきた西欧思想は、ショーペンハウエルやフォイエルバッハの欲望から人間を見る思想で大きく変わった。その結果、権力欲から人間を見るニーチェ、唯物弁証法で生産の拡大を至上とする物質的欲望の拡大で見るマルクス、性欲で人間が支配されているというフロイトなどが出てきて西欧思想は大きく変わった。

この流れは、過去のベーコンやデカルトによる自然を物質としてみることで、その精密な研究で科学技術が発達し、自然を開発して発展するという思想による延長ではあるが、当初はまだ理性による人間支配という考えがあり、それはカントやヘーゲルまで連綿と続いていたが、その本質にすでに物質的な発展という隠れた意志が存在していたのである。すでにデカルトの思惟する自我と延長する物質という二元論には、人間の理性とそれ以外のものは動物も植物も人間の身体さえもが機械という物質の扱いとなり、自然は人間のための召使いとされてしまったのであるが、思惟する理性という魂も、機械も、ともに不死の思想のもとにあった。それはキリスト教の思想と同じであり、西欧思想では現在まで不死の思想で人間を見ている。

一方、西欧の科学技術の移入に舵を切った日本は、過去の全ての精神的な裏付けであった仏教、原始神道、儒教などの全てを捨て去り、精神的な裏付けとなるものは天皇を神とする国家神道により国民をまとめ上げるだけの宗教的痴呆状態となり、それは現在も続いている。しかしながら日本は世界で唯一、非西欧国家で初めて西欧化を果たして先進国に仲間入りを果たしたが、西欧の国家覇権主義をまねることで、太平洋戦争で自滅していった。しかしながら、我が国の基本的な政策は、戦後も科学技術による発展史観のまま何も変わっていない。たしかに戦勝国によって民主主義が制度として与えられたが、精神的な問題は敗戦によって天皇制の否定によって価値観が逆転したことにより、国民は一層、精神的な問題を見ずに、ひたすら経済という物質的な欲望満足のために懸命になって進んだ。そして短期間のうちに世界が驚く経済的な成功を果たしたのである。

バブルがはじけて、経済的な発展は行き詰まりを見せてはいるものの、その根底にある科学技術による物質的な発展の追求という国家政策は明治以来何も変わらず現在も続いている。憲法が新しくなり、戦争の放棄や人権の確立などが規定されたけれど、中身においては依然として官僚主導による国家の運営は変わらず、その傀儡として造られた自民党という政党支配が続く。それを変えるという期待のあった民主党の政権交代は見事に失敗し、結局は前よりひどい自民党の一党独裁体制の国になってしまった。安倍晋三は、過去の自分の政権投げ出しのトラウマを脱しようと、次から次へと国民を無視して官僚と共に国民無視の政策を矢継ぎ早に実行しようとしている。このままでは小泉・竹中による国民生活破壊の時よりひどい未来が待っているように見える。時代遅れの経済でしか政治を見ないバカどもが、喜び勇んで国家と国民を滅亡の方向に進めている。我々ができる唯一の抵抗はたった一つしかなくなった。「買わない」「行かない」「外食しない」というもので消費をしないことが最も有効な抵抗手段となった。全国民運動が必要である。新しい思想による精神的なバックグラウンドのある国にするまで、我々国民が一人ひとり考える必要がある。そのためにも、明治から今日までの正確な歴史観を持つことを切に願うものである。

正しい歴史観とは何か

麻生太郎のナチスの手口に学べ発言で非難轟々の中、安倍晋三は全てを無視して国会での議論まで封印した。もはやこの政権は世界中から笑われるだけの最低のものに成り果てた。マスコミや知識人がことあるごとに言う「歴史観」とは何か?誰もその本質を語らないのに、この言葉だけが独り歩きし、国民もわかったようなふりをしている。何が正しい歴史観で、何が間違った歴史観なのか?そもそも歴史観とは何を言うのか、その問題から私見を述べよう。

歴史観とは広辞苑では、歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方。観念論的な見方のものと唯物論的な見方のものとに大別することができる・・・とある。要するに解釈の仕方でいかようにも変わるのである。従って、我々は明治以降の日本というものを、どのような視点で見るのかということを明らかにすべきである。事実と、それがなぜ発生したかを背景の中から考察する必要がある。自分の視点は、人類の発展と戦争の歴史を、科学技術の発展で世界を征服した西欧文明というものとの関連の中に明治以降の日本を見る、という形で語りたい。

明治維新はなぜ起きたのか?簡単に言えば、米欧列強による開国の圧力に対し、その科学技術による強大な力を認識した武士たちによる危機感の中での国家の再編である。幕藩体制という共和制のような国の形を、侵略を避けるために富国強兵の名のもとに、国家を中央集権国家にし、科学技術の移入による西欧型の制度のもとに国を変えたことである。物理的にはこの制度で国を変え、国民をまとめ上げる背景としては、過去の仏教や儒教、原始神道などの全てを捨て、新しく天皇を神とする国家神道というもので精神的な背景を作り上げて国民をまとめたのである。武士たちの優れた識見には驚くほかはなく、見事に機能した国家の改変は、諸外国が驚くほど急速に日本を強国に変化させていった。そこには坂本竜馬とか勝海舟とかに代表される、きらびやかに輝く無数の素晴らしい武士たちの存在があった。それを考える背景には、江戸期の武士たちの教育制度と、武士道というものの在り方、さらには商品経済の高い発展を支えた、武士以外の人々の驚異的に高い識字率の存在があった。

問題は、その新しい国づくりを成し遂げた武士の人々が時代とともに消えた後である。富国強兵とは、外国の侵略から逃れるための、いわゆる緊急政策であり、国家が強くなった時点で変えるべきものであった。しかしながら、武士の後を継いだのは官僚と呼ばれる偏差値の高いだけの人間集団の時代錯誤の考えが国の方針を狂わせていったことにある。19世紀に西欧ではすでに時代遅れという認識にあった国家覇権主義、それに気づかず、過去からの富国強兵の正しい理念を見ず、変化できない官僚制の最大の問題を意識することなく、朝鮮や中国の侵略に走り、結果として太平洋戦争に突入して破たんしていったのである。世界中から孤立してでも変えることができなかった国家方針。その間違いはなぜ起きたのか。それを考えることが歴史観である。

我々は戦後、民主主義というものを戦勝国から強制的に、制度として移入させられた。戦争で多大な被害と犠牲を出し、疲弊しきった国民はそれを喜んで受け入れたが、実際には裏で過去から続く官僚たちが画策し、戦後の日本支配をつづけていたのである。三権分立という最も大事な民主主義の国家の基本を、自らが法律を作成して権力の維持が可能になるように、自民党という傀儡政党を作り、閣法制度というもので国民をだまし続けて現在に至っている。民主主義とは何かという本質的な教育は意図的にされず、食うや食わずの国民は懸命に働き。経済的成功を収めるものの、機能しない民主主義の結果は、バブルの破たんであっけなく終焉する。それ以降は、この国は混迷の連続であり、国民が期待した政権交代も、なんの理念も持っていなかった権力を握った民主党のばか議員たちが自ら破たんさせてしまった。

我々が必要なことは、過去に何が起きたのか、その背景は何かという認識と、現在の我が国はどのように出来上がり、それは何によって作られたかを正しく認識することである。それこそが正しい歴史観になり、国民の幸福が実現できる未来に向かって進める国になるだろう。それがひいては世界の平和と発展になれる道を開くことになる。頑張ろう国民、自民党などに負けてはならない。官僚国家を変えることが必要なことである。

自民、公明に投票してはならない

参院選の世論操作にマスコミは全て同じ言葉を繰り返す。「自公で過半数は確実の勢い」、一体どのような根拠があるというのか。確かに民主党は総崩れになるのは明らかだろう。しかし、国民は本当に自民党に勝たせてよいと思っているのだろうか?それは明らかに国民の意思を無視したマスコミの作り上げた感想に過ぎない。その理由は、

アベノミクスで景気は良くなっているという証拠もないし、保証もない。

原発再開に対して大多数の国民は反対している。

増税が既定路線のような自公政権、社会保障費の問題は隠されている。

TPPという大問題の本質の議論が隠され、米国のためだけに参加が進められている。国民の大多数は疑問だらけなのに、マスコミも評論家も本質隠しばかり。

憲法の改悪の詳細が一切報道されない。

このように、自民党に都合の悪い問題はすべて隠され、あたかも景気は上向きだという壮大な詐欺がマスコミ、御用評論家によって連日報道されている。実体経済は何もよくなっていないのに、国民の年金資金を使った株価操作だけを見て、円安による生活必需品の高騰には一切触れない。これが民主国家なのかと思えるだけの最低の情報操作だらけである。

一体、国民はなぜ政権交代を実現したのであろうか?それが民主党の裏切りで潰えたとはいえ、原因は国民にあるのではなく、あくまでも国民を裏切った民主党にあるだけで、政権交代の本質は変わらずに残っているはずだ。なぜ小泉・竹中による弱肉強食型の社会にされて怒った国民は、簡単に自民党に戻したのか。理由は単純であり、失望した多数の国民が衆院選に棄権し、しかも開票に不正があったという大疑惑が放置されたままであることだ。自民党の得票率は伸びたわけではない。

民主主義の本質は、誰かに政治を任せるのではなく、国民が政治の仕組みを自ら作り上げることである。政治制度こそが国家なのである。その本質が理解されない限り、この国に民主主義は実現できない。だから最低限、国民は投票しなければならない。官僚や自民党が一番恐れている事は「国民の覚醒」である。自分たちの権利を求めることに目覚めさせることを阻止し続ける事を戦後の官僚が作った自民党はずっと続けている。選挙の立候補には、世界ではありえないバカ高い供託金制度で制限され、自由な選挙活動は「公職選挙法」という官僚の恣意的な判断で、いくらでも制限がかけられるもので選挙を規制している。結果として世界で最もひどい、世襲議員というものが独占する、国民の参加が排除された国会議員などが職業化されるという非民主国家に成り果てている。事あるごとに国民へは義務だけが強調され、権利については無視されるという官僚国家にされている。

今度の選挙で自民党を勝たせれば、自民党のひどい憲法改正案が実現され、憲法は明治憲法と同じの権力者の持ち物国家という制度の国に変えられてしまう。国民の権利が先ではなく、国家という独裁的な権力を持つ官僚制度のもとで、国民は義務だけの単なる「臣民」にされるのだ。どれだけの人がこれを正確に理解しているだろう。日本という国を本当に民主国家にしたいなら、我々は選挙に行き、絶対に自民、公明、維新の会に投票してはならない。とにかく投票に行こう。そして生活、大地、社民、みどり、共産の順で適当な候補者に投票すべきだ。些細なことは無視し、自民公明維新の独占的国家にしてはならないという強い意志を持つべきである。合言葉は「自民党をぶっ潰せ」である。何度も騙されるな、覚醒しよう、子供たちに幸せな未来を残そうではないか!
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